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真鶴会館を初訪問 地域照らす”人生の灯台”に

1986.6.30 「広布と人生を語る」第9巻

前後
1  全国の会員の方々から「ぜびわが会館に訪問を」との要請を数多くいただいている。私としても全会館を訪れ、各地の同志の方々とともに勤行・唱題して、地域広布の発展と皆さま方のご長寿とご多幸、ご繁栄を祈りたい。それが私の責任と使命であると思っている。しかし、つごうがなかなかつかず思うように会館を訪れることができなくて、まことに残念で申しわけなく思っている。これからも機会をつくっては全国の会館を訪問したいと念願している。
 本日の真鶴会館の訪問も、その一つとなったわけで、この地の大功労者である青木さんをはじめ皆さま方にお会いできてほんとうにうれしい。
 とくに青木さんは草創以来、広布のために、また地域のために、いくたの風雪のなかで、厳然とこの地の”広布の灯台”となって戦ってこられた。人一倍つくしてこられた。一度、病に倒れたがそれも克服して、今は元気に活躍しておられる。その青木さんを代表として、広布と地域の発展のために日夜、健闘してくださった皆さま方の功労を心からたたえたい。
2  広布の大業は「人」 によって決まる
 組織は中心の「人」によって、善悪どのようにもなる場合がある。信心と広布の組織は、良き「人」を得、正しき方向に向かった場合は、たがいに励ましあいながら、大勢の人が一歩前進し、成長することができる。またさまざまな個性の人たちが、大いなる目的観のうえに立って、ともに広宣流布をめざし、仏道修行していくことができる。そして一人ではとうてい不可能な、社会・人類への大きな貢献の仕事をしていくことができる。ゆえに広布の大業に、組織はどうしても必要な存在なのである。
 しかし、かりに幹部が自己の立場を利用し、自らの権威やエゴのために組織を悪用することがあった場合は、多くの純真な人々を苦しめ、自らをも滅ぼしていくことになる。まことに恐ろしいことであり、そうした動きに対しては、一人ひとりが鋭く見ぬいていかなければならない。
 しょせん、いっさいは「人」で決まる。「法妙なるが故に人貴し」と仰せのごとく、あくまで仏法は「法」が根本であるが、その法を持ち、弘める「人」の振る舞いによって、法の尊さも証明されていくわけである。
 やはり「人柄」「人格」というものが大切である。「生活即信心」また「一切法是れ仏法」の原理にのっとり、立派な社会人、立派な市民、立派な地域の住人として、かけがえのないわが人生を輝かせていかなければならない。広く周囲の人々から信頼と尊敬を勝ちとっていくことが、信心と広宣流布の歩みの重要な一次元なのである。
 また、皆さまもご存じのとおり幹部の退転があった。たとえ信仰し、幹部となったとしても、一時的な葦々しい姿や役職では、信心はわからない場合がある。一生を通じての求道の姿勢があるかどうかが大事なのである。
3  さいわい、この地には青木さんという良き大先輩がいる。皆さまは、青木さんと同じょうに、地域を照らす人生と広布の”灯台”の存在であっていただきたい。灯台は、航海を続ける多くの船を安全な方向へと誘導していく役割をもっている。仏法を持った私どもは、信心していても、していなくてもすべての人々を、正しき人生の方向へと導き、確実なる幸福の方向への示唆を与えていくという、尊くも大切な使命があるのである。
 しかし、灯台の存在になるといっても、けっして特別な姿となったり、背のびしたりする必要はない。その身そのままの、ありのままの姿で、どこまでも題目を唱えながら、自分らしく輝いていけばよいのである。
 ともあれ、それぞれの地域にあって、御本尊を持ち、日々、地域の広布へと活躍されている皆さま方の存在は、人々をしてつねに善なる方向へ、安全な方向へと向けているのである。ゆえに仏法の眼から見たときに、どれほど尊く偉大な存在であることか。このことを深く確信していただきたい。
4  真鶴に班が生まれたのが昭和三十一年。その後三十六年に真鶴地区が発足し、初代地区部長・担当員が、青木富二・郁江さんご夫妻であった。
 同年八月には、本郷・文京・中野・足立・鶴見・杉並等の各地区・班を統合して小田原支部が結成された。初代支部長・婦人部長は、時田純・多美枝さんご夫妻である。
 さらに昭和三十八年十二月、小田原支部から分かれて真鶴支部が誕生し、青木さんご夫妻が初代支部長・婦人部長となっている。当時は、青木さんをはじめ、みな若かった。現在は、人生の年輪を刻み、やや老けられたようである。(笑い)
 しかし大切なことは、年齢はいくつになっても、わが生命の内奥に無限の財宝と福徳をいかに積みゆくかである。さらに三世永遠に輝きゆく生きいきとした自身の生命を築いてゆくことだ。ここに、人生の充実と真実の幸福を開きゆく信心の偉大な価値があることを忘れてはならない。
5  真鶴町には、現在、真鶴支部と岩支部の二支部があるが、町内で学会員の占める割合が神奈川県下で第一の比率であるとうかがった。まことにすばらしい広布発展の姿であると思う。都市部とは異って旧習もあり、保守的な土地柄でありながら、県下随一の広宣流布の模範の姿を築き、輝かしい広布の歴史を刻んできたわけである。
 隣接する湯河原町も、学会員の割合は一割を超えているという。両町を含むこの湯河原本部は、全国でも一つの広布のモデル地区となっているといってよい。それだけに、今日までの皆さま方のご苦労はいかばかりであったか。その尊くも限りないご尽力に、深く感謝申し上げたい。
6  今は年配となられたが、長い間”広布の灯台”として地域の人々から信頼され、慕われてきた方々に、森ふささん、青木ヨシエさん、五島米子さん、柳井キヌさんらがおられる。私は心からご苦労さまと申し上げたい。
 こうした方々は、組織での役職が高いわけではないが、地域広布のために、今日まで懸命に奔走され、真鶴発展の土台を築いてこられた功労者である。そのほかにも、多くの功労の同志がいらっしゃる。
 青木さんご夫妻をはじめ、そうした真鶴の同志の皆さま方の信心の心根が清く、純粋であったからであろうか、数年前の理不尽な非難と迫害の嵐の渦中にあっても、この地からは、ごく少数の退転者を出したにすぎなかったと聞いている。まことにみごとな信心と団結の姿である。どうか、これからも明るく堂々と真鶴広布のいっそうの発展をめざし、前進していっていただきたい。

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