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岡崎支部結成25周年記念勤行会 歴史の地より人材の大河を

1986.6.27 「広布と人生を語る」第9巻

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1  この岡崎の地には、私は何度も訪問して、日夜、広布のためにご活躍の皆さま方を激励したい、また家康公ゆかりの岡崎城を中心にしながら、もう一歩深く愛知の広布を思索したいと考えていた。それもさまざまなつごうでなかなか叶わなかったが、今回十八年ぶりに実現でき、ほんとうにうれしく思っている。
 ただ今、御本尊に、岡崎の同志の方々、また中部の方々の、ご多幸と威光勢力の増進、さらに職場、家庭、生活において福運の人生が開けていくよう、深くご祈念させていただいた。
 本日、名古屋から名鉄の電車で岡崎に来たが、駅から会館に来る途中、岡崎公園に立ち寄った。青空のもと、矢作川の支流、菅生川の水清き流れ、柳青める土手の遺、橋の欄干にいたるまで詩情がただよっていた。春にはみごとな花を咲かせるであろう桜並木もうるわしく、まことに文学的かおり豊かな印象をうけた。
 そうした環境のせいだろうか、岡崎に住む人々も、どことなく名小説家のような(笑い)、女性でいえば樋口一葉(爆笑)とでも表現したいようなふぜいの方がいらっしゃる。また、妙法の竹千代も、広布の家康も多くおられるにちがいない。
 また、公園にみごとな藤棚の一角があった。花咲く季節ともなれば、その美しさはいかばかりかとながめていると、学会の婦人部の方がそばにこられた。一人は地区担当員さん、もう一人は藤棚のそばに茶店を営んでいるというおばあさんであった。聞くと年齢は八十八歳だという。今なお元気に働かれている。信心の輝きに満ちたすばらしい顔に、私は心から感動した。
 ゆっくり懇談する時間はなかったが、地区担当員さんともいっしょに記念撮影をした。短時間ではあったが、忘れることのできない出会いとなった。このおばあさんに「春夏秋冬、いつまでもお達者で」と何かに書いて贈りたいと思った。
 人はだれしも年をとると、色心ともに衰えていくのは仕方のないことである。そうしたなかで妙法を持った一人のおばあさんが、生きいきと働いている姿は、まことに尊いし、うれしい。
 学会には、とうぜん、お年寄りも多い。しかし信心で磨きぬかれた年輪をうつす顔は、男性にせよ、女性にせよ、ふしぎなくらい美しく、いい顔をしていらっしゃる。そうした尊い存在をどうか心から大切にし、敬愛し、また誇りにしていっていただきたいと思う。
2  二十五周年の起点となった岡崎支部の結成は、昭和三十六年の四月十四日であった。この日、岡崎市の勤労会館(当時)で行われた結成大会には、私も出席させていただいた。
 初代支部長は故鈴木儀尾さん、そして初代支部婦人部長は大竹いしさんであった。この席にも参加されている大竹さんは、現在も県指導委員として若々しく活躍されている。
 また、草創期から活躍されている一人に加藤すみ子さんがいる。この方も圏指導委員として元気に活動されている。これほどうれしいことはない。私はこうした多くの方々を存じあげているが、やはり純粋な信心を貫いた人は生涯、生きいきと、尊き充実の人生を全うできるものなのである。
 また、昭和四十三年十月には、第一回中部芸術祭を岡崎市民会館で開催。じつに感動的な祭典であったことを記憶している。
 とくにハイライトの舞踊劇「竹千代」は圧巻で、今なお印象深く残っている。中部、とりわけ岡崎の全同志の強盛な信心が結晶したみごとな舞台であった。この大成功が、今日の岡崎広布の大発展への節となったといえよう。
 この、芸術祭のあと三ヶ根山に登った。その山頂で売店を営んでおられた故本田敏男・志づ子さんご夫妻も、忘れることのできない懐かしき同志である。今も勤行のさい、ねんごろに追善の題目を送らせていただいた。
 当時、三ヶ根山に住んでおられた方々を中心に「三ヶ根グループ」が誕生している。さらにこの席を借りて第二期「三ヶ根グループ」発足の決定をさせていただきたいと思う。
 また、五年前には、総本山へ向かう途次に、岡崎市内の石川さん宅に立ち寄った。このご一家も、今も変わらず広布の第一線で明るく活躍されているとうかがった。
 岡崎の皆さま方の健在な姿を知り、これほどうれしいことはない。いつまでもお元気で、広布の戦いを進めていただきたいと願わずにはいられない。
3  知将・徳川家康が生まれ育った地であるせいか、岡崎の人たちには知性的な方が多いようにお見うけする。このすばらしき国土から、愛知広布を担いゆくカある人材も、さらに陸続と輩出されていくにちがいない。
 どうか、岡崎は「偉大なる愛知」建設の波動を広げゆく震源地として、今後もいっそうの発展と躍進を遂げていかれるよう、心から期待してやまない。

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