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日蓮大聖人・池田大作

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広島広布三十周年記念勤行会 魂のある青春は人生を不滅に

1986.6.23 「広布と人生を語る」第9巻

前後
1  昨年の第六回世界青年平和文化祭では、広島の皆さま方にたいへんにお世話になった。この席をお借りして、SGI会長として衷心よりお礼申し上げたい。
 どうか自分自身の充実と向上のための、広布の活動であっていただきたい。また、自分自身の健康のための活動であっていただきたい。一人ひとりの日々の仏道修行、また自身の向上が、すなわち地域広布の前進につながっていくのである。この決意で、日々のご健闘をお願いしたい。
 信心の団体である学会には、学会の行き方がある。御書に仰せのとおりに、正しき信心と広宣流布の正しき道を進みゆくのが私どもの使命である。また牧口先生、戸田先生が示し築かれた「仏法中道」の大道を、継承し、歩みゆくのが、第三代である私の重大な役目だと思っている。その責任と使命に立って、あらゆるものを超克しながら、私は広布と信心のために進みたい。皆さま方の激励にも走りたい。
2  先覚の同志の功労に感謝
 広島広布の三十周年の歴史は、その淵源をたどると、大阪から出発し、その弘教の足跡が中国方面へと伸び、大阪支部から岡山支部の誕生へと発展している。
 岡山支部の初代支部長、支部婦人部長は、山田徹一・郁子さんご夫妻でぁった。その意味でおふたりは、中国にとっても大切な功労者であり、大功績者である。その名は永久に中国広布の歴史に輝いていくであろう。
 その岡山支部が誕生して一か月後に、岡山支部所属の地区が広島に結成された。当時、約八百世帯の陣容であったと記録されている。
 初代の地区部長・地区担当員は、高田ひとし・雅子さんご夫妻であった。ご主人の螢さんは十八年前に亡くなっている。ただ今、生前の活躍をしのび追善の勤行をさせていただいた。また、夫人の雅子さんは、八十歳を過ぎてなお信心に励み、ご長寿の人生を歩まれているとうかがっている。私はたいへんにうれしく思い、ご多幸を心からご祈念させていただいた。このおふたりが基盤となって、広島の今日が築かれるにいたったわけである。
 このように広布の歴史をふり返ってもわかるように、妙法の世界は、はじめは無名であっても、歴史をへるごとに、また年月とともに、その名が光り輝いていくものだ。それは、世間的な名声ということと、いちじるしい対照をなしているといってよい。
 そういう意味で、高田さんご夫妻の名も永遠に広布の歴史に刻まれていくことは疑いない。
3  私どもが御書を拝して知った四条金吾や富木常忍、南条時光といった人人も、当時は無名であったかもしれない。だが今では世界中の同志にその名が知られている。このように、時とともに深く、その名が歴史にとどめられていくのが信心の世界なのである。
 逆に、多くの同志にお世話になりながら、恩を仇で返すような人は、はじめは事なきようであっても、あとになればなるほど自ら後悔の念を強めていかざるをえない。まことに哀れというはかないのである。
 ともあれ、昭和三十一年の八月に岡山支部が誕生し、九月に広島地区が結成されてから、本年でちょうど満三十年の佳節を迎えることから、本日、その意義の一端を申し上げたしだいである。
 広島地区が生まれた翌三十二年六月には、福山地区が誕生。また同年十一月には学会の寄進により広島初の正宗寺院「興福寺」が落慶している。
 そして三十三年には男子部、女子部の最初の部隊がそれぞれ結成された。きょう、ここには初代の女子部部隊長であった水野(旧姓・松本)なつ子さんが出席されている。現在も圏副婦人部長として活躍されていて、私も心からうれしく思っている。
 当時は、学会の草創期であり、今日の堅固なる基盤をつくるためにも、広布の戦いはたいへんな苦労の連続であった。また指導も厳格にならざるをえなかった。水野さんはそのなかにあって今日まで立派に信心を貫かれてきた人である。青春を広布の使命に生きぬいたその尊い姿に、私は心からの称讃をおくりたい。
 現在は、こうした草創の同志の方々のご苦労により、広布の環境は飛躍的に前進し、ととのったといってよい。この盤石な広布の基盤を築いてくださった全同志の功労を、いかなる時代になっても私どもはけっして忘れてはならない。ましてや多少の苦労があるからといって不満をもらすようでは、先輩たちに申しわけないと思う。
 そして、昭和三十四年の十一月十二日、広島支部が誕生。その結成大会には私も出席させていただいた。初代支部長・支部婦人部長は福島峰夫・ムツヨさんご夫妻であった。その後、角星マサノさんも支部婦人部長として活躍された。この三人の方々も、けっして忘れることのできない大功労者である。
4  指導を進めていくうえで、その国の国民性、また各県の県民性というものが、ひとつの参考となる場合がある。もちろんそれはけっして固定的なものばかりではない。また東京でいわゆる三代住んだ生粋の”江戸っ子”があまりいないように、現在では各地とも根っからの在住者は多くないかもしれないが、広島県人の気質を考えてみると、広島の人は”明るい淡泊さ”があり、”怜例”であるとよくいわれる。またある心理学者は、”勝気”で”楽天的””とっつきやすい”と評価していた。
 私もうなずける点がある。また広島県の男性は野間県長に代表されるように、精悍な顔をしている人が多い。(爆笑)男らしく頼もしいと私は思っている。なお広島の気質で短所についても、私はさまざまな意見があることを知っているが、ここでは省略させていただく。(爆笑)
 歴史をふり返ったとき、広島からは、多くの人がハワイをはじめ海外各国へ移住している。日本で一番多いともうかがったことがある。経済的な背景もあったようであるが、そこにも”決断が早い”また”新しい環境に比較的早くなじめる””積極的である”等の気質があらわれているといわれる。
 現代においても、広島出身の大勢の方々が各界に幅広く活躍されていることを私もよく存じあげている。
5  法と社会と人のための貢献を
 日本の広宣流布の基盤も皆さま方のお力によって確立されてきたと思う。来年はさらに世界の広宣流布の基盤を築くため、人類の平和・文化のために活躍させていただきたい。
 ルーマニアの著名な文学者にゲオルギウという作家がいる。私は三年前、ルーマニアを訪問し、数人の詩人・作家グループと懇談したが、氏には会うことができず、たいへん残念な思いをしたものである。
 彼はその著作のなかで、ルターの言葉を引き、こういっている。
 「どんなときでも、人間のなさねばならないことは、”たとえ世界の終末が明日であっても、自分は今日、リンゴの樹を植えることだ”」と。
 まことに含蓄のある言葉であり、仏法の「臨終只今」の志向性にも通ずる内容をもっているといえよう。
 つねに思うことであるが、人間と生命を洞察した一流の人物の言葉といぅものは、ぜんぶなんらかの意味で仏法に接近し、その真理に肉薄している。逆にいえば、いかなる聖賢の言葉も、広大な仏法の世界のたなごころにあるものであり、その一部であるといえよう。
 この言葉のように、私どもはつねに、最後の最後まで、価値あるなにごとかを成していこう、という真摯なる歩みをとめてはならない。たとえ絶望的とさえみえる病床にあっても、「臨終只今」の決意で唱題し、法を説き、家族と友人を逆に励ましていける自分でありたいものだ。
 また生死は三世永遠にわたる生命の旅路である。ゆえに、最後の一瞬まで、絶望に陥ることなく、つねに”一歩前へ”と明るく希望をもって生きぬくことができれば、それ以上の幸せはない。さらに最後の最後まで、人人のため、法のためになにごとかを残し、なしていく――これが仏法の教える生き方であり、また人間としてもっとも正しき道であるといえよう。健康な姿であれば、なおさらのことである。
 ゆえにたとえ、なにごとがあったとしても、「自分は今日、リンゴの樹を植える」――なすべきことを、なすべきときに立派に行っていく、というこの言葉から、なんらかの人生の示唆をえていただければ幸いである。
6  学会もすでに創立五十周年を過ぎた。そのなかで、多くの功労ある年配の方々も、尊い生涯を終えられている。そうした方々の臨終の姿というか、来世への旅立ちの姿を、私は数多く聞いている。
 静かに唱題して心残りなく亡くなる方もおられる。また「広宣流布万歳」「同志の皆さまによろしく」「兄弟仲良く広布に頑張りなさい」「学会の永遠の発展を」等々との言葉を残して旅立たれている方も多い。
 こうした賢人にも劣らぬ最期の言葉を残し人生を飾っておられる姿を伝え聞くたびに、まことにすばらしいことだと感動を禁じえない。世間では、とかく偉人や有名人の言葉を、すばらしいと書き残し、紹介するものである。しかし無名の人々が、賢人、偉人と同じく、いな、それ以上に立派な言葉を残し人生を終えている事実を、最大の敬意をもって私はたたえたい。
7  とくに若いリーダーに言っておきたい。これからの時代は若きリーダーに託していく以外にない。ゆえに私は、若き指導者の成長と活躍に大きな期待を寄せている。
 今の私どもには、さまざまな非難や迫害はある。しかし、それはナチスの迫害にくらべればたいしたことはない。フランスのポエール上院議長と懇談したさいにも、ナチにとらわれ、あわや銃殺という危難を受けたことを聞いたし、亡くなったぺッチェイ博士も、死を覚悟するほどの迫害をうけている。いずれも自らの信念のままに卑劣なる迫害と戦いつつ、生きぬいてきた人たちである。
 ドイツの作家であり、医師でもあったカロッサは、第二次世界大戦の折、ナチス・ドイツの圧迫を受けながらも、ファシズムの吹きあれる暗黒の時代をじっと耐え忍び、誠実に生きぬいた。
 彼の言葉に「魂のこもった青春は、そうたやすく滅んでしまうものではない」とある。
 自由に、おもしろ半分に人生を、青春を謳歌することもいいかもしれない。しかし、正しき法に則って、正しき人生を志向しながら、人々のため、社会のため、汗を流し、貢献していく。そのような青春の魂は、生涯を光輝あるものとする”黄金の魂”であるといえる。その魂のある人は、いかなる境遇にあっても人生を輝かしていけるものだ。逆に、青春時代に”死んだような魂”しかもちあわせていない人が、どうして偉大なる人生を生きていくことができようか。
 その意味で、このカロッサの言葉は、青年たちにひじょうに大切なものを教えてくれていると思う。
 私も、青春時代、また現在まで、死にものぐるいで青春の魂を燃やし、広布のために戦ってきた。魂のこもった青春を生きてきた。ゆえに私にはなんの悔いもない。
8  日蓮大聖人は、まことに多くの御手紙を著され、門下に与えられている。その長き御一生においては、連日の激闘で、心身ともに極度の疲労を感じられたときもあられたと思う。そうしたさい、しばしの休息を願われたこともあったのではないか。しかし、大聖人は、いかにお疲れであっても寸暇を惜しんで御抄を執筆され、門下の一人ひとりに送って激励されたわけである。
 こうした御本仏の大慈大悲の御振る舞いにふれるたびに、私どもも信心の姿勢を厳しく正していかなければならないと痛感する。
 信心の指導者が、信心指導をしなくなれば、すでに指導者の資格はない。正法の信徒が、信心を失えば、それはもう正法の信徒とはいえない。
 同じく、学会の幹部が後輩たちの育成を忘れ、薫陶を怠ってしまえば、もはや幹部とはいえない。地涌の菩薩の眷属が広宣流布への実践を忘れてしまえば、もはや地涌の眷属ではないのである。
 ゆえに私は、どんなにつらいときにも、友のため、民衆のために奔走しぬくことは、広宣流布の指導者としてとうぜんのことと考えている。若きリーダーの諸君も、この点を深く銘記してほしい。
9  一人のときに強き勇者たれ
 シラーの戯曲『ウィリアム・テル』のなかで、主人公のウィリアム・テルは”強者は一人でいるときが一番強い”との信念の持ち主として描かれている。まことに真理をついた言葉と思う。
 人間というものは、大勢のときは、安定した強い心持ちでいられるものだ。しかし、一人になると、寂英とした感情におそわれ、日ごろの決意や信条も揺らぎ、弱くなってしまうことが多い。
 こうしたときに、どれだけ強靭に、自身の信念をたもち続けることができるか。また、いかに孤高を強いられる状況におかれても、一人の信仰者として、また一人の広布のリーダーとして、さらには一人の赤裸々な人間として、どれだけ強く生きぬくことができるか。ここにいっさいの勝利と敗北を決するカギがあることを知っていただきたい。
10  また、ドイツの文学者であるシラーとゲーテとの、純粋にして強き友情は、歴史上、有名である。その往復書簡は千通にも及ぶという。
 ゲーテはシラーを評して「いったん決心したことは、徹底的にやりぬく男だった」と語っている。
 これも、私どもにとっては、じつに示唆に富んだ言葉といえる。人から何か言われたり批判されたりして、心をかんたんにひるがえすようであっては、けっして一流の人物とはいえない。私どもの立場でいえば、役職があるときは一生懸命活躍して、役職がなくなると信心も活動も止めてしまうようではほんものではない。
 さらに、シラーの言葉に「勇敢な男は、自分自身のことは最後に考えるものである」という一節がある。私自身好きな言葉である。
 これは、十界論からみれば、菩薩の傾向性を言い表しているともいえる。つねに、人のため、社会のため、法のために生きながら、最後に自分のことを考える――それが真の男である、との言である。
 といって、自らの仕事、生活、家庭を無視し、ないがしろにしていいということではない。あくまでも、人間としての生き方、その精神的姿勢を意味しているのである。その点を誤解してほならないと思う。
11  ”心堅固な人”を諸天は守護
 この広島には由緒ある広島城がある。城といえば、わが一家も城である。わが職場も城である。また学会の会館等も城である。広布の組織も城である。何より自分自身こそ、立派に築きあげていくべき、広布と人生のための大切な”城” であるといえよう。
 大聖人は、摩訶止観の言葉を通し、城の「主」がいかに大切かを教えられている。すなわち「城の主たけければ守る者も強し城の主おずれば守る者おそる、心は是れ身の主なり同名同生の天是れ能く人を守護す心固ければ則ち強し」云々と。
 「城の主」すなわち指導者が勇敢なときは、守る者も強い。指導者が臆すれば、守る者も恐れる。これはリーダーの「一念」がいっさいを決定していくことを教えているといえよう。
 次に「心は是れ身の主なり」とあるのは、わが身、わが生命を「城」とした場合には、その「一心」「一念」が、城の「主」となる。同名天・同生天は、影の身にそうごとく離れず、善人を守護するために働くが、身の「主」である「心」が堅固なときは、天の守りもまた強いと述べられている。
 ゆえに、強盛なる信心の「心」、確信の「一念」、広布に生きゆかんとする「一心」、その「心」の強い人をこそ、諸天は強く守っていくのである。このことを深く銘記していただきたい。
 逆に「心」が弱ければ、いかに御本尊に祈り唱題しても、諸天の守りは少ない。ゆえに信仰は形式でなくして、真の信仰の「一心」「一念」が大事なのである。
12  私も、この教えを心肝に染めて、今日まで何ものにも臆せず進んできたつもりである。
 その途上には、ささいな難に臆し、信心を捨てた人もいる。反逆した人もいる。しかし、そうした人々の多くは、今になって深くわが身の臆病を悔いている。三世永遠の立場からみた場合には、一時の難や苦しみなどというものは、一瞬のことにすぎない。ゆえに、目先のことで、信心を退することほど愚かなことはない。信心と人生に断じて悔いがあってほならない。
 どうか、すべては御書に仰せのとおりであり、御本尊がお見通しであることを確信し、生涯、広布と自身のために、勇気ある信心の行動を貫いていただきたい。また広布の「時」を知り、勇んで仏道修行に精進していっていただきたい。最後に、広島県の前途洋々たる栄光と凱歌を心よりお祈りするものである。

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