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日蓮大聖人・池田大作

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「初代会長牧口常三郎先生誕生日」記念勤… ”大理性””大感情”の人に

1986.6.6 「広布と人生を語る」第9巻

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1  牧口先生が初代会長に就任されたのは五十九歳。戸田先生が第二代会長に就任された年は五十一歳であった。第三代の私が三十二歳。第四代の北候会長が五十五歳。第五代の現秋谷会長は五十一歳であった。こうしてみると、会長就任は私がいちばん若かったのに対し、牧口先生がいちばんのご年配であったことになる。
 教育者であり、謹厳実直なお人柄の牧口先生のもとには、教育者が多く、優秀な人材も数多く集った。今は牧口門下の方々も年配になられたが、牧口門下生の方々の活躍によって、今日の広布と学会の土台が築かれてきたことはまざれもない事実であり、私どもはその功績をけっして忘れてはならない。
2  牧口先生は、教育の分野においても偉大な先覚者であった。
 余談になるが、じつはきょう、アメリカのサンアントニオ市の市長とお会いしたが、サンアントニオ市には、地理学者として知られる志賀重昂氏の建立した碑がある。この志賀重昂氏と牧口先生は、たいへんに近しく、深い交流があった。志賀氏は牧口先生の『人生地理学』を高く評価し、序文を寄せている。
 牧口先生のお誕生の日に、先生と関係の深い志賀重昂氏の建てた碑がある市の市長と懇談したことに、なにか不思議なものを感じたしだいである。
3  私は、牧口先生を直接知ることはできなかったが、戸田先生からいろいろと教えていただいた。人生の師弟の絆で結ばれたお二人は一体であった。その戸田先生の言葉を、いくつか申し上げておきたい。
 戸田先生は、しばしば、大衆は、指導者によってどうにでも動いていく場合がある。ゆえに、中心に立つ者の言動がもっとも大事になる。また、民衆を味方にしていかねばならない。民衆を断じて軽んじてはいけない、という趣旨の話をされていた。
 この指導は、牧口先生がその姿をもって戸田先生に教えられてきたことであり、戸田先生が、ありし日の牧口先生を慕いながらいわれた言葉である。
 いわば、この戸田先生の指導は、牧口先生の生き方そのものであったのである。
 今日の創価学会の盤石な基盤がつくられたのは、根本は、御本尊、日蓮大聖人の仏法の偉大なる御カであり、その正法正義を厳護してこられた日蓮正宗があったからであるが、さらに牧口先生の、そうした確固とした生き方があったがゆえに、今日の学会の、広布の盤石な基盤ができ上がったのである。
 私は、つねにそのことを思い、牧口先生に最大の感謝をもって、日々、題目を送らせていただいている。
4  牧口先生のご生涯をしのぶとき、思い起こす、戸田先生のもうひとつの有名な指導がある。それは「偉大なる感情には、偉大なる理性が宿るものだ」ということばである。一般に「理性」と「感情」とはたがいに相反するものと考えがちだが、そうではない。じつは「大理性」と「大感情」とは相ともなう。すなわち、社会や人類を憂い、救済せんとする真正の「大感情」には、同時に大きな「理性」がともなっている。日蓮大聖人の御心は、もっとも偉大なる「感情」であり、同時にもっとも偉大なる「理性」であられる”との指導である。
 一般に、世間の学者と呼ばれる人々のなかには、理性的ではあるが、感情は冷たく、乾いているような人もいる。一方、感情は豊かであるが、裏づけとなる確固たる理性がともなわない人も多い。
 しかし、正しき指導者は、またこの人生、社会で大いなる仕事を成し遂げていこうとするものは、この両者を兼ねそなえていなければならない。
5  その究極は、もったいないことであるが、いうまでもなく御本仏日蓮大聖人のお姿のなかにあるといえよう。大聖人は生涯、立正安国、人類救済への行動に貫かれた「大感情」の人格であられるとともに、御書を拝しても明らかなように最高の「大理性」の存在であられた。
 牧口先生もまた、「理性」と「感情」をあわせもった方であったといえよう。一見、まことに厳格な風貌であるし、理性のみの人であるように見えるかもしれない。しかし、獄中に尊き殉教の一生を終えられるまで、広布の大感情で法戦に邁進されたのである。
 また、戸田先生も数学教育の大家であり、万般の学問に通じた知性派でった。その一方、広布と人生の歩みにおいては、まさに熟き「大感情」そのものの行動であった。
 私どもも大聖人の門下として、また先覚のお二人に続く者として、「大理性」とともに「大感情」の人生でなければならない、と申し上げたい。
 すなわち、仏法の厳正なる法理に則った「大理性」のうえに立って、広宣流布、立正安国という「大情熱」の行動を、生涯くり広げていく――このように、両者がもっとも価値あるすがたで兼ねそなわり、融合・昇華されゆくところに、最高の生き方、人生の歩みがあると信ずる。
6  人生における師弟の姿に学ぶ
 ともかく戸田先生が牧口先生をどれほど尊敬されていたかは、他の人には想像を絶するものがあった。
 かつて戸田先生の奥様からうかがったことがある。先生と食卓をかこんで懇談していたさい、奥様がごくしぜんに「牧口さんは……」と言われたら、戸田先生は「私の師匠を牧口さんとは何ごとか」と烈火のごとく怒られたという。それほど、師匠を大事にされ、深く深く尊敬されていたわけである。
 こうした、戸田先生の牧口先生を「師匠」と仰ぐ精神が基盤にあってこそ、今日の盤石な学会が築かれたのである。今日まで学会は、幾多の波浪の海と険しき山々を乗り越えてきたが、微動だにもしなかった。それも、すべて信心の結晶と人生における「師弟」の精神が基本となってきたからである。
7  開目抄の「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」との御文は、日蓮大聖人の仏法を広布せんと念願する牧口先生が、つねに座右の銘とされていた御金言であった。
 ゆえに、無認識と悪意に満ちた雑言を信じ、自分のエゴと名聞名利で右往左往する姿があるなら、それは恥ずべきことであり、まして正法に殉教された牧口先生の兵の門下とはいえないのである。
 牧口先生は、この「開目抄」の御文どおり、大聖人の仏法のためならば、いかなる非難、迫害も恥ではない、との決意に立ち、一身をなげうたれたのであった。
 私は戸田門下生であり、牧口門下生ではないが、御本尊と広宣流布のためならば、いかなる非難、迫害も恥ではないとの牧口先生のご精神のとおりに実践してきたつもりである。その意味からいうならば、牧口先生とも人生のうえにおける師弟不二であったと確信している。この強力な決意と実践がなかったら、広宣流布という尊い聖業を推進しゆく創価学会の第三代会長としての重責を担い立つこともできなかったであろう。
 また戸田先生は、牧口先生について「聖人にはめられたるこそ第一の光栄なりとのご信念にもとづいて、妙法の広布のゆえに牢獄の露と消えられたのである。日蓮大聖人の仏法を信ずる者にとって、これこそ第一の亀鑑であると信ずる」と述べられ、偉大な人生の師である牧口先生を称讃されるとともに、弟子としての道を全うされようとするご決意を披渡されていた。
 この戸田先生の精神を、皆さま方も深く肝に銘じていただきたい。
8  どうか牧口先生にご縁のある方々、戸田先生にご縁のある方々、ならびに私にご縁のある方々は、すべては牧口先生、戸田先生が歩んでこられたなかに仏法実践の真髄があることを忘れず、またそれが人間としてもっとも尊い大道であることを確信していただきたい。そうした皆さまのお姿を、どれほどか牧口先生は喜んでくださることか、いな日蓮大聖人もかならずやお喜びくださることであろう、と申し上げておきたい。

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