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学会本部常住御本尊御下付35周年記念勤… 妙法は悲劇の歴史から幸福の歴史へ

1986.5.18 「広布と人生を語る」第8巻

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1  この学会本部常住の「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊は、ご存じのように昭和二十六年五月三日、戸田先生の会長就任式が常泉寺(東京・墨田区)で行われ、その直後、戸田先生が願主となって御下付をお願いしたものである。そして、総本山大石寺において御法主日昇上人より直接、戸田先生に御下付いただいている。
 この学会本部の常住御本尊御下付の請願については、私たちも心から賛同し、またその御下付はたいへんに意義深い、思い出を刻んだ儀式であった。
 私が御下付いただいた御守り御本尊も、戸田先生が会長に就任された昭和二十六年五月三日の、日昇上人おしたための御本尊である。不思議な時の一致であると痛感している。
2  日昇上人は第六十四世の猊座に登られた方で、御歴代の御法主上人はみな学会を深くご理解くださっていたが、ことのほか学会を愛し、大切にしてくださった。そのお人柄、お振る舞いは、まことに尊敬すべき猊下であられた。
 私もよくお会いする機会に恵まれ、旧学会本部でも戸田先生とともに、猊下をお迎え申し上げたことを覚えている。
 あるとき、日昇上人は、もったいなくも私に「あなたは、四条金吾が大聖人を命を賭して守ったように、広宣流布の指導者であり、皆さま方の師である戸田先生を命を捨ててお守りになられましたね」と言われた。その御言葉は、私にとって最高の誉れであり、最大の讃辞をいただいたと、いまでも深く心に刻まれている。
 その日昇上人が、学会を深く愛され、ご理解くださり、この「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊を御下付くださったのである。
 そして、この御本尊を戸田先生から私ども弟子がお預かりして、御本尊の脇書きに恥じないように正法の広宣流布に邁進して三十五年――この間、本部常住の御本尊をお守りくだきり、広布への誓いを果たしてくださった幹部の方々、ならびに全会員の方々の幸福を、私は心から御本尊にご祈念し、また深く感謝申し上げさせていただいた。
3  四谷の歴史
 日ごろから会長、理事長らとともにたいへんお世話になっている四谷本部の、広布への活躍を後世に残しゆくためにも、「四谷」の歴史についてお話ししておきたい。
 四谷というと「四谷怪談」を連想するかもしれない。(笑い)しかしこれは創作話であるようだし、じつはこの地にはたいへんにロマン豊かな歴史があると聞いている。
 四谷の語渡には「四谷」と「四屋」の二説がある。「四谷」との説は、東西南北の四方に谷があったところに由縁があり、「四屋」説は、梅屋、木星、茶屋、布屋の四軒の茶屋があったことに語源を求めているようだ。
 また、かつてこの地は、尾花(ススキの穂)が一面に生い茂る草原で、秋などは朝霧がこの尾花にかかり、キヲキラと秋風に波打つ光景は、ちょうど潮の満ちてくる海原のようであったという。そこから、この一帯は「潮踏の旦」と呼ばれ、その野原を通る甲州衝道は「潮踏の路」と名づけられていた。
 いかばかりか美しく、また四季のロマンかおる明美の地であったことか。その美しさを、多くの詩人たちが、花鳥風月の心に託し、歌い、たたえたことと思う。
 それが、時代とともに変貌し、いまや大ビジネス衛となった。その過程で豊かな自然が破壊されたことは、まことに残念なことである。
 しかしながら、人々の生命のなかには、美しき「四谷」のロマンと歴史がいまも生きているし、また永遠に生きつづけていくにちがいない。
 さらに三世永遠の法である妙法に生きゆくならば、自身の生命の宮殿に、世界、宇宙にも広がりゆくかぎりなきロマンの沃野を開くことができる。生命の王宮に妙なる妙法の調べが鳴り響き、自身をロマンの花園に自在に遊戯させゆく最高の人生遠を歩んでゆくことができるのである。
 ここに、妙法の不可思議と無限の大功力があることを知っていただきたい。
4  天正時代、豊臣秀吉が小田原征伐の恩賞ということで、徳川家康に関東の経営にあたらせることにした。小田原にいた家康は、家臣の内藤清成に命じて江戸を調査させた。清成は、自分一人ではよくわからないので「よつや」の五郎兵衛に案内させながら調べている。そのときのもようを記した清成の『天正日記』に.「よつや」という文字があり、これが初めて「よつや」が出てくる文献とされている。
 また、江戸時代にあっては、甲州街道の四谷が、戦略上の要路であったために、四谷大木戸が設けられた。この大木戸は午前六時から午後六時まで開かれ、往来する人々の取り調べが厳しく行われていた。その後、四谷御門ができてからは、大木戸の任も軽くなり、ゆるやかになったという。
 また、江戸における町の発達と人口の増加により、多摩川から水を引いた「玉川上水」をつくることになった。この上水は、玉川兄弟によってつくられたのでこの名があるが、多摩川上流の羽村を取り入れ口として、四谷大木戸まできていた。そして、江戸の人々の水をまかなっていたのである。
 四谷は、こうした歴史を刻みながら、時代の変遷とともに発展をし、今日ではこの地に、学会本部を擁する広布の中心拠点である四谷本部ができているわけである。
 どうか、この意義深き地で清躍されている皆さま方の、ますますのご精進を心から念願したいし、皆さま方のご長寿とご健勝、そしてすばらしき人生を深く祈ってやまない。
5  人類の幸福、平和の実現めざして
 これまでの数千年に及ぶ人類の歴史は、ある意味では殺戮と破壊の悲劇の歴史であった。戦火は絶えることなく、安定した平和な状態というものはなかったといって過言ではない。しかも現代は核兵器を生み出し、人類の生存そのものを脅かすにいたっている。かりに核戦争は起こらないとしても、人類の前途が無限に平和で、だれもが安心していられるかというとけっしてそうではないのである。
 たとえば、一つの原発の事故があっただけでも、多くの人々がガンに脅かされたり、放射能汚染の後遺症で亡くなる可能性がある。
 このような状況のなかで、いわば悲劇の歴史から絶対的な幸福の歴史へと時代を転換していく、その根本的な歴史転換をもたらすものこそまさしく妙法の広宣流布である。その運動は遠回りのようであるが、これ以外に人類の幸福を決定し、人類を救済する永遠の方途は断じてないといってよい。他にはそれだけのカある思想・哲学もなければ、宗教もない。それが現実である。
 そのことを考えたとき、人類の幸福、平和の実現への基本となる方法、実践は、日蓮大聖人の仏法を弘めていくことに尽きる。日々、その実践に励んでいるのが私どもなのである。
 それゆえに、大法を受持した使命ある私どもは、生きて生きて生きぬいていかなければならない。
6  「生死」ともに妙法のリズム
 摩訶止観に「起は是れ法性の起・減は是れ法性の滅」と述べられている。
 この文の「法性」とは妙法蓮華経の意味であり、「起」すなわち生も、「滅」すなわち死も、ともに妙法蓮華経の「起滅」であるということである。
 妙法を信受し、妙法を唱え、妙法を実践していく姿――三世永遠にわたって妙法とともに生きぬいていくことが、無上の幸福と生命充実の歩みなのである。
 つまり個人の人生、「生」の姿でいえば、これ以上はないという生命の満開の人生を満喫していくことができる。小は一細胞から、自己の全生命、生活はもちろん、一族、国土をもつつみこんで、瞬間、瞬間、妙法のリズムに融合した、かぎりない生命の開花と躍動と充実がある。すべてが最大限に生かされ、何ひとつムダがない。これが「起は是れ法性の起」という法義の証の人生といえよう。
 そして、一日の使命を終えた夕日が荘厳に燃えつきていくように、やがて「死」の時を迎える。これも「減は是れ法性の滅」で、もっともふさわしい時に適合した、もっともふさわしいリズムで、次の新たな躍動の生命への出発をしていくことができる。
7  すなわち、すでに今世の使命を果たした以上、疲れた色心を、死によって、今再びはつらつとした生命とし、人生を満喫していった方がよい――という、まさにその時に、まことにしぜんに、この一生を終えていくことができるわけである。
 たとえ表面的には、病をえ、またさまざまなかたちの死であったとしても、妙法とともに生きぬいて一生を飾った場合には、「法性の滅」の法義にのっとって、心から安らかに、後事の憂いもなく、永遠の生命の躍動のために、充電の眠りに入っていけるわけである。そして、ふたたび御本尊の御許に生まれてきて、自分の希望のとおりの、もっともふさわしい次の使命の人生をスタートしていけるのである。
 ゆえに、御本尊から離れてはならない。もし、御本尊から離れるようなことがあれば、事のうえで一念三千、十界互具の当体ではなくなってしまう。
 その意味からも、最後まで退転することなく、南無妙法蓮華経を唱え、自行化他にわたる生命の活動を推進していくことが大切である。妙法につらなった人には、けっして損はない、ムダがないのである。すべて、妙法のカによって活かされていくことを確信していただきたい。

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