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日蓮大聖人・池田大作

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「5・3」記念中部の各賞合同授賞式 歓喜で広宣流布を

1986.5.7 「広布と人生を語る」第8巻

前後
1  本日は、広布に活躍してこられた功労の方々をお迎えし、ともに勤行・唱題し、御本尊に深く、皆さま方のご健勝とご多幸、中部広布の前進を祈念させていただいた。
 皆さま方は、この中部の地で広宣流布のために、努力と忍耐と信心で懸命に戦ってこられた将のなかの将である。その輝く大指導者である皆さま方をたたえるために、せめてもの真心として「5・3」の意義深き節に、後世の歴史に残させていただきたいとの思いで、ともに記念撮影におさまったしだいである。
 今年秋の世界平和文化祭では、海外から四十三か国二地域、約千人の友を迎えることになっている。幹部や青年部をはじめ開催地の皆さま方には、さまざまにお骨折りをいただくことになるが、なにとぞ大成功で行われるよう、SGI会長としてくれぐれもよろしくお願いしたい。
2  唱題行こそ大歓喜の因
 大聖人は御義口伝に「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」と仰せである。
 たいへんに簡潔といえば簡潔な御文であるが、深遠といえば、これ以上深遠な御文はないと思えるほど、じつにはかりしれない深義が御教示されている。
 「歓喜」とは幸福ということでもある。たとえば、映画を見たり、音楽を聴いたりする。また、博物館や展覧会に行って絵画などを鑑賞する。そこにも、それなりに楽しみや喜びがあろう。
 あるいは、恋愛も喜びかもしれない。夫婦仲や親子の仲がいいことや、出世すること、商売、仕事が順調にいくことも喜びであるにちがいない。人生には、さまざまな喜びがあるものだ。
 しかし、生命と宇宙とを貫いた法則に則って、根本的な喜び、すなわち「大歓喜」というものをつくりあげていくには、南無妙法蓮華経しかないのである。常住不変にして永遠の喜びである「大歓喜」は、大御本尊に題目を唱えていくなかにあるとの仰せであると拝せよう。
 したがって、いかなる理由があっても、絶対に退転してはならない。それは大歓喜の道を自ら閉ざしてしまうことになるからだ。
 三大秘法の大御本尊に題目をあげてあげてあげぬいた、その一生は、永遠の福運を積み、永遠の歓喜を築いているのである。つまり、崩れざる幸福となっていくべき根本の因をつくっていることになるのである。その大法に則った私どもの人生を、自ら避けては損である。絶対に信心を避けてはならない。
3  「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」と仰せである。
 有名な御文であり、大聖人の仏法の力用がいかに絶大であるかを端的に御指南されている。
 釈尊が仏に成るまでの無数の厳しき修行も、仏としての功徳も、すべて「妙法五字」すなわち三大秘法の「南無妙法蓮華経」に具足していると仰せである。ゆえに私どもが御本尊を受持し、題目を唱えゆくとき、釈尊の、菩薩としてのたいへんな仏道修行、難行苦行も、仏具にそなわる無量無辺の福徳と歓喜と幸福も、いっさいが自身のものとなり、今世において一生成仏していけるのである。
 これほど簡潔にしてすばらしき成仏への原理、ありがたき法理はない。
 「いよいよよ実なれば位いよいよよ下れり」とあるように、受持する法が偉大であればあるほど、横根が低く難行に耐えられない衆生をも広く救っていくことができる。大聖人の三大秘法の大法が無上道の法であるがゆえに、唱題行というもっとも簡単にして肝要の修行によって、一切衆生を成仏させゆく力があるのである。
 この唱題行が、だれびとにも可能で、あまりにも簡単であるがゆえに、その深さがわからず、大聖人の仏法を軽蔑し、侮辱していく人がいる。また退転していく人がいる。まことにもったいないことであり、大いなる過ちである。
4  どうかいっさいの悩みは、病気であれ、生活苦であれ、人間関係であれ、また苦悩の人々を社会の最前線で救っていく弘教のうえでの悩みであれ、すべてが御本尊への唱題の行によって歓喜の因となっていくことを確信していただきたい。妙法の力用によって、苦しみ悩みを、永遠にわたる歓喜と幸福の原因としていけるのである。ここに信心によって得られた、本有常住の生命の位があり、大我に染めぬかれた実像の幸福があるのである。
 人生の途上にはさまざまな出来事がある。成功、失敗、得意の時、失意の時――。日々、何かにつけ、喜怒哀楽をくり返していく。しかし、これらはみな、時とともに変化していく仮諦の領分であり、幻のごとき無常の現象にすぎない。
 どうか、妙法という大法を受持した皆さま方は、これらの現象を大きく超克し、白行化他にわたる唱題行に徹しつつ、わが生命に確固不抜の信心、大歓喜の境涯を開き、築いていっていただきたい。また、さらにさらに深めていっていただきたい。
 信心にも強弱、浅藻があり、強き信心、深き信心によってのみ、その境涯からほとばしる大歓喜と大確信、そして生涯、永遠にわたる生命の力強き発光があるからだ。
5  反省をふまえ心新たに前進
 中部の皆さまに何点か、お詫び申し上げておきたい。
 お詫びしたい第一点は、昭和三十四年の伊勢湾台風のさいの対応についてである。この台風の被害はまことに甚大であり、東海地方に深刻な爪跡を残した。当時、総務であった私も、急ぎ来名し、激励したつもりであった。しかし、いま思うと、さらに力を入れて、物質的にも精神的にも総力をあげ支援すべきだったと悔やまれてならない。
 その私どもの尽力の及ばないところを、中部の同志の皆さま方が、強盛なる信心で自ら立ち上がり、夫婦や親子、そして同志らがたがいに励ましあいながら、今日の”偉大なる中部”を建設ざれた。あの未曾有の台風の惨状と苦悩のなかから二十七星霜、よくぞこの広布の道を切り開き、栄光の実証を築かれてきたものだ。
 この大いなる功績を、御本仏日蓮大聖人もかならずや讃嘆され、御本尊の加護もいかばかりかと思う。諸天善神が未来永遠にわたり、皆さま方を守護しゆくことは明々白々であることを強く確信する。
6  お詫びの第二点は、多くの要望がありながら、中部の地に創価学園を開校できなかったことだ。東京と関西に創立し、次はぜひ名古屋にも、との思いで土地の検討にも入っていた。しかし、さまざまな事情から、開校を断念せざるをえなかった。このことが現在でも残念でならない。
 幸い、交通網も発達し、中部は東京にも関西にも近い位置にあるので、なんとかご了承を乞うしだいである。
 もう一点、中部で心残りになっていたことは、昭和五十五年の五月九日、自由勤行会が行われたときのことである。
 当時、私は第五次訪中を終え、長崎に入った。そして福岡、関西を経て中部を訪れたあと静岡に赴き、総本山大石寺へ参詣した。私が会長を勇退したさい、全国の方々から十万通を超える手紙や電報をいただいた。そうした方々へお礼を申し上げたいこともあり、この中部の地を訪れ、自由勤行会を開催することになったわけである。
 関西でも七、八万人の方々がこられたが、中部では五万から六万人の会員の方々が集ってこられた。
 しかし連絡の不手際もあったのか、結果として会場も狭く、身動きがとれない。勤行も方便・自我偏の読経と唱題がやっとで、話をする余裕もない。参加者も朝の八時過ぎから夜十時過ぎまで続いていたと記憶している。多くの人々を何時間も待たせてしまった。不平、不満が出るのもとうぜんの状況であった。
 学会の幹部は、仏法者として、会員に奉仕する立場である。会員の方々が安心し、納得し、勇気と希望をもち”さあ、これから、しっかり生活と人生に取り組んでいこう。一生懸命、信心に励み、幸福の道に進んでいこう”というように励ましていくのが、幹部の役目である。
 ところが、自由勤行会では、何時間も多くの方々を待たせてしまい、いやな思いもさせてしまった。これは大きな罪である。私はこれまでこのことが申しわけなく、苦しい思いをしてきた。中部を訪れるたびに、思い起こさざるをえなかったのである。
 本日は、この席を借りて、深くお詫びをしたい。どうか、中部各地の会員の嘗さま方に、その旨をお伝えいただきたい。
 この六年間、苦しい思いできたが、その思いも本日で終わらせていただき、次の七年間は、心も新たに進ませていただきたいことをご了東願いたい。
7  ともあれ、わが妙法の同志である皆さま方は、すばらしい人生、朗らかな人生を築いていただきたい。そのためにも「題目即歓喜」の広布の人生道を、最後まで歩みぬいていくことだ。
 広宣流布という壮大にして確固とした目標をもたない人生は、結局は、萎縮と後退の生き方にならざるをえない。唱題という大歓喜の生命をもたないゆえに、つねに小さなことで不平、不満をもらしつつ、人生を終えてしまうことがあまりにも多い。
 これに対し、妙法弘通という最極にして最大の目標に立った人は、崇高な目的観をもった人である。その題目の大功徳は、現実生活のいっさいの苦楽を、大歓喜へと開いていくことができるのである。
 日蓮大聖人は「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへさせ給へ」と仰せである。
 皆さま方は朗々たる「大歓喜」の唱題とともに、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき」ゆくすばらしき人生道を歩み、栄光の人生を飾りゆかれんことを、心から念願してやまない。
 ともかく、中部にとって本年最大の山である世界青年平和文化祭をみごとに登攀し、一人ひとりが、この一年が五年にも十年にも匹敵したといえる、功徳と人生の深みを刻んでいっていただきたい。

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