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日蓮大聖人・池田大作

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「5・3」記念勤行会 平和と文化の信心の結晶を

1986.4.30 「広布と人生を語る」第8巻

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2  恩師戸田先生は、私どもが広布の法戦に進みゆくうえでの大切な指針として「右手に哲学 左手に慈悲」とおっしゃったことがある。私どものあるべき姿を的確に示された、まことに意義深い言葉として、いまも感銘深く記憶している。つまり妙法広宣に立ちゆく青年は、妙法の哲理を心肝に染め、それを右手にかざし、左手には苦悩の民衆救済へのあふれる慈悲をもって進みなさい、との指針であった。
 この言葉は、かの「田原坂」の「右手に血がたな 左手に手綱」の一節にちなんで、戸田先生が話されたものだ。
 ご存じのとおり、この歌には、西南戦争の激戦地・田原坂で戦い、敗れた青年の心情がせつせつと歌われている。だが、この歌は、戦意高揚のために利用された歴史もあるようだ。
 また「白虎隊」の歴史を美化し、愛国心を養わんとした時代もあった。しかし、少年や青年の死ほど、悲惨なものはないのである。
 絶対に、若き青年たちを犠牲にしてはならない。また、戦争、暴力にも絶対に反対である。これが戸田先生の生涯変わらぬ信念であったし、私もそのために、微力ながら尽力してきたつもりである。
 それだけに、近来の青少年の自殺は、あまりにも痛ましいことといわざるをえない。生命尊厳の深き哲学を、社会全体が見失った証左といえる。
 それにくらべ、妙法を信奉し、最極の生命哲理を学び、実践している私どもは、子供たちの尊い生命を守り、豊かにはぐくんでいく存在でなければならない。ましてや、若人を自分たちの犠牲にするなど、言語道断であると強く申し上げておきたい。
 また、後世のいっさいを青年に託すことは、自然の道理である。一家でも、社会でも、青年はそのいっさいを引き継ぎ、伝えていく存在である。
 広宣流布にあっても同じ方程式であることを銘記していただきたい。
3  戸田先生がつねづね志向しておられた広宣流布のあり方を、現代という時代の要請に即して申し上げたい。
 このことについて「田原坂」の歌にちなんでいえば、広布の展開にとって重要な点は、「右手に平和」「左手に文化」でなければならない。その「文化」と「平和」を築きゆく源泉となるものが、生命の一念、すなわち妙法への強き祈りの一念である。
 また、信心の一念を強くもちながら、「右手に生活」「左手に社会」の自覚で、社会に”生活即信心” の見事な実証を示していかねばならない。その、豊かな人間性と生命の躍動のなかに、仏法を理解させていく時代であると申し上げておきたい。
 文化とは、人間の、人間としての証の華であるといえる。
 過去における仏教文化の興隆についていえば、仏教発祥の地・インドにおいて、釈尊の仏法を根底として、アショーカ大王の時代、またカニシカ王の時代に文化の華を咲かせた。さらに、中国では天台大師の法華経の仏法が興隆し、隋・唐の文化が栄えた。
 日本では、伝教大師の時代に仏教根本の文化が多少とも興隆したといえる。いま皆さんは、日蓮大聖人の仏法を基調とした末法万年にわたる大文化の創造に、先駆をきっているのである。
4  大聖人の仏法は、因果倶時の大法である。その法理のうえから私たちの文化活動を照らしてみるとき、一人の信仰者として行学に励み、広布を展開していくその活動じたいが因となって、そこにそのまま文化の華を開いていく――ここに正法を根底とした文化創造の営みがあるといってよい。
 もちろん、大聖人以前の仏法にも因果律を説いている。だが、それまでは思想、哲学、宗教が成立し、それを土台として文化が築かれてきたといえよう。
 それに対して大聖人の、因果倶時の大法にあっては、信心即生活、生活即信心で、折伏・弘教に励みゆくとき、そこに生命の其の躍動、開花があり、そのみずみずしい生命が「因」となって、見事なる芸術、文化の「果」を生活、社会のなかに華と咲かせていくのである。生活を離れて文化の創造はない。両者はあくまでも同時並行の営みであり、一体である――これが文化の正しいあり方に関しての私見である。
5  ともあれ、音楽は人類共通の言葉であり、美しき生命の調べである。また総じて芸術は、人間が人間として生命と生命を共鳴させゆく精神の開花であり、人類普遍の崇高なる魂の発露である。
 私どもの広宣流布の運動も、正法を基調に、人類の心を舞台として、壮大に、また立体的にくり広げゆく”大文化運動”である。また”大平和運動”なのである。
 皆さま方は、その偉大なる先駆をきられた尊い方々である。ゆえに、どうか、その先駆者としての誇りを生涯、けっして失うことなく、「文化」と「平和」の走者としてのすばらしき一生を送っていただきたい。また芸術創造の豊かな一生であっていただきたい。そしてなにより、生涯にわたる強盛な信心で、悔いなき自己自身の一生を見事に飾っていただきたい。

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