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創刊三十五周年記念「聖教文化賞」授賞式… 広布の歴史刻む黄金の日記

1986.4.17 「広布と人生を語る」第8巻

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1  私も『若き日の日記』等を書いてきたが、秋谷会長が聖教新聞社の編集長の時代に、「聖教新聞が私自身の日記です」と語っていたことが私の胸に鮮明に残っている。三世諸仏総勘文教相廃立に、日蓮大聖人は「然れば八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」と仰せである。もちろんこの御文の御教示とは次元は異なるが、聖教新聞は広宣流布の歴史をつづり、そして創り、広げてきた”日記”であるといってよい。
 かつて戸田先生は「聖教新聞が日本中の人に読まれるようになってほしい」と言われていたが、私は、さらに「世界中の人に読まれるものとなってほしい」と申しあげたい。
 いまや本紙は、戸田先生が予見されていたように、機関紙としては日本一となった。ある意味では、世界一であるといってもよいだろう。
 まことに本紙は、広宣流布を推進し、信心を深化させ、仏法を基調とした社会啓発の人間機関紙として、偉大なる貢献をし、発展を遂げてきた。これもひとえに、全職員ならびに関係者が「懸命」の二字で戦ってきた結晶である。これほどの発展は、奇跡中の奇跡といぇるし、歴史上かつてないといってよい。日蓮大聖人もかならずや御称讃のことと深く確信していただきたい。
2  次の目標は創刊四十周年である。
 草創の当時、一心不乱に戦い、書きつづけた人たちのなかには、今では年齢的にも中高年に入って、血圧が高くなったとか、何らかの病気が出ている人がいるかもしれないが、ともかく満足しきった広布の歩みであったことはまちがいないであろう。
 世界的な冒険家・登山家として知られる故植村直己氏の聖教文化講演会における講演をまとめた『冒険と人生』のなかに「自分の感じた年齢が、私はその人の本当の年齢であると思う」とある。ほんとうにそのとおりだと思う。
 どうか皆さま方も、これからも若き青春の息吹をたたえながら、人生の勝利、そして広布前進の縮図である聖教新聞の発展、またいわゆる立正安国に向けて、それぞれの使命感に立ち、生きいきと動き、自分なりの日記をつづっていただきたい。
3  植村氏はたしかに青少年に夢とロマンを与え、「挑戦」の二字の人生を生きぬいた人といってよい。世界で初めて五大陸の最高峰を登頂するという記録を打ち立てた。清神的、肉体的な限界を乗り越えての偉大な記録であり、それじたい、立派な青春であったし、人間として称讃すべき勇気の人であると思う。
 だからといって、みんなが山に登るというわけにはいかない。(笑い)人それぞれにさまざまな人生があり、さまざまな生活、生き方がある。ゆえに、人をまねて同じように冒険する必要はもちろんない。彼は彼の生き方を選択し、そこに生きぬいた。
 彼の歩みを見るとき、北極圏一万二千キロの走破といい、稚内から鹿児島まで五十二日間にわたる日本列島の徒歩縦断といい、どれをとっても、一つまた一つと人生の記録を樹立している。
 このことからも、植村氏が、自分自身の心、その奥に強い強い一つの芯をもった男であり、あたかも青春のかたまりのようにつねに未知の世界に挑戦しょうという心をもった人であることがわかる。
 彼はその講演のなかで「これは失敗できないんだ、これしかないんだというような、自分でどうしてもやりたいということを一本に絞って、それに向かって必死になって進んでいって勝ち取ったものは、やっぱりそれなりの満足感を得られるんじゃないか」と述べ、「自分で自分をほめてやれるという満足感」こそほんとうの満足感だ、と結論づけていた。私もまったく同感である。
4  会長職を辞するとき、私は松下幸之助氏と会う機会があった。そのさい、会長職を辞し、次代のため、未来のために別の立場でいよいよ働いていきます、との私の言葉に、松下氏は「自分のことを自ら誇りとし、自分を称讃できる人生がもっとも立派である」と話されていた。まことに含蓄深い言葉と思う。
 他人にどう思われるか。またマスコミがどう評しているか。こうしたことは、些事にすぎない。
 自分で自分の人生を、いかに評価し、誇りとしうるか。この自分の信念に忠実な、誠実の人生こそ肝心であり、ここに価値ある人生の究極の尺度があるといってよい。
 たとえば経典では、人の誕生とともに生ずる倶生神が、生涯の善悪を残らず記録していると説く。いかなる行為、人生も、三世を貫く因果の理法から外れることはないということの一つの表現でもある。
 ゆえに、人生の最終章にさいして、自らの仕事、人生、そして信心に、心から満足し、自らの生涯を笑顔で飾りゆくことができるか否か。ここに幸・不幸の最終的な帰結があることを強く銘記していただきたい。
5  植村直己氏は、北米の最高峰であるマッキンリーに厳冬下、単独登頂に成功するが、残念にも消息を絶った。彼にとっては大きな”冒険”と”信念”の道の登頂であったが、われわれは、無量にして深き「九識心王真如の都」つまり「仏界」という生命の奥底への信心の歩みを進めているのである。それは全人類のために、末法万年尽未来際にわたる妙法の大道即聖道を歩み、「広布の金剛の山」を登攀する歩みである。そして、新しき世界の歴史をつづり、遠を開きながらの前進なのである。この人類未踏の広
 宣流布という法戦への登頂が、われわれの使命なのである。
 植村氏にとって、究極は、自分一人との戦いであった。われわれは、三類の強敵、三障四魔等と戦いつつ、全世界、全人類を、成仏すなわち幸せへと導いていくのである。この尊い”広布”と”信心” への雄々しき戦いに対して、三世の諸仏もかならずや称讃されることと思うし、大聖人も御照覧のことと思う。どうか、広宣流布への信心、学会精神、そして”聖教魂”を忘れないでいただきたい。
6  なにごとにも目的とするゴールがある。たとえば、どんなに途中まで頑張ったとしても、到達する前に道を離れ、退してしまったとしたら、栄光のゴールインという満足感を味わうことはできない。
 植村氏は、ともかく、自分が決めた自分の道を、だれが何と言おうとも、自分自身で歩み、走り、踏破していくところに最高の満足があり、喜びがあるとの人生観であったようだ。すなわち、自分で決めた道である以上、一歩も退くことなく、何があろうとも、最後の最後まで歩みきっていく。人生において、そのときの満足感にまさるものは何もない、との信念の叫びであったと思う。
 ましてわれわれの、妙法を根本とした人生の道は、無量無辺の満足と歓喜の歩みである。ゆえに、どうか皆さま方は生涯、強き自己の信念の歩みを最後のゴールまで持続し、貫いていっていただきたい。

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