Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

「3・16」記念青年部研修会 妙法こそ生きぬく力の源泉

1986.3.15 「広布と人生を語る」第8巻

前後
1  昭和三十三年三月十六日。当時、総本山大石寺において、本門大講堂落成の慶祝行事が挙行されていた。この日、全国から男女青年部約六千人が集い、戸田先生を迎えて、永久に歴史に残る広布への儀式が行われたのである。
 御法主上人の御祈念によることはもとより、青年部、全学会員の活躍によって、それ以来、この日を広布前進への大きな”節”として、一年ごとに、妙法流布の大道は拡大され、広布の大河の流れがつくられてきた。その意味で「3・16」を「広宣流布記念の日」と決め、青年部が軸となって、歴史に残る広宣の歩みの ”節”を刻んでいくことは大きな意義があると思う。
2  生きて生きて生きぬけ
 本日は、皆さま方に 「生きて生きて生きぬいていただきたい」ことを強く申し上げておきたい。これは人生にとってひじょうに重要な問題であると思うからだ。
 昭和二十七年の秋のことと思うが「生きる」という映画(主演・志村喬)を見に行った。主人公の渡辺勘次は市役所の課長である。三十年間無欠勤であった彼は、ある日、胃ガンの宣告を受ける。その宣告に愕然とするが、残された時間は短い。生命のかぎり生きたい。自分のなすべきことをやり遂げようと決意する。以来、彼の仕事ぶり、生き方は変わった。それは一市民の姿であったが、感動の一コマ一コマであった。そして、力を尽くした市民公園が完成する。新装なった夜更けのこの公園で、ひとりブランコに乗り”命短し、恋せよ乙女……”と歌いながら、生涯を終える。彼の死に顔には満ちたりた表情が浮かんでいた。彼の生き方は、多くの人に感動を与え、人々も見習っていく、というあらすじであったと記憶している。
 この映画をみて、病魔にも負けず、最後の最後まで、自分のなすべき道を知り、それを遂行していこうとする、主人公の生き方にびじょうに感銘を覚えたものである。ともかく、なにごとがあっても自らの使命の道に、生きて生きて生きぬいていくことこそ、大事である。
3  「生きて生きて生きぬいていけ」とは、戸田先生の指導の一つであった。私も病弱であった。戸田先生は「三十歳まで生きられるか」と心配されていたし、医者からも若死にするだろうといわれていた。だが、信心のおかげで私は今五十八歳。戸田先生よりも長生きしていける年齢となった。
 私は、これからも、何倍も広布のために働いていく決意である。
 しかし、戸田先生が、この「3.16」に、いっさいを青年部にバトンタッチされたように、後継に立つ青年部の活躍に、心から期待したい。青年のカこそ、未来を開拓していく源泉だからである。その源泉力の根源こそ「信心」であり、「妙法」にあることは当然である。
 この数年間、青年部は、太田青年部長を中心に、ほんとうに活躍し、成長し、大勝利してきた。それは私にとっても最大の喜びである。日蓮大聖人がどれほど讃嘆してくださるか。戸田先生は、どれほどお喜びになっているか確信してやまない。
4  日蓮大聖人も御書のなかで、何度も、漢時代の忠義の人である蘇武について述べられているが、蘇武はまことに感動的な生涯を送っている。
 当時、漢の西北方には匈奴の大勢力があった。そして、漢と匈奴で相互の捕虜交換が行われたさい、蘇武が漠側の平和使節の代表として匈奴に赴いた。
 彼が匈奴入りしてまもなく、その副使らが匈奴内での反乱にまき込まれる。嫌疑を受けた蘇武は訊問を受けたことを恥とし自殺をはかる。匈奴側の手当てで一命をとりとめた蘇武は、土穴の中に幽閉され、いっさいの飲食を断たれるが、蘇武は雪を食べ織り布の毛をかんで延命した。絶食のなか命を永らえる蘇武の姿に恐れをいだいた単于ぜんうは、彼を北海(バイカル湖)のほとりに追放。そこでも蘇武は生き延びていった。
 一方、蘇武の親友である李陵は、蘇武が匈奴入りした翌年、討伐のため五千の兵とともに匈奴と戦い、善戦するが投降。その後、匈奴のもとで生きた李陵は、北海のほとりで蘇武に投降を勧めるが、蘇武は武帝への忠義を最後まで貫く。そして追放から十九年後、蘇武は天下の称讃を受けながら、漢に帰国している。
 大聖人も佐渡塚原での苦難の御生活について述べられるさい、しばしばこの蘇武のことを例にあげられている。自らの信念を絶対に曲げず、武帝への忠節を全うした蘇武の生きざまは、まことに見事なものであるといえよう。
 いわんや、絶対の妙法を信奉している私どもである。御書に「浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり」とあるとおり、仏法に説かれた甚深の人生観、社会観、宇宙観を学びながら、深き信心の生き方に徹しきっていくところに、見事な栄冠の人生が築かれてゆくのである。
5  真実の人生を生きゆくための妙法
 マスコミや多くの評論家たちは、世は「飽食時代」「レジャー時代」であり、「シラケの時代」「いじめの時代」でもあり、また「エゴと無責任の時代」である等といっている。すべてにわたり、放縦の風潮が横溢しているのが現状といえる。
 人間の生き方は人それぞれであり、それはそれでよいと私は思うが、ただ、長い人生を生きていくことを考えれば、無為の生涯ほどはかないものはない。
 そうした人々の心に「動執生疑」を起こし、真実の人生を教え、永遠にわたる正しき幸福の軌道を示していく尊い行為こそ、折伏行である。これほど慈悲深く、また人間として偉大な実践はありえない。この尊い折伏行に奮闘し、さまざまな困難に悩みながらも前進の指揮にあたっておられる皆さま方若き広布のリーダーは、まことに使命深き仏の使いであると申し上げておきたい。
6  涅槃経には「人命の停らざることは山水にも過ぎたり今日存すと雖も明日保ち難し」とある。
 すなわち人間の命というものは、山の水がサーッと勢いよく流れ落ちていくにもまして、またたく間に過ぎていくものである。今日、無事であっても明日の安穏はだれも保証してはくれない。また摩耶経の一節には、人生の歩みを「歩々死地に近く」と説いてある。一日一日、一歩一歩、死に近づいていくのが人生の実相であるというのである。
 さらに法華経にも、譬喩品には「三界は安きことなし 猶火宅の如し 衆苦充満して 甚だ怖畏すべし」との有名な説法がある。三界とは、簡単にいえば、六道の凡夫の住むこの現実の世界である。そこは火災で燃える家のように、煩悩が盛んに燃え、もろもろの苦しみでいっぱいの恐ろしい場所であるというのである。この一節のように、まことに人生には悩みがつきないものだ。子供のこと、家庭のこと、職場のこと、考えればいっさいが苦しみで充満しているといってよい。
 それでは、こうした無常にして苦しき、煩悩に汚れ、束縛された人生を、どのように「常楽我浄」の方向に転換していけるか。すなわち、いかにして人生、生命への悲観主義を超克し、正しき法則と人生観にのっとった、力強き楽観主義で生きぬいていけるのか。結論していえば、その”暗”から”明”への転換は、断じて妙法への信心によるしかない。日蓮大聖人は御書に経文等を引かれつつ、その真実の仏法の力と信仰の意義を強調されているのである。
7  生命の実相は「生死不二」
 少し難解かもしれないが、若き仏法の指導者の集いであるゆえに、少々申し上げておきたい。
 法華経寿量品に「如来は如実に、三界の相を知見す。生死の、若しは退、若しは出有ること無く」と、また同じく「方便現涅槃」とある。
 ここに「無有生死。若退岩出」とあるうち、「若退」とは死であり、「若出」とは生である。ある場合には「死」の姿を現じ、またある場合には「生」の姿を現じているのが生命の姿であるが、如来の眼から見た生命の実相には本来、「若退」も「若出」もない。「生」といい「死」といっても、永遠の生命のたんなる変化の状態をいうにすぎないのである。
 すなわち、生命は、宇宙とともに本有常住であり、無始無終である。それが、ある縁を得ては生を現じ、やがて大宇宙に冥伏し、休息していく。その変化するさまは、大河の流れにあぶくが生じては、また消えていくよぅなものである。変化する生命の当体はどこまでも本有常住である。これが「生死不二」の生命の実相なのである。また「方便現涅槃」とは、死とは生のための方便であるという卓見であり、日蓮大聖人は、さらに一歩深く「本有の生死」と説いておられる。
 こうした仏法の永遠の生命観に立脚するとき、死はけっして嘆き悲しむべきものでもなければ、驚くべきものでもない。しかし、凡夫は現実にはなかなかそうはいかないことも事実である。この「生死」の本源的解決こそ、真実の仏法の実践によってのみ可能になることを知っていただきたい。
8  使命と責任のなかに強靭な力
 たとえば梅の花がある。そこまでやって来た春に先駆けて、りんとした気品高き花を咲かせきっている。やがて桜開く季節となる。この桜もおのれ自身をみごとに咲かせきっているといえる。それと同じく人間も、自己の生命を満開に咲かせきっていかねばならない。
 その源泉のカは何か。それは自己自身の”使命”と”責任”への深き自覚なのである。自己でなくてはならない使命と責任に生ききっていく人は、梅や桜がつねに懸命に咲きかおっていくのと同じく、自身の生命を最大に拡大していくことができる。そして人生を最大限に生ききったという誇りと満足と充実を勝ちえていくことができるのである。
 さきに述べたように、現代は利己主義と無責任の時代かもしれない。しかし、そうした生き方に流されては、結局、三悪道、四意趣、六道輪廻の方向へとつながっていってしまう。
 それに対し、広布大願の使命に生きるわれわれの生命は菩薩界、仏界へとつながっていくのである。その一点を自覚できるかどうか。信じきっていけるか否か。そこに信心求道の重要なカギがあることを銘記していただきたい。
9  御書に「地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」と仰せである。皆さんは妙法広布を願って生まれた地涌の菩薩の眷属である。御本仏日蓮大聖人の仏子であり、誉れ高き門下である。これほど偉大な使命に生き、正しき人間道を歩んでいる人はいないのである。ゆえに三世十方の仏・菩薩、諸天善神が、皆さんを守らないわけはない。たとえ今は苦しくとも、人生という長い目でみた場合には、かならずや福徳に満ちみちた勝利と栄光の人になっていくことを確信していただきたい。
 そのためには、生涯不退の信心こそ肝要である。いわゆる退転は、我慢偏執の心から、また増上慢、怨嫉の心、我欲にとらわれる心から起こるものだ。今、いくら信心に励んでいたとしても途中で退転してしまったら、それは信心ではない。最後の最後まで、広布大願の道を歩みきってこそ、信心の信心たるゆえんがあることを深く自覚していただきたい。
10  悔いなき広布の生涯を
 戸田先生はよく私たち青年に吉田松陰の話をしてくださった。なかでも松陰が、獄中から弟子の高杉晋作にあてて送った手紙が有名である。高杉にしても久坂玄瑞にしても、師匠亡きあとどう生きるべきか――こういう悩みをかかえていたのであろう。そのことを察していた松陰は手紙のなかで「死して不朽の見込あらばいっでも死ぬべし。生きて大業の見込あらばいつでも生くべし」という言葉を記している。死ぬことによってその名が不朽となると思えば、そこで戦い死んでいきなさい。永遠にその名が歴史に残るであろう、と教えた。また反対に生きなければ大業を成就できないと自覚したならば、生きて生きて生きぬいていきなさい、と示した。私には実感としてよくわかる言葉である。
 また大聖人も諸御抄で「不惜身命」「死身弘法」と仰せである。またその一方で、この生命は三千大千世界の宝より尊いとして、生きぬいていきなさいとの御言葉もある。それぞれの宿命、自覚、使命の違いによって受けとめ方は多々あろうと思うが、皆さん方も、将来よく思索していただきたいひとことである。
11  『罪と罰』で有名なドストエフスキーも、おのれの人生を生きぬいた一人である。当時、フランスの二月革命、ドイツの三月革命の波が押し寄せていた。それに対してニコライ一世は、国内における大弾圧を強行した。時代の最先端をいく知識人の一人として急進派に加わっていたドストエフスキーも、官憲に捕まってしまう。そして八か月に及ぶ牢獄生活の後、銃殺刑の宣告を受けるが、刑の執行される寸前、減刑され、シベリアに四年間、兵役に四年間と、十年近く不自由を強いられた。それでも彼は負けなかった。最大限に生きぬき、そのときの経験というものを自らの全作品に鋭く深く生かしきっていったのである。そして「私は全生涯を通じて、いたるところで、なにごとにおいても、限界をのり越えた」と勝利の宣言をしている。
 このように、妙法を持たない人であっても人生の勝利を勝ちとっている。そこに私は、人間の偉大な歩みを感じてならない。
12  かつて創価学園で緒方洪庵について紹介したことがあるが、彼は蘭学者であり、医師でもあった。弟子三千人といわれ、大きく時代を変えていった人材を多数輩出した。そこに流れていたものは師弟の大道にはかならなかった。
 洪庵は「安逸を思はず、名利を顧みず、唯おのれをすてゝ人を救はんことを希ふべし」と弟子に指導している。安逸を望んだり、名誉やお金を顧みてはいけない。ただ己を捨てて、人を救うことをこいねがっていけ――これが、洪庵の弟子に対する教えの根幹をなしているものであり、彼自身が実践した道であった。ゆえに、彼のもとから俊逸な弟子が現出したのである。と同時に、これは現在の医師に対する彼の教訓であり、遺言ともいえよう。
 私は、三月十六日を迎えるたびにさまざまな師弟の道を思い浮かべざるをえない。諸君の前途には、まだこれからもたくさんの人生の遺、広宣流布の道が残っている。自分を大切にしながら、また大法を固く護持しながら、悔いのない信心の道、広宣流布の道だけは断固として踏みはずすことなく歩んでいただきたいことを、私は祈るような気持ちで訴えたい。
13  これまでもくり返し引用し、紹介してきた御文であるが、大聖人が厳寒の佐渡で著された御抄の一節に「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」と仰せである。
 私どもの命は、大宇宙の永遠にくらべればまことに短く、はかないものといえる。しかし生命の実相は永遠であり、今のこの人生を広宣流布という大願に生きぬいていくとき、自身の生命に仏界の生命が湧現し、未来永劫に崩れざる仏国土を築きゆくことができる。ゆえに、この至高の人生の大道を踏みはずしてはいけないのである。
 また大聖人は御義口伝に「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」と仰せになっている。
 この御文は、別しては日蓮大聖人のことであられるが、総じては門下であるわれわれの活動についても拝することができよう。
 「精進」について、日寛上人の俵義判文抄には「無雑の故に精・無間の故に進」とある。つまり、「無雑」すなわちどこまでも純粋に、また、「無間」すなわち間断なく、御本尊を信じ、妙法を唱えつつ、広布大願に前進していくことが「精進」の本義なのである。
14  皆さんも信心と生活、社会と日夜の活動等にあって、家族のこと、組織のこと、同志のこと、さらには広宣流布のために、何かと悩みと苦労の連続であるかもしれない。しかし大聖人は「億劫の辛労」と仰せである。広布への信心という不動の原点に立ったとき、すべての辛労は、はかりしれない福徳と歓喜へと開け、壮大な境涯を築き、生命のなかに「無作の三身」たる仏界の生命が脈動していくのである。
 ゆえに、なにごとがあっても、少々の苦難があっても、絶対に退転してはならない。この御金言を深く胸に刻みながら、たえず自らを精進させ、広布の大業を前へ、前へと進めていってほしい。
 参加者の皆さまの今後いっそうのご健勝とご活躍を祈るとともに、後輩の方々にくれぐれも「いつもご苦労さま、いつもありがとう」とお伝えいただければ幸甚である。

1
1