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日蓮大聖人・池田大作

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第一回SGIハワイ総会 全員が仏子、使命の人

1985.7.7 「広布と人生を語る」第7巻

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1  大切な話というものは、大きな声で叫ぶような話し方ではなく、小さな声で静かに話す方が、相手によく伝わるものである。ゆえに私は最初にまず小さい声で「アローハ」と申し上げたい。
 今回のハワイでの第五回世界青年平和文化祭はたいへんに立派であった。皆さん方もじつによく活躍してくださった。
 この文化祭を通して一人ひとりが受けた訓練は、結局、自分自身のためのものであり、自分自身を強くし、みがくためのものである。そして自分自身をみがきながら、同時に大勢の他の人々のために貢献できる自分をつくっていくことになる、と確信していただきたい。
 広布の活動のなかにおけるすべての訓練が、他の人たちのために役立ちながら、自分自身をも成長させていくものである。
2  すべての人が地涌の菩薩の眷属であり、その世に偉大な生命をもって生まれた尊い方々である。
 桜やリンゴ、パパイヤ、メロンなどの果物や花が、それぞれ花として開き、果実として実っていくように、一人ひとりが尊い仏子であり、御本尊のもとに平等であるがゆえに、それぞれの立場や境遇は違っても、誉れある信心で自分の使命を強く自覚し、これからの人生を最大に所願満足できうる自分自身を築き上げていただきたい。
 信心は持続することが大切である。どんな木でも、地中に深く根を張って大木になるためには十年、二十年、三十年とかかる。また、子供が社会的に一人前になるには、やはり二十年の歳月がかかるものである。
 仏法は法理であり、道理であるがゆえに、信心についても同じことがいえるのである。
 信心はまず十年、次に二十年、さらに三十年というように持続していくことが大切である。まじめに真剣に信仰に励み、三十年ぐらいの信心になると、福運の根は深々と張られ、人生に大きく幸せの花が咲いていくことはまちがいない。
3  真実の宗教は、現実の生活と密接に結びついているものである。信心はあくまでも生活に立脚しているものであり、けっして現実生活から遊離した観念論であってはならない。
 生活のための信心、人生のための信心、社会のなかで生きるための信心であることを銘記されたい。それが日蓮大聖人の仏法であると確信する。
 したがって皆さんは、生活を大切にし、仕事を大切にしていただきたい。自分自身の老後の生活を盤石にするために、着実に貯蓄をし、安楽な生活を築いていくことも大事なことなのである。信心しているからなんとかなるだろう、なにかよいことがあるだろう、と漠然と考えることは架空論にすぎない。
 現実生活にあって、緻密に計算をし、賢明に判断をし、聡明に生きぬくための信心であると申し上げたい。
4  御本仏日蓮大聖人は「どんなことがあっても信心は貫いていきなさい。生涯、退転してはいけない」と厳しい御教示をしておられる。それはなぜなのか。
 それは信心こそ「成仏」への要諦であるからである。
 生命は無始無終であり、永遠に続きゆくものだ。これはだれ人が否定しようとも、また信じなくても、因果の理法からみて絶対の定理である。
 生命は永遠であり、現世から来世へと続いていくがゆえに、大事なのは、その「来世」のために「現世」つまり「現実」をどう生きるかということである。その意味で、現実から逃避し、この現実を重要視しない宗教は偽善的といわざるをえない。
 ともあれ、一生成仏をとげ、永遠の幸福を築けるかどうかは、今世における信心で決まるのである。永遠に続きゆく自身の生命にあって、永遠からみれば瞬間ともいえるこの今世の人生で、未来永遠にわたる人生をどのように決定づけていくか――それに実りある解答を与えるものこそ,大聖人の仏法なのである。
5  宇宙自体が十界の生命であり、われわれの生命もまた、十界の生命である。また、今世から来世を貫く因果の理法によって、今世の因が来世の果を生じるのである。
 ゆえに、地獄、餓鬼、畜生、修羅界など、どんなに行きたくないと思っても、行かざるをえない因果の場合がある。それでは、苦しいし、悲しい。その反対に、幸福と喜びの境涯を得る因果の場合もある。
 今世に信心を貫き、所願満足の人生を勝ちとって、喜びと幸福の一念をもちながら、今世の生を終えて、宇宙の十界の生命のいずこにとけこんでいくかが、今世における重大な要件になるのである。
6  そして、釈尊の仏法や法華経に説かれた三世の諸仏の存在を考えるとき、今世で一生成仏の人生を終えたとき、それを因として来世も仏界の生命に遊戯しゆく境涯に入っていけると推察することができる。
 仏界に冥合した生命は、すべてにわたって自由自在、常楽我浄の境涯となっていけるのであり、生々世々、御本尊のまします善処に生まれていくことができるのである。
 この自由自在の生命の「我」を確立し、永遠に崩れない成仏の境界となっていくために、信心に励むのである。その永遠なる幸せの境涯である成仏の境地を会得できるかどうかが、一生という今世の、現在の日々の信心で決定づけられるがゆえに、大聖人は退転をしてはいけない、信心を全うしなければいけない、と仰せなのである。
 現在の会館は狭く、古くなったので、ウィリアムス理事長らと相談しながら、大切なこのハワイの地に新たな広布の牙城を建設する方向で進めたいと考えている。
 最後に滞在中、なにかとお世話になったすべての方々に、満腔の思いをこめて感謝を申し上げたい。

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