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日蓮大聖人・池田大作

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県長会議、婦人部白菊会の合同研修会 広布の人生に最高の誉れ

1985.8.4 「広布と人生を語る」第7巻

前後
1  皆さん方は、学会の組織にあって、各県の全任務を背負い、責任を担っている方々である。また、広布と信心への指導の任にあたっている大事な幹部である。
 社会には、名誉も地位もあり、経済的に豊かな人はいる。しかし、三世の生命観からみるとき、はるかに偉大にして尊い存在が皆さん方なのである。それを忘れて、何か架空な、虚像的な姿に幸せを求めるような生き方であってはならない。それは、日蓮大聖人の仏法の根幹に立って生きぬく人の姿勢ではないと申し上げておきたい。
 人々に大聖人の仏法を教え、幸福の大道へと導いてきた。また多くの後輩を育成し、自分以上に立派な人材を育成してきた――等々、こうした広布の活動の功は、ぜんぶ、皆さん方に、さらに皆さん方の一家、一族にかならず功徳と薫っていくのである。
2  とかく世間は、眼前の姿で幸、不幸をも判断してしまうものだ。しかし、眼前の現象の奥の実像を鋭くとらえ、三世でものごとをみていくのが仏法である。
 ここに仏法と世法の大きな違いがあり、この点を誤っては真実の幸福境涯はありえないことを知っていただきたい。
 現在は、さまざまな苦労があるだろう。名声もなければ、財産もないかもしれない。社会的、経済的にみて、平凡な人生であるかもしれない。また世間には、皆さん方の家庭より立派に見える家庭があるだろう。
 しかし、財産があるから、地位があるから、幸福なのではない。それらのために不幸になる人さえいる。現在が幸せだからといって、それが永遠に続くわけでもない。ゆえに、そんな名聞名利にとらわれて、自分を卑下することもないし、背のびをしてよくみせようとする必要もない。
 皆さん方は、仏意仏勅である広宣流布を推進している学会の最高幹部として活躍しているのである。それじたいが最大の栄光であり、最高の名誉であり、永遠の福運となることを確信していただきたい。
 広布に励む人を御本尊が見放されることは絶対にない。かならず御本尊は称讃され、諸天が加護しゆく人生となることはまちがいないのである。どうか、幸福の実像と虚像がどこにあるかを深くみつめた人生の生き方であっていただきたい。
3  広布に進みゆく夫婦のあり方 
 女性と男性を比べるとき、どちらかというと女性は現実主義者であり、男性は理想主義者ということができよう。そのために長い年月がたつと、夫婦の仲にも、さまざまな考え方の行き違いや食い違いが出てくることがある。
 夫が学会の幹部となって多忙な活動にあるとき、妻にはさまざまな不満や注文がたまってくる場合があると思う。もっと経済力がほしいとか、子供と対話してほしい、子供の教育に心をそそいでほしい、また妻である自分をもっといたわってほしい、などと、つねに夫人の方からの注文はいろいろ尽きないものだ。これは世間一般でも宿命的なもので、どうしようもないのかもしれない。(笑い)
 かつて戸田先生もよく言っておられた。「夫が十の力をもっていても妻が愚かであれば、その力は社会的に五か六しか出せない。しかし五の力しかない夫でも妻が賢明であれば、十の力を出すことができるものだ」と。
 これは夫婦のあり方を端的に教えてくださったものだが、私がこれまでみてきた経験からしても、まちがいない事実だと思う。その立場からいえば、家庭内の問題が職場や組織活動のうえにマイナスの影響を及ぼすようなことがあってはならないと思う。
4  きょうは、男性の方を擁護するようで申し訳ないが(笑い)、女性はこの点を賢く見ぬいて、聡明な対応であっていただきたいのである。
 そして、妻は夫の“理想主義”にも、あたたかな理解をお願いしたい。また、男性も、妻の“現実主義”を広々とした心で包容していくべきある。この“中道の歩み”で、夫婦が相和し、理解しあいながら、広布の大道を進みゆくことこそ、理想の夫婦の姿であり、あるべき信心の結実の姿であると申し上げたい。
 さらに、夫婦の間や家庭内にあって、さまざまなことがあるだろう。それは現実の社会で生きている以上、とうぜんなことである。もちろん、向上と前進の姿勢を忘れてはいけないが、幹部の家庭だから、信心をしているから、夫婦ゲンカがあってはいけないとか、さまざまな問題があってはいけないということではない。いかなる夫妻も十界互具、一念三千の生命として毎日生きぬいていく、ありのままの姿でよいのである。信心さえ確かであれば、妙法の光に照らされた“本有の姿”となっていくのである。
 ただ、それらの問題が原因で、信心と広布の前進へぞんぶんに指揮がとれないようになってはいけないということだけは申し上げておきたい。
5  年配になっていけば、役職の上でも、後輩に道をゆずることになる。これはしぜんの道理であり、広布の組織のみずみずしい前進とたえざる発展のためには必要なことである。
 組織上の役職と信心の浅深とは違うのである。たとえ役職を後輩にゆずったからといって、自分を卑下することもない。ましてや、そのことで嫉妬の心にかられることはまったく無価値なことである。
 皆さんを土台として後輩は育ったのである。自分より立派な人材を育てたことこそ、その人の誉れであり、すべて自らの功徳となっていくのである。それを確信し、堂々と信心の大道を末永く歩みぬいていただきたい。
6  たいへんにむずかしい問題だが、お子さんの教育について一言申し上げておきたい。
 大切な広布の後継者であるお子さん方の成長については、どうか長い目で見てあげていただきたい。一時的には、大なり小なり心配なことや課題はあるものだ。たとえば登校拒否したとか、成績が落ちたとか、さまざまな悩みがあったとしても、何らかの問題があるのは、むしろとうぜんといってよい。成長の過程に起きてくるそうした問題に対し、親が必要以上に深刻視したり、動揺して大騒ぎなどしてはかえって逆効果となることが多い。まして夫婦で責任を押しつけあって争うなど、愚のなかの愚といわざるをえない。
 “御本尊が使命あるわが子を不幸にするはずがない。かならずよくなっていくに決まっている”との深き確信と祈りを根本に、泰然自若として、どうか五年、十年という長い目で子供の成長を見守り、包容してあげてほしい。
 また、時代の風潮もあり、両親のいうことを素直に聞くとは限らないかもしれない。その意味ではむずかしい時代ともいえるが、もう一歩深くとらえれば、両親にただ従わせることは、かえって子供の自立心を失わせ、不幸にしてしまう場合がある。
 それをカバーするために、学校の先生をはじめ、信頼できるさまざまな先輩につかせながら、指導を受け、成長させていくことが大切である。学会の世界には多くのすばらしい青年部、未来部の先輩がいる。いろいろな機会を通して、そうした先輩と結びつきを深めながら成長していけばもっとも安心できうると、いくつもの事例を見て私は確信する。
 どうか信心根本に、どこまでも大きな慈愛と信念の心で、立派な後継の社会人に育てあげていっていただきたい。
7  経済的にもなにかと苦労があるかと思う。この点について一言申し上げれば、信心根本に、真剣に仕事をし、賢明に知恵をめぐらせていくことはとうぜんである。
 そのうえで、ほんとうに広宣流布のために戦っていくならば、何があっても最終的には、妙法の力用で、きちんと生活は守られていくことを確信されたい。
 計算上は不足すると思われた家計が、不思議にも有形無形に立派に守られたということは、多くの先輩が経験していることである。
 われわれは妙法広宣流布にみずから立ち上がった地涌の闘士である。ゆえに、その信心の真心と行動が真実であるならば、もっとも大切な広宣流布のために働く誠信の人を御本尊が守ってくださらないわけがない。経済的にもかならず盤石の土台ができあがっていくのである。
 その妙法の功徳を確信できず、愚痴と文句の心におかされ、信心を後退させて、せっかくの福運まで消してしまうようなことはあってはならない。
 ともあれ、皆さんはこれまで真剣に広布に活躍してこられた大功労者である。どうか、これからも、その一生成仏の軌道を最後の最後まで見事に歩みぬき、悔いなき人生を飾っていただきたい。

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