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中部代表者会議 幸の風薫る喜びの人生を

1985.5.24 「広布と人生を語る」第7巻

前後
1  一年ぶりに愛知を訪れ、皆さん方にお会いできてほんとうにうれしい。
 近年の中部の発展は大変なものである。中部広布の布石は年々着実に拡大され、また立派な人材を陸続と輩出している姿も、まことに見事である。この盤石な中部を、中核となって築いてくださった皆さんに、心から感謝するものである。
 中部はあくまでも田原副会長を中心に、完璧な協議と完璧な呼吸で、広布の前進をはかっていただきたい。
 とくに中部の指導の任にあたってきた秋谷会長もたいへんに元気になった。これからも秋谷会長とよく連結してさらなる発展を願いたい。とともに多田総合婦人部長も中部の担当として、指導の任にあたってもらうよう本部では考えている。
2  最高会議では、すべての人が自由に思うぞんぶん意見を言っていくことが大切であるが、その会議の目的はいったいどこにあるのか、ということを忘れてはならない。
 それはあくまでも広宣流布の推進のためにあるのであり、信心の深化のためにあるのである。中部の場合は、中部の広宣流布という目的のためにあるのである。
 広布推進のための重要な最高会議の場が、個人の都合のために利用されるようなことがあっては絶対にならない。
 大関西における和田副会長と西口副会長のコンビは、日本一の名コンビといってよい。そのもとで、たとえば、白木文関西婦人部総合長の関西を大切にする態度も立派である。
 その理由は、自分が時によって立場上は退くこともあったとしても、関西の発展のために役職をこえて活躍してきた姿にある。さらに、常勝関西を守りたいとの一点を忘れないからである。
 結論していえば、役職が自分のためにあるのか、広宣流布のためにあるのかという一点を見失わないことにつきるのである。
 組織が、つねに生きいきとしていくためには、とうぜんそれなりの新陳代謝が必要である。その組織は、信心を深化させ、人材を輩出していくためのものであることを忘れてはならない。
 今秋には本部と中部の最高会議と十分に打ち合わせをしながら、すべての人々が納得できる人材の登用を考えていきたい。
3  愛知県という名称は、明治五年に「名古屋県」から「愛知県」へと改称されたものである。現在の名古屋が「尾張愛知郡」にあったことから、この「愛知」となったのである。
 「尾張国愛知郡」の名は、もっとも古くは『続日本紀』にみられる。愛知とは、もと「アユチ」といい、『日本書紀』『万葉集』では「年魚市」等と記されている。
 この「アユチ」の語源としては、大別して二説があり、一つは「アユチ」の「アユ」とは「湧きいずる」の意で、「アユチ」とは「湧き水に富む所」を意味する。
 もう一つは「アユチ」の「チ」は風を意味し、「めでたいものをもたらす風」の意である。後説については、古来「アユの風」との呼称があり、つまり、「アユチ」とは“遠い海のかなたから幸いを運びくる風”との意味があるとされ、民俗学者の柳田国男もこの説をとっている。
 「幸の風」また「湧き出ずる水」との深い意義をもつ中部、とくに愛知の地は、九州から北海道へと日本を概観するとき、地理的に中心の位置にあり、まことに重要な存在である。
 城といえば名古屋城、名古屋城といえば金の鯱が有名であるが、空飛ぶものの王は鷲、地走るものの王は獅子、海の王は鯱である。この海の王の意味もはらんだ「堅塁の愛知」は、さまざまな意義をふくめて「偉大なる愛知」をモットーとしていくべきではないかと提案したい。
4  皆さまは、地涌の使命あるがゆえに偉大でなくてはならない。広布のためには、偉大なる人材でなければならない。さらに、偉大なる信心の勇者、教学の指導者でもなければならない。また、社会に偉大なる根を張っていく“灯台”であり、人格者でなければならない。
 そういう意味で、「偉大なる愛知」を合言葉として、二十一世紀へ向けて、全国に先駆の中部を築いていただきたい。
 私が第三代会長に就任したのは昭和三十五年、三十二歳のときであり、本年で二十五年となる。
 昭和三十年代の草創期における本部職員は全国で八十人程度だったろうか、それで何百万人の学会世帯のいっさいを切り回していた。ほんとうに働いていたものである。朝は八時出勤。皆、駅から駆け足で来る。夜の学会活動を終えて、また本部に戻り夜中まで仕事をする。土曜もない。日曜もない。そのなかでひたすら、広布のためにと働いて、今日の大発展の学会の基礎をつくってきた。現在は、時代性もありさまざまな配慮もなされているが、この精神はけっして忘れてはならないと思う。
 高齢化社会の進展と相まって、職員、幹部の年齢も高くなってきたが、いくら年を重ねても、信心に老いはない。年をとるのは成住壊空の法理からいってもしぜんである。
 しかし、「心こそ大切なれ」と仰せのごとく、心が老いたのか、心が若いのか、それが問題なのである。
5  戸田先生は、戦後、日本占領軍の総司令官として訪れたマッカーサー元帥のことを、仏法上の梵天にあたると述べておられた。
 そのマッカーサーの当時の座右の銘といわれる言葉に「年を重ねただけでは人は老いない。理想を失った時に、はじめて老いが来る。人は信念とともに若く、疑惑とともに老いる。人は自信とともに若く、恐怖とともに老いる。希望ある限り若く、失望とともに老い朽ちる」というのがある。
 この言葉は、仏法の生き方からみても、心から納得できる含蓄深い名言であると思う。
6  兄弟抄には「今又日蓮が弟子檀那等は此にあたれり、法華経には「如来の現在にすら猶怨嫉多しいわんや滅度の後をや」又云く「一切世間怨多くして信じ難し」」と仰せである。
 末法にあって、正法を行ずることの至難さを訴えられた御文である。
 また続く「涅槃経に云く『横に死殃に羅り訶嘖・罵辱・鞭丈・閉繫・飢餓・困苦・是くの如き等の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず』」の御文に仰せのように、不慮の死をとげる場合があったとしても、大聖人は「現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」と断言してくださっている。
 不幸な事故は、絶対にあってはならないことではあるが、信心強き人はかりに重き宿業の苦しむようにみえても、三世の生命観のうえから見るならば、すべての姿が、宿業を現世に軽く受け、転重転受していると確信すべきである。
 妙法をたもち、広布の活動に喜々として邁進する人は、けっして地獄に堕ちゆくことはないのである。
 ゆえに、広宣流布の指導者である皆さん方は、いかなる困苦、困難に遭遇しても、広々とした心で、また鉄のような固き信念で、堂々たる広布の指揮をお願いしたいのである。
 そして、「偉大なる愛知」の誉れも高く、幸の風を、多くの方々に、また地域に豊かに薫らせゆく、信心強き人生を歩んでいただきたい。

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