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町田圏代表幹部会 蓮華とは因果一体の法

1985.3.3 「広布と人生を語る」第7巻

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1  町田は、東京にも神奈川にもない一つの独立した地域として、世界に模範の理想的な国土を建設していただきたい。
 現在、町田は中村康佑圏長を中心として進んでいる。中村君は関西出身で、青年部時代から活躍し、奈良県本部長や兵庫県長なども歴任してきた逸材である。本人のいちだんの成長を願って、学会本部に近い、東京の町田の地で活躍してもらっているわけである。情熱的な行動派であり、今後もよろしくお願いしたい。
 また、町田を担当している青木副会長は、広布推進への緻密さにかけては第一の人物である。一方、佐藤実圏本部長は、たいへんに人柄のよい、誠実にして温厚な方である。
 まさに、この町田にふさわしい三人のリーダーだといえよう。どうか三人を中心に、これからも仲の良い前進をお願いしたい。
2  「現当二世」とは過去世に対する言葉であり、現在世と当来世、すなわち現世と来世のことである。御本尊には「現当二世の為に」とおしたためになっている。人生にとってもっとも重要であり、大事なことは、私どもの今生きている現在から未来である。この原理が大聖人の仏法の偉大さであり、すばらしさであることを知らねばならない。
 よく「私は業が深い」とか「過去世で多くの謗法をおかしたのか、功徳が出ない」などという人がいる。
 もちろん、「業」は仏教の重要な法理の一つであり、『生命と仏法を語る』でも、縷々論じさせていただいている。
 しかし、「私は業が深い」などといって、人生の前進と宿命の変革への力強き息吹を失ってしまうことは、まことに退嬰的な姿勢といわざるをえない。こうした過去にのみ沈殿していくような、後ろ向きの感傷的な信心は、けっして日蓮大聖人の仏法とはいえないことを、強く申し上げておきたい。
3  末法の御本仏日蓮大聖人の大法は、あくまでも「現当二世、大願成就」のための信心なのである。
 過去をふり返って“どれだけの罪障や謗法があるのか”と悩んでも、私たちには計算できないものである。いかなる罪業が過去にあるにせよ、凡下の私どもを救済してくださる「大法」を日蓮大聖人は残してくだっさったのである。
 この現実の世界は「娑婆世界」であり、「娑婆世界」とは“堪忍世界”という意味である。ゆえに生きていくうえに、さまざまな苦悩や藤があることはとうぜんである。
 謗法はとうぜん、厳禁である。しかし、もはや朝な夕な、私どもは過去遠々劫の罪障消滅を可能にしてくださる御本尊に祈っているのである。大聖人の妙法によって、いっさいが「罰即利益」となり、また、「変毒為薬」されゆくのである。過去世がどうであれ、過去の自身の「業」がどうであれ、それらに迷う必要はないのである。現在のこの時点からいっさいを前向きにとらえ、信心を根本にたくましく生きぬいていくことが重要なのである。
4  いっさいの過去の宿命から立ち上がって、この社会のなかに新しい確固とした勝利の人生を打ち立てていくのが、まことの信仰者の姿勢である。
 過去の宿命を論ずるよりも、絶大なる功力のある御本尊へ勇んで唱題しながら生きぬいていったほうが、何百倍もの価値があることを知らねばならない。
 そこにのみ、多くの人をして納得と理解を与え、広宣流布の道が開けゆくことを忘れてはならない。
5  「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」と仰せである。
 歓喜の人生を生きていける因をつくってくださるのが大聖人の仏法なのである。
 この社会で生きぬく人生には、さまざまな悩みの連続が待っている。そのなかで私どもは“幸せの人生でありたい”“子供を立派に育てたい”“病気を治し、健康な人生を生きたい”等々、じつにさまざまな願望をもっている。だが、心弱き人は、宿命に泣き、あきらめに流され、苦悩に負けた人生となることも多い。
 私どもには御本尊がある。宿命転換の信心がある。歓喜の源泉の唱題がある。「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜」と仰せのごとく、御本尊に唱題していくことによって、大歓喜の生命を涌現し、薫発しつつ、一切の苦悩と不幸を大きく打開していけるのである。また、尊き使命を自覚し、生きがいと充実感深き、価値ある人生を生き、エンジョイしていけるのである。これほどすばらしき人生はないと確信されたい。
6  御本尊には、宇宙森羅万象の一切の法が含まれている。私どもの生命も十界三千の生命である。が、御本尊に南無することによってこそ、仏界が顕現し、あらゆる功徳・善根が湧き出ずるのである。朝に夕に、御本尊に唱題していくなかに、三世十方の仏・菩薩の加護があり、また、諸天善神の加護がある。
 それは、簡単にいえば、御本尊への唱題によって、われわれの生命に具わった仏界が内より薫発し、全宇宙に存在する仏界、菩薩界ならびに天界に連動し波動するため、宇宙の三世十方に実在する仏・菩薩ならびにあらゆる諸天善神が厳として私どもを守護してくださるという意義とも思えるのである。
 私どもはその実践を日々くり返していくことによって、みずからの生命をすばらしき歓喜の境涯へと転じ、開いていけるのである。
7  日蓮大聖人は「蓮華とは因果の二法なり是又因果一体なり」、「所謂南無妙法蓮華経は三世一念なり」、「因果一念の宗」、「久遠一念の南無妙法蓮華経」、「過去と未来と現在とは三なりと雖も一念の心中の理なれば無分別なり」と仰せである。
 一念の生命のなかに、常寂光の都もあれば、幸不幸のすべても含まれている。宿命に流されて嘆くのも自分自身の一念であれば、それを乗り越えてすばらしき希望と建設へ進んでいくのも自分自身の一念である。
 どうか町田の皆さんは、御本尊への深く強き信心の一念をもって、生命力満々と、潔く、希望の未来へと進みゆく歓喜の日々であり、人生であっていただきたい。

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