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日蓮大聖人・池田大作

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港区記念代表幹部会 人生の羅針盤を正確に

1985.2.18 「広布と人生を語る」第7巻

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1  広宣流布の活動にあって、多くの妙法の友をリードしゆく幹部は、新鮮な感覚と魅力にあふれた存在であっていただきたい。人々に希望と安心と楽しみを与えゆく納得性をそなえた激励、指導をお願いしたい。そして、心からの歓喜と勇気ある信心に満ちみちて、広布の大道を堂々と進みゆく一人ひとりであってほしい。そこにこそ、功徳に満ちた人生もあるし、広布の大前進があることを知っていただきたい。
2  四条金吾といえば、潔い、男らしい信心の人であり、日蓮大聖人の称讃をちょうだいした誉れの信徒である。その金吾に対し、御本仏である大聖人が、どれほど細かな点にまで配慮され、指導されているか。それは驚くほどの、こまやかさである。私どももおおいに学んでいかねばならないところである。
 当時と比べれば現代は、時代そのものも複雑になっているだけに、みずからの仕事、生活に、そして同志に対して指導するにあたっても、どれほどこまやかな配慮をめぐらしていかねばならないかを深く銘記されたい。
3  「よるはいかなる事ありとも一人そとへ出でさせ給うべからず」との仰せがある。“信心していれば、題目をあげていれば、絶対に守られる”という安易な考えであってはいけない。人生は、そんな簡単なものではない。仏法という人生の正確な羅針盤にしたがってどう生きていくか、ここに信心の基本があるのである。
 さらにこの御文を、今日のわれわれの活動のあり方として拝すれば、たとえば夜遅くの外出には十分、注意しなさいともうけとめられる。とくに、婦人部、女子部の方々は、帰宅が遅くなってはいけない。かならず早めの帰宅を心がけるべきである。
 幹部の方々も、とくに婦人部、女子部には、早めの帰宅をすすめ、また、遅くなる場合には、かならず家に連絡をとらせるよう細かな配慮をすべきである。
 風邪をひいたときや疲れたときなど、けっして無理をさせることなく、「早く元気になって活躍してください」といった真心の激励をしていくことこそ大事であり、この人間主義のいき方に学会精神があるのである。
4  大聖人は「心にふかき・えうじん用心あるべし」とも仰せである。いっさいを御本尊に願い、祈っていくことはとうぜんのことである。それを根本として、生活上の具体的なことで、どれだけこまやかな用心をしていくかが大事なのである。
 私は会館での火の用心、戸締りの励行、登山会などのバス輸送の無事故について、つねに祈り、さまざまな配慮をしてきた。皆さんは、家庭にあっても、職場にあっても、万般にわたって緻密のうえにも緻密に、ものごとを考え、心を配っていただきたい。
5  大聖人は酒をたしなむ四条金吾に対し「人のさけたばんと申すともあやしみて・あるひは言をいだし・あるひは用いることなかれ」と御教示である。酒席への誘いや酒の無理強いなどには賢明に対処することが必要である。
 また、「をとと舎弟どもには常はふびん不便のよしあるべし、つねにゆせに湯銭ざうり草履あたいなんど心あるべし」と、舎弟たちに対しても、入浴料や履物を買うお金などにも心を配り、生活に不自由のないよう配慮していきなさいと御指南されている。
 人間は感情の動物でもある。あたたかな配慮、思いやりのある言葉と話し方が、どれほど相手の心をなごませていくものであるか、また逆に、不用意な言動がどれほど人の心を傷つけてしまうかを知らなければならない。
 たとえば、父親など未入信の家族をもつ人がいる。その人たちに親を入信に導く重要性を訴えるのは大切だが、頭ごなしに、親が入信しないのは本人の信心がないからだ、などと決めつけることはまちがいである。
 信心するかしないかは仏縁によるのである。指導とは、けっして相手に重荷や圧力を感じさせるようなものであってはならない。指導の本義は、安らぎと勇気、希望を与えていくものでなければならない。信心の指導はあくまで厳格でなければならないが、良識ある配慮、気配りをしていくことが、広布の真実の前進をもたらすことを銘記していただきたい。
6  「女るひはいかなる失ありとも一向に御けうくん教訓までも・あるべからず、ましていさかうことなかれ」との御教示もある。
 少々の失敗や欠点があっても、女性に対してはあたたかく見守り、激励をしていく、大きな心、包容力を失ってはならない。ましてや、それらのことで同志間や、各部のあいだで、争うようなことがあってはならない。たがいに相手を尊敬しあい、守りあい、支えあいながら、異体同心の団結で進んでいくことだ。
7  「よき馬にのらせ給へ」との御文もある。
 馬とは、今でいえば車である。贅沢をするという意味ではなく、安全性の高い車を利用すべきである。故障があるような古い危険な車は避けるべきである。なぜなら、わが生命の安全がかかっているからである。したがって無理をしてまで車を持つ必要もなく、電車やバス、緊急のさいにはタクシー等を利用する方が賢明な場合もある。
 「かまへて・きたなきにすべからず」とも御教示である。尊い生命を、不注意のために、交通事故とか、不慮の事故で、亡くすようなことがあってはならない。
 ゆえに、こうしたことへの注意には、断じてふざけがあってはならない。生命に関する問題であるだけに厳格なる注意をうながすことが大切なのである。
8  「能く能く心をきたはせ給うにや」との御教示にあるように、一番大切なことは心を鍛えることである。
 エゴのうず巻く社会にあって、心を鍛えるとは、根本的には自行化他の仏道修行にあり、学会活動にある。この人生にあって自らの心を鍛えて、人々のために苦労し、働いていくことほどすばらしいことはない。
 「始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり」とも仰せである。いかなる大難があろうと、始めから終わりまで、ということは生涯、不退転で信心を貫き通す人こそ、如来の使いである。如来とは、末法においては日蓮大聖人のことであられる。
 現代において、代々の会長は、あらゆる大難を受けながら広布大願の実現に前進してきたのである。創価学会は「如来の使」の存在であり、仏意仏勅の団体であることを確信されたい。
 また、広布への実践においては“潔い信心”が大切であり、だれからも信頼される“頼もしき”存在であっていただきたい。
 また「今年かしこくして物を御らんぜよ」と仰せである。
 経済・政治の動向、自身の仕事や商売のあり方など、社会と人間のいっさいの現象の本質を“賢く”洞察していける人になっていただきたい。世間の風評や誘惑などにだまれて、敗北の人生を歩むようなことがあってはけっしてならない。
9  最後に、港区の白金は広布に縁の深い地である。これからは“黄金”の港区であってほしい。個人においても組織においても、輝く黄金の存在となり、模範となって、「黄金の港ここにあり」という見事な実証の姿を示していっていただきたい。

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