Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

南予圏四本部合同地区部長会 御書に云く「心こそ大切をれ」

1985.2.1 「広布と人生を語る」第7巻

前後
1  春を思わせる暖かな陽光がさんさんと降りそそぐすばらしい日に、大洲を初訪問し、元気な皆さまにお会いでき、これほどの喜びはない。
 ただいま、御本尊に、大洲の皆さんのますますのご健勝とご一家の繁栄、無量無辺に功徳が広がり、折伏の道が開けゆくよう、御祈念させていただいた。
 この大洲の地は、正信会の神力寺を中心に、邪智謗法の障魔の競った地であった。そのなかを耐え忍び、広宣流布へと邁進し、今日の上げ潮の発展を築いてきた大洲の同志の活躍を心からたたえたい。
2  日蓮大聖人は「大願とは法華弘通なり」と仰せである。大聖人の門下であるわれわれの眼目もまた、妙法の弘通でなければならない。その大聖人の仰せどおりに広宣流布に励む地涌の友を、いじめ誹謗することは、謗法であり、最大の悪である。それが正信会の姿であった。さまざまな悪と結託し、正法の同志に悪のかぎりを尽くした「悪鬼入其身」そのものの姿であったのである。
 そのなかを、御法主日顕上人猊下の御慈悲のもと、皆さんは粘り強く、純粋に大聖人の仰せどおりに信心を貫き、旧習深き地で折伏・弘教に励んでこられた。そして今日の広布の発展と功徳に満ちた実証を示してこられた。
 “仏法は勝負”である。仏と魔との戦いであるが、皆さんは信心で勝利したのである。御本尊が、さぞかし御称讃くださっているにちがいない。また三世の仏・菩薩、諸天善神の称讃を確信されたい。
 謗法の徒には仏法に照らされた厳しき因果の姿がある。私どもは「違恨無し」との御文を拝し、すべて過去遠々劫からの罪障消滅となったのだという深い心でありたい。
3  希望に燃え、健康に留意して長生きをし、すばらしき“妙法の長者”としての生涯を送っていただきたい。
 そして、深き縁に結ばれた同志として、友が苦しんでいるときは、その苦しみを分かちあい、唱題をしていこうと励ましあいながら、真実の和合の前進をしていただきたい。
 「ただ心こそ大切なれ」と大聖人は仰せである。「心」とは“信心の心”である。御本尊を根本として、信じ、行じゆく“信心の心”が、どれだけ深く強いかが大事なのである。
 信心は、一生成仏のための信心である。
 御書にも、理解はできても信心なき「有解無信」の人は「成仏すべからず」と説かれている。逆に理解はできなくても信強き「有信無解」の人は「成仏すべし」と仰せである。つまり、学歴、才能の違いも、貧富の差も、信心における幸、不幸とは無関係なのである。
4  御本尊を信じ、南無しゆく心の深さこそが、幸、不幸の岐路を決める要諦となることを知っていただきたい。御本尊への純粋なる信心こそ大切なのである。
 御本尊に和楽の家庭を願うことも、一家の幸せや健康、仕事の成功、功徳の人生を祈っていくことも大切である。その願いはかならず成就していくことはまちがいない。
 しかしさらに、広布に邁進し、「法華弘通」を念じゆく心こそ、最大に三世にわたり福徳を輝かせゆく因となるのである。

1
1