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日蓮大聖人・池田大作

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愛媛県代表者会 それぞれの分野で長者たれ

1985.2.3 「広布と人生を語る」第7巻

前後
1  愛媛・松山の地は、四国第一の広布の拠点ともいうべき国土である。四国各県とも、それぞれ意義と重要性をふくんだ地であることはいうまでもないが、この愛媛・松山の広布が、さらに深く、強く推進され、前進していくとき、四国全体が大きく進展していく原動力となると確信する。その意味で「信心の王国・愛媛たれ」と申し上げておきたい。その深き自覚に立って、大野県本部長、佐々木県長を中心にして仲良く、前進をお願いしたい。
2  品格と教養をそなえ、人々が朗らかに、伸びのびと安心して活躍できるリーダーであっていただきたい。けっして窮屈さを覚えさせるような権威的な長であってはならない。そして信心の指導にあっては、確信に満ちみちた、道理と筋道の通った指導でなければならない。
 また、「日々新たに」「日々求道」の、つねにみずからを成長させゆくリーダーであっていただきたい。その根本は信心をどう深めゆくかである。つねに信心を深めている人の話は新鮮味があり、人々の心に深くきざまれていくものだ。ここに信心の一念の不思議さがあることを知っていただきたい。
3  法華経譬喩品に「長者大富 庫蔵衆多(長者大いに富んで 庫蔵衆多なり)」とある。長者とは、「文底」の次元で拝するとき、末法の御本仏であられる日蓮大聖人のことにほかならない。また「庫蔵」とは、一切万法を収めた「法蔵」を意味し、三大秘法の南無妙法蓮華経のことである。
 譬喩品は「三車火宅の譬え」で有名であり、「火宅」とは煩悩の猛火に焼かれる六道輪廻の娑婆世界をたとえている。そのなかで“遊ぶ”子供らを救うために、長者は諸宝に荘校厳飾された「大白牛車」を与えようとするが、子供らは長者の言葉を信じない。
 そこで方便として羊車・鹿車・牛車の三車を示して、火宅の外に誘い出す。そして大白牛車を与えるのである。この「三車」とは「声聞・縁覚・菩薩の三乗」をあらわし、「大白牛車」とは「一仏乗」をあらわしている。
 すなわち文底から拝するならば、とうぜんのことながら、一仏乗とは大御本尊のことである。
4  宇宙空間には、目には見えないがさまざまな電波等の波が存在する。十界それぞれの生命の「我」は、大宇宙の十界の生命とつながって実在し、作用しあっている。
 この宇宙には畜生界の生命の“電波”もある。修羅界の“電波”もある。天界、地獄界の“電波”もある。そのなかにあって、御本尊に唱題しゆくとき、意識するとしないとにかかわらず、もったいなくも日蓮大聖人の御本仏の御生命と、われわれの生命の「我」が感応していけるのである。
 つまり譬喩品の「大白牛車」に乗るとは、直達正観の法理すなわち大御本尊に唱題し、仏界の生命を涌現していけることと拝せるのである。
5  愛媛の友はそれぞれの分野にあって、なんらかの“長者”であっていただきたい。
 ある人は“信心の長者”に、ある人は“経済の長者”となっていただきたい。また、麗しい和楽の家庭を築いた“家庭の長者”、職場で第一人者となった“職場の長者”、そして地域で輝く存在の“地域の長者”であってほしい。
 勉学を志している人は、その分野での“勉学の長者”に、また慈悲や包容力に満ちた“慈愛の長者”“包容力の長者”といわれる人等々、広布のあらゆる舞台にあって、一人ひとりが「われ長者なり」といえる、人生の総仕上げをお願いしたい。
 各分野に信心の“長者”ともいうべき第一人者が陸続と輩出しゆくところに、広布を志向する広範なる運動の展開がある。一人ひとりの成長、人間としての力と向上のなかに、広布の前進の縮図があり、広布を開くカギがあることを知っていただきたい。

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