Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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京都代表者会議 無垢の一念が御本尊に感応

1985.1.23 「広布と人生を語る」第7巻

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1  寒いなか、遠方からも創立五十五周年の代表者会議にお集まりいただき、心から感謝申し上げたい。
 本日、二年ぶりに京都池田講堂を訪問でき、広布功労の方々、また新しきリーダーの方々と、このような代表者会議の席で、深い思い出をきざめることは、まことにうれしいかぎりである。
 いうまでもなく京都は、きわめて多くの神社、仏閣を有する旧習深き国土世間である。学会が伸展を始めたころ、「京都だけは、学会がいかに折伏し、どのような方法で布教しようともだめだろう」というのが、多くの宗教評論家や学者、また他宗派の僧侶たちの見解であった。
 しかし今日、このような堂々たる正法興隆の現実をみるにつけ、京都広布の姿こそ、不可能を可能にした宗教革命の縮図であるといってよい。「京都では、あそこまで広布の前進ができた。それに比べれば他の県はもっと進めやすいものだ」といわれるほど、京都広布の前進は、各県の希望ある基準ともなってきたのである。
 宗教的にもっとも旧習深き京都の国土世間にあって、今日の大発展は、まことに広布の金字塔といってよい。
 京都広布の盤石なる基礎を築いてこられた皆さんの功徳は、永遠に輝いていくにちがいない。また御本仏日蓮大聖人の御称讃もいかばかりかと申し上げておきたい。
2  日蓮大聖人の出世の本懐は、本門戒壇の大御本尊の御図顕にあられた。そして大聖人の御化導の眼目は、南無妙法蓮華経の流布にあられたのである。
 大聖人は「立正安国論」「観心本尊抄」「開目抄」「本尊問答抄」「三世諸仏総勘文教相廃立」「当体義抄」等々、数多くの御書を残されている。これらの諸御抄のいずれも、御本尊の甚深なる法門を明かされ、信心のあり方等を御教示くださっているわけである。
3  ゆえに、大聖人の教えの究極は、大聖人が御図顕くださった御本尊をいかに信受していくかにあるのである。
 大聖人は末法に顕される御本尊を「観心の本尊」と仰せられている。
 「観心」の意義について大聖人は「我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり」と仰せられ、日寛上人はこの文を釈されて「我が己心を観ずとは、即ち本尊を信ずる義なり。十法界を見るとは、即ち妙法を唱うる義なり」(観心本尊抄文段)と述べられている。
 要するに「観心」とは“信心”なのである。深く強き信心を奮い起こして御本尊に南無していくことが、もっとも肝要なのである。ここに成仏の根本があり、大御本尊の大功力に浴しゆく方途があることを知らねばならない。
 「信心の血脈無くんば法華経を持つとも無益なり」と仰せのごとく、日蓮正宗の御本尊への信心の血脈が流れているかどうかである。
4  「水すめば月うつる風ふけば木ゆるぐごとく・みなの御心は水のごとし信のよはきはにごるがごとし、信心の・いさぎよきはめるがごとし
 信心の道理をじつに簡潔に御教示された御文である。
 無垢な人の一念による祈りや、強い純粋な婦人の一念による祈念が、御本尊に通じる例は、信心の体験のなかでよく知られている。
 御本尊は仏界の当体であられ、これほど清浄無比な当体はない。ゆえに清浄無垢な信心の一念であればあるほど、御本尊との感応は早く、深くなるのである。ここに信心のあり方の極理があり、大聖人の仏法の正しき実践があることを忘れてはならない。
 信心には、能力も社会的力も名声も関係がない。信心が清いかどうか、これが問題なのである。
 「叶ひ叶はぬは御信心により候べし」、「信心の厚薄によるべきなり」等の御教示を深く深く拝していかねばならない。
5  御書を拝せば拝すほど、大聖人の御教えどおりに、信心を強く深めていかねばならない。
 堤婆達多は、多くの経文をそらんじ、研鑽も深かった。しかし、釈尊に師敵対し、地獄に堕ちている。それは、仏法の研鑽が信仰の深まりへとつながっていなかったからである。すなわち、自分の増上慢で、仏法を手段としたといってよい。それと同じ道をけっして歩んではならないと申し上げておきたい。
 「信心、信心」と口で言うことはやすい。しかし、その実践はむずかしい。ゆえに、つねに信心を確かめあいながら、たがいに向上をめざしていくところに学会活動の意義がある。それが組織の目的である。
 その軌道をはずれて、怨嫉しあったり、役職の問題や指導上のことで感情的になって、異体同心の和を崩してはならない。
6  この旧習と伝統の深い京都の地にあって、異体同心の団結をもって、大聖人の仰せのごとく「立正安国」の道を開いてこられた皆さん方である。その功徳で生々世世、大福運につつまれていくことはまちがいないと確信する。
 ゆえに、低次元の怨嫉や感情的な人間関係によって、信心の水まで濁らせ、大福運を消してはならない。功徳を絶対に消滅させてはならない、と強く申し上げておきたい。
7  自身を深めゆく研鑽を    
 戸田先生が、私たち青年部の育成のために、厳しい信心のクサビを打ってくださったのは「日興遺誡置文」を通じてであった。
 ご存じのように、これは唯授一人の相承を受けられた日興上人が、後世のために遺言として、信行学の根本精神を二十六箇条にわたって示された訓誡の書である。
 私も、この、日蓮正宗の厳格なる信心の御精神をこめられた御文を拝し、魂を揺さぶられ、感銘したことを今もって覚えている。
8  戸田先生は、青年たちへの激励として、よく御書に揮毫をしてくださった。そのさい、この「二十六箇条」をひかれた。また「日興上人の御精神で進むべきだ」といわれ、第二祖日興上人の御精神を拝してのまことに厳格な訓練をされた。それが青年たちの信心の骨格を築き、広宣流布への精神をつくってきたのである。
 後継のリーダーへと育っていく青年部の諸君も、この二十六箇条の御精神を心に深く、強くきざんでいっていただきたい。そして、偉大なる広布の指導者へと成長していただきたいことを念願してやまない。
9  現在、私は、埼玉県の青年部の人材グループに、日蓮正宗の秘伝書の一つともいうべき「三重秘伝抄」の研究を進めてもらっている。少人数のグループであるが、将来は全国の各地で「三重秘伝抄」等の講義ができるような力ある人材に育ってほしいと祈っている。
 本日、京都でも、いくつかの人材育成グループが誕生した。喜ばしいことである。
 人材グループとして発足したからには、一流の学者を凌駕する深き研鑽と、みずからの成長をはかりゆくものであってほしい。
 とくに新時代を担う青年部の諸君は、もう一度、信心根本に真剣なる研鑽と自己錬磨に励むべきである、と私は希望したい。
 生命は刻々と変化する。その変化が、人間としての堕落に向かうか、向上へとつながるか。それを分けるのは、日々変化しゆく生命をたえず向上させゆこうとの自身の一念をもつか、どうかにある。
 どのような立場にあっても、研鑽を忘れた人には成長はなくなる。時代に遅れてしまい、深い感動と納得を与えていける指導者とはなっていけない。そこに、みずからを高くみせようとする“威張る”との姿勢が生まれ、信心とは無縁の上下関係で人を縛りつけようとするようになってしまう。
 私たちは、けっして求道と成長を失った、そのような道に堕落することなく、つねに自身の“信心”と“人格”を深めゆく、日々の研鑽を忘れてはならない。
10  広布の縮図の“信心の都”に 
 京都広布といえば、この古都に建立された平安寺のことが忘れがたい。私が発願し、京都に誕生した、この新たな正宗寺院に、当時の総本山第六十六世日達上人も心から喜んでくださった。他宗教の多い国土であっただけに、日達上人をお迎えしての晴れの入仏式は、私にとっても懐かしい思い出となっている。
11  それにつけても京都には神社、仏閣が多いが、なかには、将来、広宣流布が進んでいったとき、他宗教の仏閣や仏像等はどうなるのかという疑問をもつ人もあろう。
 私どもは、他宗教の誤った教義や異説、異論等に対しては、とうぜん破折もし、論議もする。また、それらの信仰対象を、正しき日蓮正宗の本尊を知った立場から破折するのもとうぜんであろう。
 ただし、たとえ宗派の違い、教義の違い、本尊の違いがあったとしても、それは宗教、信仰という“法”の次元のかかわりあいであって、それによって、他宗派の人々を憎んだり、不和になったり、疎外するようなことはけっしてあってはならない。人間として、社会人としての連帯は、とうぜんのことなのである。
 したがって、私どもは、たとえ誤った教義、本尊を破折する立場にあるといっても、その人のもつ人間的権利、社会的権利を最大限に尊重していくのはいうまでもない。また、神社、仏閣の建物等の文化的価値、意義等まで否定するわけでもない。日本人の文化、芸術、あるいは精神史の貴重な成果であり、文化遺産として尊重していくことはいうまでもない。
 その点に関して、本宗にもかつて日興上人の時代に、重須に御影堂とともに、垂迹堂が建立されていた。日達上人に、そのことをうかがったことがあるが、それは、他宗派の仏像等を大御本尊の垂迹としてとらえ、ここに収めて保存したとのことである。
12  京都の冬は寒く、底冷えが厳しい。また、夏はたいへんに暑くなる。こうした気候のもとで、日夜、けなげに信行学に励んでこられたことは、まことに尊いお姿であると思う。 京都は千古の歴史に薫る、日本のみならず世界的憧憬の地である。
 そのすばらしき国土を愛し、大切にしながら、泥水の上に蓮華の花が美しく咲いているような世界を、この京都に築いていただきたいのである。
 そして将来は、座談会も、麗しき優雅な“信心の都”にふさわしく、全員が和服姿で(笑い)、世界の人々もあこがれて出席するような、どこよりも福運に満ちみちた京都になっていただきたい。そして、京都といえば“日本の縮図”“広布の縮図”といえる仏国土を築きゆかれんことを念願し、私の話としたい。

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