Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第一回日米青年合同稔会 恒久平和と青年の使命

1984.3.11 「広布と人生を語る」第6巻

前後
1  きょうの、若き日米二万人の青年合同総会は、天も喜び、風もほほえみ、諸君のあとに陸続と続きゆくであろう青少年の心に、希望の鐘を乱打しゆく、歴史的な総会であると、私は信じたい。
 青年は、つねに、次の時代に生き、次の時代を建設し、次の時代の人類の進歩のために、みずみずしき推進力となっていくものである。
 そのめざしゆく目的の一点は何か。
 それは、平和への価値と、文化への価値と、生命への価値に対する絶えざる探究でなければならないと思うが、諸君どうであろうか。
2  私はここで政治を論ずるものでもない。経済を論ずるものでもない。科学を論ずるものでもない。もちろん、そうした次元も、現実的に大切であることは、論をまたない。だが、それらは本来、すべてが人間のためにあり、すべてが人間から出発し、人間に帰着していくべきものであることを忘れてはならない。
 ゆえに、その人間とは何か、生死とは何か、本源的生命の実体とは何か、という根本問題を、追究していくことこそ最重要となってくるのである。
 日蓮大聖人の仏法は、「十界三千」「空仮中の三諦」「法報応の三身」「久遠元初」というごとく、いかなる哲学、宗教にも、いまだかつて説かれたことのない、人間生命という、本源の実体を明快に説き明かした大哲理なのである。
3  ゆえに諸君は、行き詰まりの現代社会にあって、すべての人類、すべての人間が、共通して普遍的な新しき人間革命と新しき人生と、新しき世紀へと志向しゆくことのできる、大仏法の探究と実践と、そしてまた実証とを、明確に汝自身に知覚していかねばならないと思う。
 その一点がないかぎり、政治・経済次元のいかなる方策も、いかなる方法も、いかなる手段も、結局は崩れ去ってしまうからだ。
 たとえば、基礎が弱ければ、堅固にして盤石なるビルディングは建設できない。
 と同じように、人生においても、また国、社会においても、その蘇生と幸福開花のためには、堅固なる土台、すなわち哲学・宗教がなくてはならないわけである。
4  哲学不在の時代 
 端的にいえば、現代は、「哲学不在の時代」といってよい。いま、現時点の世界的行き詰まりは、それぞれの人に、それぞれの民族に、それぞれの国に、哲学がなくなってしまったことに根本的な原因があるといえよう。
 過去には、ソクラテス、アリストテレス、デカルト、カント、フルクス、ヘーゲル等々の、幾多の思想・哲学というものがそれなりに息づいていた。また、多くの宗教の聖者ともいわれる存在が息づいていた。だが、それぞれの思想も、哲学も、宗教も、長短の差はあれ、寿命があり、現代では効力をまったく失ってしまっている、といわざるをえないのである。
 時代社会に哲学がないということは、その時代が不幸である証左ともいえるのである。
 なぜならば、哲学なき人は、人生の深き価値が見いだせない。不安定な、さすらいの人生となってしまう。そこには、怠惰が生じ、堕落が始まる。そして、希望を失い、安逸と享楽に沈んでしまうからである。
 その意味において、いかなる人も心から納得し、実践でき、いかなる人も明快なる答えを実生活に顕現できうる哲学・宗教が必要になってくる。
 これこそ、いまだかつて、この世界で歴史の淘汰を受けたことのない、太陽の仏法すなわち日蓮大聖人の仏法であることを、私は声を大にして申し上げたいのである。
5  愛する、未来に生きゆく、自由の天地アメリカの若き共に、私は、二十一世紀、さらには未来永遠にわたる、この大仏法を、さらに深く研鑽し、さらに強く実践し、わが身に納得のいくまでの深化を、と心から切望するものである。
 私どもは、アメリカに日本の異文化を流入せしめようとするものではけっしてない。また、その必要もないと思っている。
 アメリカの文化も、この数十年の間に驚くべき勢いで日本に入っていったことは、皆さんよくご存じのとおりである。たとえば経済レベルでいえば“アメリカがくしゃみをすれば、日本は風邪をひく”といわれたほどである。
 一方では、世界の国々がお互いの良き文化をお互いに吸収しあってきたところに、今日の各国の発展があるわけである。
6  人類は大仏法を渇迎 
 太陽が昇りゆけば、地球上の全人類に、遍く平等にその恩恵が与えられる、と同じ原理で、新しき永遠の普遍の大法則たる、仏法の広がりもまた、すべての人々がしぜんに渇迎しゆくものである。また、すべての人々が心の奥で、しぜんに願望しゆく法であるがゆえに、世界に流れゆくものであるといってよい。
 しかし、なにごとも提示しなければならない。私どもは、それを知っているがゆえに、明確に知らせゆこうとする運動を行うのは、これまた当然の理である。これが「広宣流布の運動」なのである。
 ともあれ、これらの道理は、哲学・宗教に限ったことではない。学理もそうである。科学もそうである。また、文化もしかりである。
 浅深高低はあるが、たとえば、今日、多くのアメリカ人は、キリスト教徒である。
 だが、キリストは、アメリカ人ではない。ユダヤ人である。三千年前にインドに生まれた釈尊の仏教も、国境を超え、民族を超え、多くの国々に広まったことも歴史的事実である。
 日蓮大聖人は、日本に御聖誕なされたが、いま、日蓮正宗が、末法万年にわたり、広く世界へと広がりゆかんとすることも、一面からみればこれらと同じ方程式といってよい。
7  創価学会の「創価」とは、一言でいえば「価値創造」の謂である。人間の人間としての証は、この価値創造にあるといってよいであろう。
 人生の営みを深く凝視してみるならば、人間は「利」の価値、「善」の価値、「美」の価値とを追求していくものである。
 「利」の価値とは、主として経済的側面の価値である。これは生命を維持するための基盤になるものといってよい。
 「善」の価値とは、「悪」に対するものである。人間社会において最大の悪の行為は、殺人であり、戦争である。人間が人間を殺そうとすることほど、愚かで不幸なことはない。
 この「悪」を追放し、最高善をもたらす大法則が、結論していえば妙法である。
 妙法こそ自身と社会と宇宙を貫き、人々をして最高最善の幸福をもたらすことができる大法則なのである。
 「美」の価値とは、「文化」ともいえる。文化とは、人間生命の内面を耕し、豊饒なる人間性を開花させていくものである。
 ともかく私どもは、この無限の価値を創造しゆく根本として、妙法という大法則を知りえたわけである。
 この「利」と「善」と「美」との価値を、具体的に社会に向かって展開しようとしているのが、私どもが行っている平和と文化と教育の運動である。
8  ここで私どもが、なぜ平和運動をするのか申し上げておきたい。それは、日本は、世界で唯一の被爆国であるからだ。私どもの運動はいわゆる政治的次元のものでもない。イデオロギーの次元のものでもない。あくまでも仏法に説く生命の尊厳を守りたいがために、この運動を幅広く世界に展開しているのである。その生命尊厳の思想の根本は、日蓮正宗の信仰にあることはいうまでもない。
 日蓮大聖人は「一閻浮提」と仰せであられる。
 一閻浮提とは世界のことである。私は日本人として、とうぜん日本も大事である。しかし日本は一億二千万人。世界は四十六億人になんなんとしている。その四十六億の彼方に向け、大法を弘通し、ともに平和と文化と教育を推進しゆくことが、人類にとっていかに重要な課題であるかを知っているがゆえに、この大運動に挺身しているのである。
 ともあれ、社会も乱れ、人の心も乱れゆく世界の実態を見るにつけ、また飢餓にさらされた人々が何億と存在する今日、どうしても私は、世界平和のために、また一国一国の安定のためにも、国連の存在がひじょうに大事になってきていると思っているひとりである。
9  世界の青年の連帯で平和を
 たしかに核廃絶、軍縮のためには、政治的働きかけも不可欠であるかもしれない。
 しかし、これからの世界不戦、世界平和を願望する、前進また前進の、確かなる運動のひとつは、世界の青年と青年、世界の学生と学生とが、スクラムを組み、連帯をしながら進む意外に、その実現への道はありえないと、私は訴えておきたい。
 その意味において、私は、きょう集った妙法を護持した二万人の青年諸君が、そのリーダーシップをとっていく以外にないということを宣言しておきたい。
 情熱の国ブラジルでも、青年が私たちと心を一にして歩んでいる。太陽の国ペルーの青年もまた、同じである。フランスにも、西ドイツにも、イタリアにも、スペインに、スイスにも、ホンコンにも、マレーシア、シンガポール、そして、パナマ、ドミニカにも、ベリーズ、メキシコにも、カナダにも、そしてまた、いわゆる社会主義諸国にも、二十一世紀の大陸アフリカのガーナ、ケニア、ナイジェリア等々にも、同じ志向性を持ちながら、青年が、平和の声を大にして脈動している。
 愛する諸君。このようにして、全世界の青年が「世界へ 世紀へ 誓いの行進」を開始しているのである。これこそ壮大なる二十一世紀へ向かっての、新しき信仰と英知と情熱の、新時代の開幕であると、私は申し上げておきたい。
10  御聖訓に云く「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」と。
 仏法では、この世に生を享けた人は、だれ人たりとも使命があると説かれている。きょう集まった、諸君一人ひとりにも使命がある。
 それは、地味であり、派手なものではないかもしれない。しかし、だれ人もが、偉大な信仰によって、生命の充実と、人生の満足感を味わいながら、多くの悩める人々に、勇気と希望とを与えゆく平和の勇者の行進なのである。
 最後に、諸君は、良きアメリカ市民として、自由の天地アメリカの未来の栄光と自身の栄光とのために、たゆみなき勉学と社会での活躍、とせつに祈るものである。
 なお、本日は、日蓮正宗の御尊師方のご出席、ならびに国連事務次長ルシル・マイヤー氏をはじめ著名なご来賓の皆さま方のご出席をいただき、一同を代表して心より感謝申し上げるものである。サンキュー・ベリー・マッチ。

1
1