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日蓮大聖人・池田大作

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一乗寺新築落慶一周年記念法要 「三宝」への報恩感謝が信心

1984.2.28 「広布と人生を語る」第6巻

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1  仏・法・僧の「三宝」を敬い、供養申し上げることは信徒としての根本である。
 仏宝とは、御本仏日蓮大聖人、法宝とは南無妙法蓮華経すなわち本門戒壇の大御本尊であれられ、僧宝とは第二祖日興上人の御事であられる。
 そして南無妙法蓮華経の大法は、第三祖日目上、御歴代の御法主上人へと受け継がれ、現在では御当代御法主日顕上人猊下に御相承なされている。本門戒壇の大御本尊を信じ、仏祖三宝尊への報恩感謝が、信心の根本なのである。
2  ブラジルは、日本からみて地球の反対側にあるため、なかなか総本山大石寺に参詣できないメンバーもいるにちがいない。その場合は、開闡山一乗寺に参詣し、唱題申し上げることが、総本山に参詣し、本門戒壇の大御本尊に南無しゆくことに通じる。
 「財施」とは、仏祖三宝尊に報恩感謝の心をもって、財物を供養し奉ることであり、その信心によってわが身に無量の善根を積んでいけるのである。正宗の信徒として、仏祖三宝尊をつねに敬い、そして令法久住してくださる御僧侶方が安心して御奉公できるためにも、この供養の精神を忘れてはならない。
 財施といっても、財の多寡ではなく、仏祖三宝尊を敬い、供養申し上げようとする真心が大事なのであり、その信心の“志”のなかに、永遠にわたる功徳、善根が積まれていくのである。
3  「法施」とは、仏の所説のごとく法を弘め、衆生を救うことであり、「折伏」にあたる。大聖人のお使いとしての折伏行は、無量の福徳を開き、最高の善根を積んでいけるのである。
 法の布施である折伏によって無量の功徳を受け、財の布施を仏祖三宝尊、御僧侶に供養申し上げる。そして、再び法施(折伏)に邁進しながら、功徳を積み、広宣流布へと開いていく。これがまた財施にもつながるのであり、この繰り返しがわれわれの信心である。
4  NSB広布の途上でいた方々の追善法要で、塔婆供養がなされたが、塔婆供養の意義について述べておきたい。
 死後の生命は、宇宙に冥伏し、生前の因縁に応じて、十界のそれぞれの世界で、苦楽の果報を受けているのである。塔婆供養による唱題の回向によって、諸精霊に追善がなされ、生命の我を“悪夢”から“善夢”へと転換していけるのである。そて、本日の追善法要で、正しき仏法、正しき僧侶の唱題・回向によって、諸精霊が苦悩を転じて仏果を得たということを確信してほしい。
 NSBは、この一乗寺を“私たちの一乗寺”として、また阿部尊師、磯村尊師を“私たちの導師”として最高の誇りと親しみをもって、僧俗和合の前進を、と望むとともに、ブラジルの社会にあって、見事なる広宣流布の意義をとどめゆく社会貢献の実証を示していっていただきたい。

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