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日蓮大聖人・池田大作

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マイアミ会館開館記念勤行会 妙法は一切の悪を防ぐ秘術

1984.2.18 「広布と人生を語る」第6巻

前後
1  ミシシッピの大河も、一滴から始まる。そして、しだいに大河となって大海にそそいでいく。マイアミの地の広布の流れもモントゴメリーさんら三人の同志から始まり、いまでは五百人を超えるまでに発展した。十年後はどれほどの発展をとげるか、楽しみである。また、小さいながら会館もオープンした。この会館も、やがては大きな会館へと発展していくにちがいない。そして御本尊も、特別御形木御本尊を御下付賜るよう御法主上人にお願い申し上げたい。
 本日の集いもまた、百数十人の、小さいといえば小さな会合かもしれない。しかし、その意義は大きい。このオープンの集いに出席していたということが、十年、二十年後には、どれほどの誇りとなり、福徳となり、名著となって輝いていくかはかりしれない。
2  人間は、人間としての健全なる人生を生きぬいていくことが、もっとも尊く、立派なのである。名誉でもない、財産でもない、たとえ平凡であっても、人間としての健全なる生活で、人生を生きぬいていくことが、大切なのである。
3  世界的に犯罪が多くなり、アメリカや日本、そして世界の”理想郷”といわれたマイアミにも、犯罪が増加していることを、私は憂う。犯罪は地獄である。不幸である。アメリカのある高校では約七割の生徒が麻薬(マリファナ)を吸っているとの話を聞いた。麻薬によって、みずからの人生、人間性を破壊し、希望のない人生へと落ちていくことは不幸であり、悲惨である。
 麻薬による快楽は、その時は楽しいかもしれない。だが、いつしか人生を破壊してしまうことになる。それに対し、信心は修行であり、勤行することも、折伏をすることも、けっして安易なものではない。しかし、信心は希望と蘇生と充実の生き方をもたらしてくれるのである。
4  社会にあっては、善良な人も、犯罪におよぶような人とともに生活していかねばならないことは、避けられない現実である。そのなかで、どのように自分を、そして家族を守っていくかは、しだいに切実な問題となっている。
 「真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり」と大聖人は仰せである。勇気をもって題目を唱えつづけていく人には、三世の仏菩薩、諸天の加護が働き、しぜんに悪の手を防ぎ、守られていくのである。ここにいわば、人生の”安全地帯”としての信心の重要性がある。南無妙法蓮華経を唱え、弘めゆくことによって、人々の悪しき心を善良の心に変え、導いていくことができるのである。ここに折伏・弘教の深き意義があるといってよい。
5  NSAの広布の運動は平和と安穏を築き、犯罪のない、より良き社会を建設しゆくための運動である。また人々の心を浄化し、蘇生させゆく運動である。これらの課題は、いずれもアメリカそして世界において、解決の急務なものばかりである。その意味で、NSAこそ全米の最大の希望の星であると訴えておきたい。
 正しき信仰を持った人は、人間として最高の人生の大道を歩みゆく人である。信仰なき人はいかに財宝を持ち、名誉があったとしても、それらには永遠性がないゆえに、いつしか充実感のない、むなしい、結局は、はかない人生となるといってよい。それはけっして賢明な人生の生き方ではない。
 「はかなきを畜といふ」との大聖人の御聖訓がある。人間として生を享けながら、畜生のごとき人生では、無意味、無価値なものである。
 NSAの友はウィリアムス理事長とともに”われわれは最高の価値ある人生の大道を歩んでいるのだ”との確信をもって、大いなる前進をしていただきたい。

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