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日蓮大聖人・池田大作

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ダラス会館開館十周年記念勤行会 一人一人の生命に”平和の基地”を

1984.2.15 「広布と人生を語る」第6巻

前後
1  ケネディ大統領の暗殺という悲劇で世界に知られたダラス。しかしケネディのニュー・フロンティアの夢をあたかも今にうつすかのごとく希望の地とし脚光をあび、二十年前からは想像もできない大発展の光り輝くダラス。この地は、将来、アメリカのみならず世界の“象徴の地”となっていくにちがいない。
 また、妙法の同志も、二十年前はベーデン方面長一人といった状況であったのが、今日では三千人を超える地涌の友が誕生していることに驚くばかりである。
2  宇宙に打ち上げられた衛生と宇宙飛行士は、地球上の基地と電波でつながっている。つまり電波は宇宙へと広がっている。と同じように、南無妙法蓮華経は、全宇宙へと響いていく根本法である。さらに、その宇宙まで改名していこうとする英知は、人間自身から発し、その英知の創造性は、創造できないほどの広がりをもっている。
 そして人間のもつ、あらゆる思想、哲学の根底に根本法としてひろがっているのが妙法である。また、妙法蓮華経の五字は、頭、咽喉、胸、腹、足の五体に配せられるように、人間それじたいが妙法の当体となる。南無妙法蓮華経は、宇宙と人間とを貫く根本の大法なのである。
3  小宇宙でもあるわれわれの生命には、三世からの宿業、宿命が染まりついていて、長い間“掃除”もせず「貧・瞋・癡・慢・疑」のかたまりのようになっている。
 打ち上げられた衛生も、軌道からはずれれば落ちてしまうか、宇宙の彼方に飛び消えていってしまうにちがいない。人間もまた同じように生命の根本軌道からはずれたならば、絶対なる常楽の人生はありえない。ここに信心の必要性がある。
 そして、この信心の「根本尊敬」の当体である御本尊に南無しゆくとき、わが生命を妙法が貫き、「貧・瞋・癡・慢・疑」という不幸の根源を、嵐のごとく吹き払って清浄してくれるのである。とともに、その信心の一念は宇宙をも清浄世界へと変えていくのである。
 また、妙法によって、清浄にされた生命は、死しても、清浄なる宇宙生命へと融合していく、つまり仏界の生命へと入っていけることを確信されたい。
4  科学の世界であるヒューストンのロケットにたとえてみるならば、われわれの人生もまた、同じように考えられるのかもしれない。
 この人生を自由自在に、幸福の軌道にのせていくためには、同じく基地や噴射燃料が必要となっていくにちがいない。つまり、まことにもったいないたとえであるが、御本尊は、幸福へ飛び立つ、ゆるぎなき基地ともとれまいか。また、唱題は、ロケットが噴射していく、そのエネルギーともいえないだろうか。
 とともに、正確にみずからの永遠なる目的である成仏への軌道を知るためには、御書を拝し、御法主上人の御指南を拝していかねばならない。さらに先輩、同志のリーダーたちの指導や激励をその助縁として、確かな方向へと進んでいくことが大事となる。
5  四条金吾殿御返事に「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」との御聖訓がある。
 いかなる三障四魔があっても、絶対に「御本尊」から離れてはならない。厳しい生活のなかにあって、ここにのみ幸福への基地が厳然としてあるからだ。御本尊から離れれば、それまでいくら信心に励み、また、いくら幸福境涯にあったとしても“不幸の宇宙”へと飛んでいってしまうのである。
 「ケネディ宇宙センター」も発射のためにはつねに整備し、発射器具を磨き点検していかなければ、さびて使用できなくなる。同じくわが生命も信心によってつねに磨かなくてはいけない。これこそ勤行であり、行学である。
 基地は戦争のための基地であってはならない。平和と幸福のための基地でなくてはならない。この地球上にある邪悪の基地を一掃し、一人ひとりの生命の“平和への基地”を完成していくのが、私どもの広宣流布運動の使命なのである。そのために一人ひとりが妙法の生命の“平和の基地”をさらに堅固につくりあげていただきたい。

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