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墨田区懇談会 生涯、同志の誓い忘るを

1984.12.13 「広布と人生を語る」第6巻

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1  この一年間、多くの同志の強い信心と、広宣流布への大なる活躍により、全国的に、正法興隆の最高の上げ潮を築くことができた。心から感謝の意を表したい。
 この墨田の地にあっても、誠実な大橋墨田長を中心に、目標も立派に成し遂げ、充実した広布の基盤をつくりあげた一年間であったと確信する。また、先日の「SGI会長平和行動展」では、とくに墨田の青年部の方々の多大なる努力によって大成功を納めることができた。厚く感謝申し上げたい。
2  ここで「平和行動展」について少々、申し上げておきたい。
 仏法には“八風におかされてはならない”とある。その意味から、私の行動を中心とした展示には反対してきたし、そうした展示の開催など考えもしなかった。
 しかし、幹部たちが会った多くの内外の文化人や海外の平和学者の方々から「平和への行動を、事実として明確に社会へ訴えることは、平和を願い、平和のために戦う人にとっては当然のことである」「遠慮はおかしい。遠慮することは、ほんとのう平和行動ではないと思われてしまう」「仏法を基調とした平和への強い強い主張こそ、折伏精神ではないのか」等々の話があり、執行部も考えはじめたものである。
 そうした励ましと強い要望とともに、数年前から、「平和行動展」を開催したいとの、青年部をはじめ各県、地域からの意向があった。本部としても、それぞれの意思を尊重し、自由にまかせるとの伝統のもと、開催されるようになったものである。
 江戸っ子の私は、テレやで、何度も来てほしいと言われたが、遠慮させていただいた。ただ、少しでも広宣流布の一翼にでもなればと思い、また事実を事実として社会に認識を与えることも大切ではないかと思っているしだいである。その点、私の気持ちを了解していただきたい。
3  ここ数年間は、世間の批判・中傷に流され、何かに遠慮しているかのような風潮があった。そして、あの凛々しい勇敢なる創価精神というものが薄れ、行動がにぶりつつあることを心配していた。
 そこでもう一度、確固たる原点に立ち返って、主張すべきことは主張し、行動すべきことは行動しなければならないと決意するにいたったのである。
 広宣流布と平和実現への私どもの正しい業績をそのまま多数の人々に伝えていくことは、ともどもに広宣流布の推進に通ずると確信していきたいものである。
4  十二月になると思い出すことがある。それは、昭和二十八年十二月二十三日のことである。当時、私は青年部の第一部隊長であった。東京の城東方面を担当していた。この墨田も入っていた。この日、東京・五反田の星薬科大学の講堂に戸田会長を迎え、五千数百人が集い、男子青年部の総会が行われた。それは、歴史的総会として、多くの人の胸中に今もなお深く記憶されている。
5  総会の席上で私は、青年部の代表とし戸田先生に三つの宣誓をした。
 その内容を要約すると、まず第一に、世界広布へ誓いであった。
 当時、学会は「諫暁八幡抄」などを拝し、「東洋広布」を一つの目標として、志向していた。そこで、私は本門戒壇の大御本尊に対し、世界の広宣流布に身命を捧げ、完遂しゆくことを誓ったのである。そのとき、私は二十五歳であった。
 以来、三十一年間、その誓いのとおりに実践してきた。若き日の誓いとして、ありとあらゆる苦難を乗り越えながら、一歩も退かず、世界広布のためにまっしぐらに、私は進んできたつもりである。
 きょう集った青年部の皆さんのなかには、当時まだ生まれていなかった人も大出あろう。だが、創価学会青年部の伝統精神として受け継いでいただきたいことをお願いするものである。
6  また、誓いの第二は、青年部は生涯、どこまでも戸田門下として広宣流布実現のための“手駒”として戦いぬくことを決意し、誓った。
 それぞれが自分勝手の、わがままな生き方をしていくならば、広宣流布の壮大なる前進はありえない。
 その意義からも、師の示すそれぞれの分野で、それぞれの使命で、それぞれの責任で、それぞれの役割の部署を受けながら、喜んで進みゆくことを誓ったわけである。
 私も私なりの、師のひとつの手駒となって、広宣流布に邁進してきたつもりである。
 大事なことは、いかに次代に変貌しようとも、変化しようとも、確固たる広宣流布への自己の存在を自覚していくことである。
7  第三は、今日ここに集った青年は、広宣流布を目標として、御本尊に照らされながら、戸田先生の門下として、生涯絶対に同志を裏切らないとの誓いであった。私は一貫してこの誓いを裏切っていない。
 広布の法戦にあたって、増上漫や、小心、臆病から退転するようなことがあってはならない。また、社会的地位をもったからといって、名聞、名利に流され、広宣流布を忘れ、同志を裏切っていくことは絶対にあってはならないと誓ったわけである。
 いま、私は、三十一年間の法戦を振り返ってみたとき、あるひとは退転し、ある人は反逆し、ある人は社会に迎合して、信心を忘れ去っていったことが残念でならない。
 私は、一直線に大御本尊に誓ったこと、また恩師に誓ったこと、そして同志に誓ったことを裏切らずに、晴ればれとした境涯で今日まで歩んできたつもりである。
8  どこの世界でも裏切りということは、人間として最低である。その最低の姿を、仏法では「地獄」と説いている。
 すなわち、地獄の「地」とは最低という意義であり、最低の次元につながってしまうという意味のようである。
 きょう集った青年部の諸君も一生涯退転せず、見事に信心を貫いていただきたい。「一生涯信心しぬいた人がまことの信心である」ことを、けっして忘れてはならない。それには、世間の非難に屈してはならない。また、いかに自分の地位が有利になろうが不利になろうが、そうした浅い次元で地位の信心を流されてはならないのである。
 この正しき信心をしきった人こそ、三世十方の仏・菩薩、諸天善神に讃嘆される人である。さらに、三世を通暁なされている御本仏・日蓮大聖人に讃嘆され、永遠に御加護をうけられる人なのである。
9  世間というものは、ある意味では、残酷である。よいときは人がつくし、悪いときは人が離れる。猫の目がクルクル変わるようなものである。
 世間のことのみを気にして生きることは、あまりにもはかない。人生の行く末というのもは分からないものだ。永遠に変わらないのは妙法のみである。どこまでも妙法に生き、妙法とともに一生を貫きゆくことである。
 とくに、青年部の諸君は、広宣流布という大道を信心という正道をば、勇敢に歩みぬいていただきたいのである。御本尊を根本にし、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を推進しゆくなかに、この青春時代を築いていただきたいのである。
 青春時代の信心は、長き人生の総仕上げのための、盤石なる基礎をつくっていることを忘れてはならない。若き光景の諸君にとって、すばらしき青春の日々であるように心から切望したい。
 墨田区は、来年も区長を中心に、いちだんと盤石なる基礎を立派につくりあげていただきたい。そして「模範の墨田」と、多くの同志からいわれるようになってほしいとお願いして、私のあいさつとしたい。

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