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岩国での自由勤行会 「地走る獅子」「空飛ぶ鷲」の如き信心

1984.10.24 「広布と人生を語る」第6巻

前後
1  岩国へは二十五年ぶりの訪問となった。初めてこの文化会館を訪れ、皆さまにお会いできてうれしい。
 ここ岩国の地の広布の歴史は、私が二十八年前、すなわち昭和三十一年に訪問してから本格的に開始されたと記憶する。当時、この地方には学会員は十数世帯であった。今日では岩国市内だけでも三千四百世帯となり、大変なる発展である。その間の労苦に対する功徳は、すべて皆さま方に帰っていくにちがいないと確信する。
 今日の勤行会にはお子さんたちも大勢見えているが、たいへんに頼もしいことである。この幼い子たちに一生涯の信心の源泉を与えゆくという意義は大きい。幼少のころより正宗の寺院や学会の会合に接することは、どれほど大事であるかと、私は強く感ずるものである。
2  妙法は「地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」と御書に仰せのごとく、絶対なる力のある大法なのである。人生においては、力がなければ真実の幸せはないし、人々を救うこともできない。この妙法の絶大の力をいただくための信心なのである。ゆえに、信心は勇気と希望をもち、不退心でなければならない。
3  山口での法戦は、戸田先生の特別な深き意志を受けて、私の責任で行ったものであった。三か月にまたがり、延べ約三週間、山口の各地を走りまわった。
 総本山第六十六世の日達上人も山口法戦のことをご存じで、あるとき「深い感銘を受けた」とおっしゃられながらご懇談をしてくださったことがある。それは、あの山口法戦は見事なる折伏の勇者の戦いであった。外護の学会が旭日のごとく発展してゆけば、宗門もまた旭日のごとく興隆する。その意義において山口法戦の姿はひとしお感銘した、と称讃してくださったことをよく覚えている。
 山口法戦は私にとって限りない思い出であり、生涯、永遠に消えることのない宝であると思っている。財宝も名誉も永遠とはいえない。永遠不滅なるものは妙法のみである。永遠に、生命を飾りゆくものこそ信心であり、不滅の財宝なのである。
4  どちらかといえば、学会はこれまで大都市を中心とした指導を行ってきた。それも、もちろん大切なことであるが、これからは、たとえば今回訪問した萩市、柳井市、また岩国市といった人口数万から十数万の、いわゆる中小都市の指導や折伏に力を入れていくことが必要な次代に入ったと思う。
 会館の前を流れる錦川には錦帯橋がかかっている。さきほど、その美しい姿を見て懐かしかった。
 かつて錦川は氾濫が多く、何度か橋が流された。そこで人々のために洪水に流されない橋を、とのことで、二百数十年の風雪に崩れなかった五れん錦帯橋が築かれたということである。
 と同じように私どもの学会も、あらゆる洪水やあらゆる非難をうけながらも、永遠不滅なる妙法を信ずる力によって、永遠不滅の土台ができ上がったことに感謝したい。
5  いかなる苦境になったとしても信心だけは絶対に貫き通すべきである。それはだれ人のためでもない、すべて自分自身のためであるからだ。信心を失った人と信心を耐えぬいて貫いた人とは、かならず大きなちがいがでてくることを、私は確信するからである。
 御本尊は絶対不滅の法であられる。ゆえに、信心の強き人こそ不滅の幸福者になれるのである。強くなくしてほんとうの幸福はない。
 強いといっても、我見が強いとか、偏頗な心であってはいけない。円教なる妙法への信心強き人こそ、最高の幸福の人なのである。
 どうか、皆さん方は、福々しい、意義のある、悔いない人生を送ってほしい。その模範の岩国であっていただきたい。

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