Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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柳井での自由勤行会 朗らかを人生と生活を

1984.10.24 「広布と人生を語る」第6巻

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1  私の青春時代の思い出の地・柳井を再び訪問できてうれしい。
 昨夜、この地で、雑誌『潮』の新年号から連載を予定している「『生命と仏法』を語る」の第一回の対談を行わせていただいた。
 ともかく生命は一念に尽きる。仏法では、一念の生命の本性として「元品の無明」と「元品の法性」とが説かれている。
 日蓮大聖人は「元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」とお説きになられている。
 また、法華経寿量品に「衆生所遊楽」とあるように、人間がこの地球上に生まれてきたのは「遊楽」の人生をおくるためであると説かれている。
 この人生をいかに有意義に、いかに楽しくおくっていくか、それが私どもの信仰の目的である。
2  しかし、それぞれの生命の傾向性、それぞれの宿命に流されているのが現実である。この「元品の無明」におおわれた傾向性というか、自分自身の流されていく宿習というか、それらをいかに幸福への軌道に変えていくか、そしてさらに、人々に貢献までしていけるような境涯への軌道を、いかにしてつくりあげるか――それは、末法においては三大秘法の大御本尊に対する信心しかないのである。
 つまり「元品の法性」すなわち、本有の仏性を湧現していく「信心」がいっさいのカギとなるのである。この信心によってのみ、不幸の人生の流転と決別し、福運をますます倍増しゆく人生へと転換できるのである。「元品の無明」の不幸の宿命を打開し、幸福境涯を確立しゆくためには、勇気ある信心でなくてはならないのである。
 どうか皆さま方は、この大御本尊の偉大なる御力を深く確信し、日々の勤行、絶えざる甲府に向かいゆく強く勇気ある信心で、功徳を満喫しつつ、幸福の人生へ、希望の虹の人生へと進んでいただきたいのである。
 信心を根本にしたあらゆる活動は、すべて自分自身の福運、功徳にと帰着していくのであり、それが大聖人の仏法であることを知っていただきたい。
3  この地から多数の社会の指導者が出ている。アメリカのウィリアムスNSA理事長もこの地の出身である。
 この伝統をふえまえて、進取の気概に富んだ皆さま方も、日本国中に、さらには世界中に広布の旅をしていくような、楽しい人生の思い出を残していただきたいのである。
 愚痴多き苦しみの人生を送るのも人生である。朗らかに楽しみの人生を生きるのも人生である。そのどちらに生きゆくかのカギは、自分自身にある。一念のいかんによって「地獄」にもなり「楽土」にもなるのが人生であるといってよい。「一念」によって、国土世間をも変えていけるのが仏法であり、いかなる苦しみも、楽しみにかえていけるのである。
 願わくは、絶えざる歓喜の唱題と勇気ある信心活動で、朗らかな人生と生活を送っていただきたい。
 日夜、広宣流布のためにひたすらご方向している皆さまは尊い仏子である。私は頭の下がる思いである。ゆえに、私はこれからも皆さまのためにあらゆる苦難をかきわけながら励ましの行動をし続けていきたい。そしてなんとか皆さまのご苦労に報いたいと願う昨今である。

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