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日蓮大聖人・池田大作

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鳳雛会結成十八周年記念大会 「開目抄」の一節を心に深く

1984.7.16 「広布と人生を語る」第6巻

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1  鳳雛会結成の、この七月十六日という日は、日蓮大聖人が「立正安国論」を上呈された意義深い日である。大聖人の仏法は、立正安国論に始まり、立正安国論に終わるといわれるごとく、その究極の目的は「立正安国」という仏国土の建設にあるといえよう。
 「立正安国」といえば、古く感じたり、もはやわかったかのように思っている人がいるかもしれないが、私どもはさらに深く、深く、信心の眼で、信心の実践で、大聖人の御心を体していかねばならないと申し上げたい。
 もちろん、七百余年前と今日の原子力時代では、とうぜん時代背景は異なる。しかし、仏法の法理、真髄は時代を超えて不変である。いかなる時代にあっても、「立正安国」「折伏・弘教」「仏国土建設」こそ、大聖人の御遺命であることを肝に命ずるべきである。
2  信仰は、利害でも名聞でもなく、政治や経済の世界のことでもなく、深き信念の世界のことである。大聖人の仰せどおりの生命の道を歩みゆくことこそ、もっとも肝要なのである。
 しかし、妙法流布には大難が競い起こることは、大聖人御在世や日興上人の時代を拝しても明らかである。その大難のなかを信心を貫き、行動、実践していく以外に「立正安国」の達成は絶対にありえない。そしてそこにこそ、大聖人の仏法の「信」の精髄があるのである。
 鳳雛会は、学会にとって、もっとも大切な人材育成機関である。若き広布のリーダーである浅見男子部長、町田総合女子部長らの成長をみても、その実相は明確である。
 いまここに鳳雛会は結成十八周年を迎え、諸君の多くのは三十代に入り、社会や職場の第一線で活躍している時代になった。また女子は、主婦として、さまざまな人生と生活の現実と戦っている。私は、ひたすら諸君の立派な人生を信心の完成を祈らずにはいられないのである。
 私は、教えるべきことはぜんぶ教えたと思っている。ゆえに、あとは諸君の自覚を信じ持つ以外にない立場である。
3  ここで一言、注意しておきたいことは、当時、最優秀の高校生として選ばれた諸君には、希望があった。新鮮な息吹で潔く求道心をもっていた。しかし、三十代にもなると厳しい現実の環境や社会の下積みの苦労に、さまざま心も動揺するかもしれない。そして、しだいに信心も弱まり、求道心も新鮮さを失い、いわゆる仏道修行を軽んじがちになるかもしれないことを私は心配する。
 願わくは、今日もまた、新しい発心、出発の日と定めて、来年の総会、また再来年の二十周年に向かって深い決意をもっていただきたい。
 かつて諸君に「いかなる苦難があっても、諸君のために道を開いておく。土台を築いておく。あとは薫陶を受けた諸君が、その光景の大道をかならずや歩みつづけてほしい」と語ったことがあったが、私自身、開目抄の「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」の御文を拝しながら、この御文のままに“潔い信心を”と、若き日の生命を躍らせ、精進してきたつもりである。
 戸田第二代会長は、あるとき「さまざまな苦難の道を経たからこそ、広布の指導者の立場に立った」といわれたことがあったが、君たちも、信念の道を、あの日誓った使命の道を、潔い信心で全うしてほしい。そして職場で社会で、堂々たる勝利者になってほしいのである。
4  ここで私どもは、再び開目抄の一節を銘記していきたい。
 それは、「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」の御聖訓である。
 いよいよ君たち鳳雛も、結成二十周年には大鷲となる。その意味でも、今世の大空をゆうゆうと飛していける「大鷲会」となってもらいたい。ただし、途中で羽をいためて飛べなくなったりするような大鷲にはなってもらいたくない。
 そして、いかに苦しくても、いかにつらくても、一人ももれなく広宣流布への誓い、約束を果たすため責任をもって戦い、最極の人生の大道を進みゆかれんことを期待して、本日の話とさせていただく。

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