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日蓮大聖人・池田大作

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島根県記念幹部会  

1984.5.22 「広布と人生を語る」第6巻

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1  本日は、島根の皆さんへの話とともに、この席をお借りし、全国の皆さんへの話をさせていただきたい。
 われわれの生命は「一念三千」の当体である。十界互具、百界千如、そして三世間を具えて一念三千――これが大聖人がお説きになった生命の実相である。宇宙も、動植物も、万物が一念三千の当体なのである。その三千の諸相を示しながら、それぞれの使命に生きているわけだ。そのなかで最高の境涯、究極の目的は、仏界を根源として生きていくことである。
 島根文化会館の前に立って空を見ていると、トンビが悠々と飛んでいた。ウグイスも美しい声で鳴いていた。トンビは、飛ばなくなったらトンビではない。ウグイスも、美しい音色で無くところにウグイスの良さがある。
 またカジカの、神秘的な鳴き声を聞いた。これもカジカとしての存在を示すものといえる。魚も泳がないと魚ではない。
 と同じように、われわれ人間は南無妙法蓮華経と唱えることによって、始めて十界三千本有の働きがあらわれ、人間としての全体的な力の発揮ができるのである。
 つまり、「声仏事を為す」で、御本尊に南無妙法蓮華経と朗々と唱えゆくところに、仏界の生命の湧現、わが実の即身成仏があり、人間としての生き方の完成へと入っていけることを知ってほしい。
2  祈りの成就は深き信心の眼で 
 御本尊への願いが叶うか叶わないか、これは信心での最大の関心事ともいえよう。御本尊は絶対であられる。ゆえに願いはかならず叶う。しかしどこまで叶うかは信心の厚薄によることはとうぜんである。
 そのうえで、現実には願いが叶わなかったようにみえる場合がある。
 たとえば先日、私も出席したが、福島で文化祭が行われた福島の友は、ひたすら晴天を祈った。しかし雨のなかでの開催となった。つまり「晴天」との願いは叶わなかったわけである。こような例は各人の生活のなかにもあるのものだ。
 しかし、この雨は青年たちの生涯の深い深い思い出となったにちがいない。また、小雨に打たれながらの鍛練と躍動の美は、見る人の胸をいちだんと強く打った。
 もし晴天であったら、あれほど感動の場面とならないかであろう。ものごとは、そうした次元から見なくてはならない。
 もちろん、ねがいにもいろいろある。安易な願いもあれば、深い祈りの願いもある。失礼な言い方かもしれないが、御本尊利用と思える自分本位の願いをもっている人もいる。仏法は「道理」であり、理にかなわない願いは、叶うものではないこともとうぜんである。
3  この宇宙には、生きている人、また死んだ人の「我」のもつ、さまざまな“一念”が電波のごとく入り乱れて働いている。さらに、各人にあっては宿命という問題
 がある。そうした複雑な因果関係や多次元の要因からいって、思いどおりに、すぐに願いが叶わないとしても、それは無理のないことである。
 また、妙法の功徳は冥益であり、短期ではなく、生涯を通してみていかねばならない。われわれ凡夫とは、どうしても性急な結論を求め、近視眼的、皮相的な判断となりがちである。しかし、仏は三世を通暁されている。
 ゆえに、いま、その願いが叶わないことがあっても、長い目でみれば結果的にはその人のためになり、よい方向に進んでいくのである。それは、われわれの眼からみて祈りが叶わないと思うだけで、仏の眼からは、じつは本質的にいって叶っているのである。
 三世にわたる生命の因果の法則は、凡眼には押し量りがたい。妙法の大法則に則った信心は、御聖訓にあるごとく表面的にはどうあれ、生命の深層では宿命の転換を進め、功徳の因を確実に刻んでいるのである。
 それがわからないといって、御本尊の功力を疑う弱い信心であってはいけない。
 どこまでも「無疑曰信」の信心の姿勢を忘れてはならないと申し上げておきたい。
4  私は、これまで多くの人々の信心の姿を見てきた。たとえば病気になった場合、その病魔に流されて愚痴っぽくなり信心が弱まる人と、逆に生命力を強めて病魔を克服していく人がいる。信心の弱い人は、しだいに魔に流され濁った生命となり、敗れてしまう。信心がなくなることほど、怖いものはない。
 要するに信心強盛の人は、自身の不幸を見つめながら、豊かな唱題によってすべてを堂々と乗り越えていくものだ。
 功徳といい、罪といっても、結局は自分自身が実感しいくものである。喜びも、悩みも、苦しみも、自分がいちばんよくわかるし、他人からはわからないものだ。 たとえば、財をなし、社会的名声も得て、叙勲の栄に浴した喜びの表情であっても、胸中にはいいしれぬ苦悩をかかえているかもしれない。また、経済的には恵まれない年配の婦人であっても、胸中では、太陽が昇りゆくような幸せを感受しているかもしれない。
 生命の内奥の幸福観は、結局は自身の胸中にどれだけ仏界が湧現されているか、である。また、どれほどの成長の喜びと希望の輝きへの実感をもっているかどうかが、幸福への大きな基準となるとはいえまいか。
5  人間というものは、生きている以上、つねになんらかの心配や悩みごとをもつ存在らしい。
 朝起きれば、ちょっとしたことで夫婦ゲンカをする。(笑い)出勤の途中、車の騒音がいやであったり、車にひかれそうになったりする。また上司との人間関係、仲間との人間関係がいやになる場合もある。子供の成長上の心配、自分自身の病気の心配など、数えあげればきりがない。
 あるときはいかに自分は幸福だと感じたり、人に語ったりしたとしても、三百六十五日、つねに安心感に満ち、平穏無事というわけにもいかない。刻々と、なんらかの心配が大なり小なり連動していくのが人生の常である。すなわち、揺るぎのない“安心”と“幸福”というものは、なかなかつかめないものだ。
 したがって、これらの絶え間ない心配とか、苦労とか、苦難とかをいかに点じて常住の幸福感を築いていくかが課題となるといってよい。
 法華経では、人間の世界、人生の姿を譬えて「火宅(煩悩の火に包まれた家)如し」と説いている。
 いつも五月晴れの心で、雲に乗ったような境涯の人はいない。いかなる人にもかならず苦悩がある。いな、あらゆる人が、苦悩の連続のなかを流転しているといえるかもしれない。
 その苦楽ともに思いあわせて、御本尊に南無妙法蓮華経と唱えゆくところに、崩れなき幸へと向かいゆく人生の大道が開けるのである。
 経文に「現世安隠・後生善処」とある。三大秘法総在の大御本尊は功徳聚であられ、所願満足の大法である。大御本尊に唱題し冥合しゆくことじたいが「現世安隠」となる。「現世安隠」であるがゆえに「後生善所」なのである。
 したがって、願いが叶う叶わないといった次元を超えて、御本尊への信心の精進のなかに、深い幸福と功徳の軌跡があり、また福運を増しゆく因がかならず積まれていることを確信していただきたいのである。
6  耐えざる行学二道の精進を
 きたる六月三日には、久方ぶりに教学試験が行われる。今回は、初級登用試験となっているが、受験者の方はおおいに御書を拝読し、研鑽して、参加していただきたい。あわせて、これを機に島根県では御書拝読をどこよりも強力に推し進めていってもらいたい。
 “教学”は“座談会”とともに、学会の二大柱をなすものである。
 戸田先生も「理は信を生み、信は理を求め、求めたる理は信を高め、高めたる信は理を深からしむ」と述べられ、教学の重要性を指導されていた。御書を拝しては、信心を深め、熱き思いを高めて広布に駆けた、草創期のあの初々しい姿を、今一度思い起こしたい。
 元教学部長の退転など先般来の一連の騒動で、教学の重要性が薄れたかにみえるが、けっしてそうではない。信心のない、卑しい、畜生のごとき心の者たちが、すがすがしい信心の世界にいられなくなったために起こした、小才子の藤の一時期であったにすぎない。
 信心の世界は、そういったものに紛動されてはならない。「行学の二道をはげみ候べし」と仰せのごとく、教学の研鑽は仏道修行の基本であり、学会伝統である。
 その意味で、一ページでも一行でも、御書を拝読していこうとの姿勢を忘れない精進の人であっていただきたい。
 信行なき教学は、たんなる知識の収得にしかすぎない。勤行、折伏の実践を忘れて御書を学習しても信心の血肉とはならない。この点は、よくよく戒めていきたい。
 現在、学会は、文化祭、平和行動展など、仏法を基調とした平和、文化の運動を社会に多彩に展開している。しかし、信行の源泉となる御書拝読という原点を、けっしてないがしろにしてはならない。御書を拝読することにより、信心もすっきりと正され、生きいきと指導に、行動に生かされていくのである。
 どうか勤行、広宣流布に連動し、またその信行を基盤にした御書拝読の実践の重要性を、島根の同志の方々は再確認していただきたいのである。とともに、全国の友にもお願いしたい。
7  次に『日蓮大聖人御書講義録』についてふれておきたい。
 現在の『御書全集』が発刊されるまえは、巷間流布していた他宗の御書を用いていたが、相伝なきゆえに読み下し等にも誤りが少なくなった。昭和二十七年、恩師戸田城聖先生の発願により、第五十九世日亨上人のお力により、日蓮大聖人の御真意を正しく伝える御書全集が完成され、行学研鑽の根幹となってきたのである。
 また御書講義録は宗門の監修をうけ、まちがいのない充実した内容となっており、こうしたすばらしい講義録は日蓮正宗創価学会にしかない。
 この講義録も“積ん読”でなく、御書拝読の参考としていただきたい。御書の正確な読み方、拝し方を講義録を通して学んでほしいのである。
 御書を拝読していてわからないところが出てくる――そういうときに、講義録を読むと理解が明確になる。そういう意味で講義録を活用していただきたい。
8  二十一世紀へ“五年”ごとの前進 
 すでに六年前になるが、昭和五十三年十一月十八日、牧口先生の祥月命日に行われた創立四十八周年の記念本部幹部会において、私は二十一世紀までの「五年ごとの目標」を発表した。その席上、確認された学会の路線は、いまなお不変である。
 この路線に則り、北條前会長、秋谷会長を中心とした皆さま方の団結の前進によって、順調に学会は進んできている。この路線を歩んでいくかぎり、学会の発展は疑いないと考える。
 その意味からも、もう一度、二〇〇一年までの広布の展望、学会の歩みについて確認しておきたいと思う。
 そのさい、私は「かつて日淳上人は、創価学会第十八回本部総会の席上、戸田前会長が願業たる七十五万世帯を達成したことについて『会長先生は七十五万を目標に折伏弘教に励まれましたが、私は、この七十五万といわれましたのには、深い意味があるものと考えておりました。それは改めて申すまでもなく、七十五万は、南無妙法蓮華経の五字七字であると私はつねに察しておったのでございます。南無妙法蓮華経の五字七字を目標として、これは確立する時には、すでに広宣流布の基礎が出来上がるということを考えられておられたと、察しておるのでございます』と仰せられました。この五字七字の意味から、いままでは七年単位で進んできましたが、今度は、昭和五十五年を一つの区切りとして、これからの二十年間を、五年単位で考えてみたい」と申し上げた。
9  ここで一九八〇年(昭和五十五年)の末から一九八五年までの五年間を第一期と定めて進んできた。そして、「この第一期で、私たちは、これから始まる人間育成の流れをさらに深く広くつくりあげたい」と主張した。その通りになっている。多くの方々の尽力とともに、競い起こった大難が最大の鍛え、成長の場となって、いまや盤石なる人材の流れが築かれたと信じている。
 さらに「第一にも第二にも信心に徹した人物を“全員人材”を合言葉に、また人材育成即広布推進と決意して、一人ひとりをみがきにみがいて育てていきたい」と申し上げた。いまもこの考えに変わりがないことはいうまでもない。
 ここでご了解願いたいことは、日本の年号はいつかは変わるかもしれない。また、本来、私は立宗を起点として、その節々を飾りたいと念願してきた。しかし、一般的にはいまだなじまない場合があるかもしれない。そこで、一般常識であり、世界の普遍的な年号となっている西暦を使わせていただきたいのである。
 “信心に徹した人物”――まさに、この人こそ広布の人材である。
 利害と毀誉褒貶に揺れ動く人は、いつしか、とうとう流れゆく広宣流布の大河から取り残されて去ってしまうものだ。
 そのよい例が、増上漫にとらわれた正信会である。また、彼らと一体となって宗門と学会を攪乱しようとした元幹部もいる。御法主上人猊下に師敵対し、同志を裏切り、仏法まったく知らず、信心もまったくなき邪道邪心の面々は、かならず沈み去っていくものである。
 要するに清らかな和合僧のなかにあって、邪な心をもつ人々はみずから去っていかざるをえなくなっていくのが道理なのである。私どもは原理原則をふまえ、永遠に僧俗和合をしていかなければならない。
 また「人材はいっさいの宝である。人材は力であり、人材に勝るものはない。そして、その人材群が、ありとあらゆる社会の分野で仏法証明の波動を及ぼしていくことを念願する」と訴えた。これもそのようになっている。あらゆる階層に広布の人材を輩出し、妙法証明の確かたる波が、社会に、世界にと着実に広がっている。
10  次に、一九八五年から一九九〇年が第二期である。この五年目の一九九〇年は、ご存じのように大石寺開創七〇〇年の佳節にあたっている。
 それを祝して二〇〇か寺の寺院を建立し、御法主上人猊下に御供養申し上げることになっている。とともに、永遠の広宣流布、令法久住への盤石な基盤を築かねばと考えている。
 しかも一九九〇年は、私どもの人生の師であり、私どもに信心のすべてを教えてくださった戸田先生の三十三回忌でもある。
 そこで「私どもは、この時までに、戸田前会長の遺言である『原水爆禁止宣言』に示されたごとく、社会的にも厳然たる一大平和勢力として、安定した学会の力と姿を実現しておきたい」と述べたわけである。着実にその大道を歩んでいることは、皆さまもご存じのとおりである。
 一方で国連の支援をしながら、世界に平和の流れをつくりあげていかねばならない。心なき一部マスコミによる根拠なき中傷・批判にあいながらも、わが創価学会は厳然とわが道を歩み、広布前進の輝く足跡を残してきた――その根本の路線を歩みつづけるかぎり、かならずや一大平和勢力としての地歩を築いていけることを信じて疑わないものである。
11  第三期は一九九〇年から一九九五年までの五年間である。これは万年の基礎をつくる作業であり、今世紀の総仕上げとなるものである。「一閻浮提広布流布の御遺命実現に向けて、海外も含めて、今世紀の総仕上げをしつつ、二一世紀への準備機関とする」と発表したが、その方向に着々と進んでいる。
 「学会二世、三世である幾十百万の、いまの中学生、小学生たちが二十代、三十代になる年でもあります」と述べたが、その流れを完璧にしておきたい。本年は再度、未来部の育成に力をいれている意味もここにある。
12  第四期は一九九五年から二〇〇〇年までの五年間である。西暦二〇〇〇年は、学会創立七十周年にあたり、戸田先生誕生百年となる。
 そして、二〇〇一年から、第二の“七つの鐘”をスタートしたい。そして二〇〇一年には、立宗七百五十年、正本堂建立三十周年を迎える。この時には、すでに時代も社会もすべてが、大きく変わり、広布への舞台がととのっていることになろう。
 また、この第四期の終わりには、末法万年のために、今世紀広宣流布のシンボルとして、意義ある場所に、広布記念の塔を建立したいとも、お話しした。
 こうした希望の未来を描きつつ、まず第四期の終わる二〇〇〇年まで、ともどもに広宣流布に進んでいただきたい。そして、いま、陸続と続きゆく青年群に“第二の七つの鐘”のスタートをお願いしたいのである。
13  二十一世紀、二十一世紀と唱え、指導する人は多い。しかし、観念の叫びだけでは、実りある確実な道程とはらない。皆の合意で決めた、この広布への一つひとつの路線に、各地域で挑戦しゆくところにのみ、ひとつの完成への道ができ上がることを銘記していただきたい。ただ、どこを、どうめざしていけばよいのかが不明であっては、迷ってしまうがゆえに申し上げるのである。
 ともあれ私どもは、二〇〇一年五月三日、さらに、立宗七百五十年を目標として生きぬきたいのである。そのためには、若々しき信心で生涯青春の気概をもち、御法に帰命し、御法に仕え、御法につつまれての、悔いなき一生を貫くことを決意したいものである。
 最後に「栄光の島根であれ」と心から念願し、私の話を終わりたい。

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