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日蓮大聖人・池田大作

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指導部発足十周年記念全国大会に寄せて 広布の宝、修行の模範

1984.4.14 「広布と人生を語る」第6巻

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1  広宣流布に向かいゆく、わが創価学会指導部の皆さま、十周年記念まことにおめでとうございます。
 きょうは私も参加して一日一日、法のために、人のためにと、疲れをも顧みず、精進してくださる皆さま方のご苦労に、感謝のごあいさつをしたかったのですが、アメリカ、ブラジル、ペルー訪問で日本を長期間留守にしたため、何やかやと用事が重なり、出席できないことをたいへん残念に思っております。
 日蓮正宗も世界に確固たる威容を誇り、また、創価学会も広宣流布の堂堂たる盤石な城壁ができ上がりました。これも、すべて御仏意とはいえ、終戦後の焼け野原に立ち上がった草創の大功労者であられる指導部の皆さま方の、雪よりも白き純粋な信心と、岩をも砕かんとする大確信と、大情熱に燃えて戦いぬいてくださった忍耐と、身命を不情とした努力のおかげであります。
 それはすべて、大御本尊様が御照覧くださっていることを信じていただきたいのであります。また、三世にわたる生命のうえから、しかと光輝ある因果倶時の大法であることを確信していただきたいのであります。
 その善根と功徳は、この世では大空よりも広き境涯となり、永遠の旅路においては王者の宮殿に住みゆくがごとくであり、色心ともに揺るぎない生死、生死の流転となることは、御聖訓に照らしてまちがいないのであります。
2  学会大発展の”命綱”
 皆さま方は、悪世のなか、二十年、三十年と健気に信心を続けてこられた。財政的に大変なこともあったにちがいない。体調の悪かったときもあったにちがいない。信心していなかったなら、もっと気楽にわがままな人生が送れたのにと思ったこともあったにちがいない。
 また信心しているのに、なぜこのようにさまざまな苦難にあわなければならないのかと思ったこともあったにちがいない。そしてまた、折伏した友人に信心をやめなければ交際しないと言われたり、親戚や近所から”法華きちがい”とののしられ、冷たい目で見られたことも多々あったにちがいない。
 さらには、幾日も幾日も通い、励ましつづけた後輩が無残に退転しゆく姿を見ながら、悔しさとわびしさで涙を流したときもあったにちがいない。人々には、家庭を大切にと激励しながら、先駆者の宿命といおうか、わが家の安穏を顧みる暇さえなかった皆さん。人には功徳の出ずることを力説しながら、現実のわが家は、なかなか功徳が現れないことに苦笑もし、落胆したこともあったにちがいない。
 しかし、小さな子供らをかかえながら、この子が大きくなるまでは、と必死に生きた皆さん。皆さま方は、三世を見通された御本仏の大法を断じて捨てなかった。いな、信じ行じて、大聖人様が志向なされた、世界へ、人類へと、この大法を広宣流布しゆく推進力となった、まことに尊い方々が、皆さま一人ひとりなのであります。
3  皆さま方は、折伏と指導の智者であります。言論問題のさいにも、厳然と法を守り学会を守り、あるときは灯台となり、慈折広宣を支えてくださったのも皆さま方であります。また、最近では、陰謀と策略の正信会による問題と、皆さま方ご存知の卑劣な小才子の学会乗っ取りと、学会擾乱の難のときにも、厳として私を、そして学会を支えてくださったのも皆さま方である。皆さま方のおかげで大難もすべて乗り越え、正邪が明白となったのであります。
 そして今日、宗門始まって以来、学会始まって以来ともいうべき大発展と大興隆の”命綱”になってくださったのも皆さま方であります。
 皆さま方あっての学会であることを生涯、私は忘れることはないでしょう。
4  勇気と希望を与えゆく使者
 あるときは、なかなか御書が頭に入らないと嘆きながらも、若き教授や師範より、まことに見事な教学を体現しぬいている皆さま方の不思議な力を、私は讃嘆せずにはいられません。
 いわゆる立派そうな姿をし、立派そうなロをききながら、心卑しく、野心のために組織を泳いできた人々を、ものともせず、ただひたすらに黙々と正しい信心と、正しい指導に明け暮れてくださった皆さま方。
 やっと一日の仕事と学会活動を終えて休んだところへ、幾たびとなく悩める友からの電話で起こされたこともあった。普通ならば冷たくあしらうでしょうが、皆さま方は文句もいわず、眠気をふき飛ばして、長時間にわたって真剣に指導してくださったことも、私はよく知っております。長々と愚痴を聞き、長々と文句を聞きながら、耐えに耐えて包容し、多くの一人前の信仰者を育ててくださったのも皆さまの慈愛でありました。
 皆さま方は、人類のなかにあって、ほんとうに美しい心、優しい心、強き心、そして思いやりの心、諸法を諌めゆく炎のごとき心、忍耐の心、人に勇気と希望を与えゆく心をもった、不思議な仏の使者なのであります。
 かりに皆さま方がおられないとしたら、地域や学会は、なんと寂しいものでありましょうか。
5  信心、人生の勝利者
 あるとき、ある老いた母親が、臨終の間際に「私は勝った」といったというその一言が、私の脳裏から離れません。そのような信心の栄冠を勝ちえた指導部の皆さま方に、私は心から合掌したい心境であります。
 皆さま方は人生に勝たれた。信心に勝たれた。そして仏道修行に勝たれた勇者であります。世間には、勝ったように見えても、ついには負けていく人も多い。信心とは、なにごとにも負けないことである。ゆえに、信心において勝った皆さま方は、すべてに勝った人々であると私は申し上げたいのであります。
 皆さま方のいっさいのご苦労は、「煩悩即菩提」の原理で、永遠にわたる福徳と変わりゆくことは、御聖訓に照らしてまちがいない。この皆さま方の信心の根っこが、やがて子孫末代の花と開き、木の実となって栄えゆくこともまた、当然の道理であると、私は強く申し上げたいのであります。
 日蓮大聖人の仏法の極理は「信」の一字であります。その「信」を貫き通した人は、大聖人の真の門下であり、仏子である。その人を侮蔑すれば、それは深く計り知れない罪業となっていくのであります。
6  永遠に大福徳の生命
 「現世安穏・後生善処」と経文に説かれてある。大御本尊様に唱題、祈念することが、真実の「現世安穏・後生善処」なのであります。これ以外の「現世安穏」はない。また、大御本尊様に唱題できることが「後生善処」へとつながっていくのであります。それに対して、信心なき人、信心批判の人、小才子の人々はみな、真実の「現世安穏」にはなりえないのであります。
 ゆえに、私どもにのみ、真実の「現世安穏」もあり、「後生善処」もある。つまり、永遠にわたって大福徳の生命を持って生死、生死と遊戯できる当体となることができるのであります。
 また、大聖人様が「一生成仏」と仰せられたことは、たいへん意味深いことであります。いま現実に、この「一生」が勝負なのであります。「臨終只今」の思いをなして、また新たなる気概で、学会とともに若々しく、信心の炎を燃え上がらせていってください。
 信心の一念には、年齢はありません。「一身一念法界に遍し」の一念を忘れてはならないのであります。
 春に多くの花が咲きかおる姿は、青春であります。しかし、花は華やかに見えても、夢のごとく散っていくものであります。それに比べて、地道のようでありますが、やがて幾何級数的な種が含まれている多くの果実を残してくださるのが、指導部の皆さま方の存在である。
 皆さま方が、父親のごとく、母親のごとく、一千万人にもなるであろう子供や孫や兄弟や親戚たちの面倒を、力強く、あたたかくみてくだきっていることに対し、私は心から感謝しております。とともに末法五濁悪世の、病み、流離う社会の人々を導き、救わんと、なんの利も求めず、一日をを送ってくださる、名もなきわが”妙法の赤十字”の皆さま方を、三世十方の仏菩薩よ、諸天善神よ、護ってくだされ、と日々念じておる昨今であります。
 どうか大切な、また大切な広宣流布の宝であり、仏道修行の模範であり、そしてまた、学会の柱である皆さま方が、いついつまでもお健やかで、いちだんと絶大なる信心のカを多くの後輩に与えゆく、人生の総仕上げをされんことを心よりお願い申し上げ、私のメッセージといたします。

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