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香港代表者会議 妙法こそ人生完成の法

1983.12.2 「広布と人生を語る」第5巻

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1  今回は、第一回SGI香港文化祭にご招待をいただき心から感謝したい。また、五年ぶりに香港を訪れることができ、懐かしく、うれしく思っている。
 香港の広宣流布も、法人創立二十周年を迎えた。この意義深き佳節にあたり、後世に香港広布の歴史を残しゆくためにも、本日は香港広布の歩みについて概括的に語っておきたい。
2  香港広布の歩みについて 
 ご存じのように、私が初めて香港を訪れたのは一九六一年であった。一月二十八日と二十九日の二日間であったが、これが香港訪問の第一歩であった。
 このときは、総本山第六十六世日達上人をご案内申し上げ、東洋広布を意義づけるためブッダガヤーをはじめとするインド歴訪の途上、訪れたものであった。
 当時の香港の実情は、八世帯十五人という少数の人が入信しているのみであった。そこには、いまも懐かしく思い起こす関幾子さん、佐々木健二(紀兆堂)さん、張明月さん、平井喜美子さん、島根光子さんらが出迎えてくださり、香港の地で初めて妙法の友と固い握手を交わしたのである。
 そして、東洋広布の将来のために、アジアで初の地区結成となった。それは、まさしくアジアの夜明けを告げる、歴史的な開幕の瞬間であったわけである。
 このとき日達上人に「ただいま、香港に地区を結成しました。これからアジアの夜明けが到来すると思います」との趣旨のことを申し上げた。すると日達上人はたいへんうれしそうに「それはすばらしいことだ。大変な時代に入った」とおっしゃった。そのお言葉が、いまなお私の耳朶から離れない。
3  次の香港訪問は一九六二年二月十二日であった。このときは、中近東諸国歴訪の帰途と記憶する。啓徳空港に降り立ったとき、出迎えてくださった方々から、香港の友の努力と開拓の結晶として、一年間で約四倍の三十世帯に発展したとの報告を受けた。私は、見事に伸展しゆく活躍をたたえ、その場で香港支部の結成を行った。初代支部長は関幾子さんであったと思う。
 一九六三年二月二十六日、歴史的な意義をしるす香港幹部会が開かれた。会場は立信大厦(立信ビル)であった。当時、世帯数は五十世帯以上になっており、席上、いまは亡き周徳光さんが支部長に任命になった。
 そのさい、大きな腕章をつけた輸送班の九歳の少年がいた。彼はいま三十三歳になり、創価大学の大学院を卒業して、立派な中国語の通訳となっている。そして将来を嘱望され、日本で青年部の中堅幹部となっている。その彼が、いまここで通訳をしてくれている周支部長の子息の周錦雄君である。
 少年でありながら、若き青年部員の誇りをもって、未来を志向しながら、元気に働きまわっていた彼の姿を、私はいまも忘れられない。
4  翌一九六四年、五月のオーストラリアからの帰途に続き、十月にも中近東訪問の途中、給油で立ち寄った。香港にも多くの幹部が誕生した。そして、信心面、教学面でも見事に成長し、組織的なかたまりをみせつつ、約百世帯の地涌の陳列へと発展していた。
 香港およびアジアで最大の功績ある活躍をしてきた現在の高木(陳尊樹)理事長夫妻、梶浦(李剛寿)副理事長と初めて出会い、アジアに正法の夜明けをと、深い決意と感動を胸に握手したのもこの時である。
 それから十年近く、日本ならびに世界での広宣流布の活動が多忙をきわめたこともあり、香港の地を訪れることができず、申し訳なく思っている。
 しかし、その間、香港は風俗、言語のカベを乗り越え、異体同心の前進で、想像のできないほどの大発展を遂げてきた。ほんとうにうれしいかぎりである。
5  一九七四年一月二十六日から三十一日まで、私は十年ぶりに、香港広布十三周年の記念行事に招きを受け出席した。そのときには、中堅幹部の数だけでも、すでに千人を超えていた。
 そして幹部一千人との「記念撮影」「香港会館常住御本尊入仏式」、さらに会館の庭で「ガーデン舞踏会」と多彩な行事が盛大に行われた。
 また、香港大学、中文大学を公式訪問し、黄麗松、李卓敏両学長と和やかに学術・教育交流の語らいをしたのも懐かしい。さらに文化交流の一環として、香港市政局公立図書館に四千五百冊の図書贈呈をさせていただくなど、たいへん有意義な歴史をつくることができた。
 そして「東南アジア仏教者文化会議」の第一回代表者会議も開催されており、当時、八千世帯、数万人の地涌の友になったとの報告を受けた。
6  その年の五月、私は第一次訪中を行った。その行き帰りとも、香港に立ち寄り一泊ずつしている。往路のときの五月二十九日、香港代表者会議が行われ、席上、一九七五年一月に「香港文化祭」の開催を提案し、全員で決定したことを覚えている。
 そして六月十五日、日中友好のための歴史的訪中を終えての帰途、香港の上水駅に着いたときのことである。いまは亡き周徳光さんが、私たち夫婦を見つけようとして、プラットホームの先端からずっと駆けてきて、やっと顔が合ったときの姿を、私は終生、忘れることはできない。その折、陳尊樹さんをはじめ多くの方々に出迎えていただき感謝している。
 その後しばらく、私は訪問できなかったが、文化・教育交流として中文大学(一九七四年九月)、児童図書館、香港市政局図書館、官図書館(一九七五年六月)に合計九千冊の図書を贈呈し、さらに香港市政局図書館には、一九七六年、七八年と図書を贈らせていただいた。
 一九七九年二月には、インド訪問の往路と復路のさい、香港広布十八周年記念行事に招きを受け、出席した。
 往路の二月三日から五日まで「香港代表者会議」「香港広布十八周年記念勤行会」「香港本部長会」を開催。そして復路の十六日から二十一日には「東南アジア代表者懇談会」「79香港文化節」に出席。男子部の人材グループ「未来組」の結成も行った。
 また、香港総督マクレフォース卿との会談、中文大学の馬臨学長との懇談も、懐かしく思い起こされる。
7  これまで香港広布の歩みを概括して述べてきたが、陳尊樹理事長を中心とした、この二十年間の発展ぶりは、じつにめざましい。この間、総本山大石寺には、五千人もの友が参詣し、広布の牙城たる会館も、三会館の建設をみている。こうした輝かしき発展も、本日お集まりの広布先覚の方々の辛労と努力により、その磐石なる基盤が築かれてきたのである。私はこの席を借りて深甚の敬意を表したい。
 そして香港広布の未来を展望するとき、次代を担い立っていく青年たちの成長ぶりは、まことにうれしく、すばらしい。
 とくに創価大学に留学し、卒業後、郷里の香港に帰り活躍しているメンバーが九人。そうした若き妙法の友の姿をみるとき、すべてにわたって香港の将来は、ひじょうに明るいと確信する。
 なかには「九七年問題」(香港は現在、イギリスの信託統治区であるが、一九九七年に租借期限が切れて中国に返還される)でどうなるのかなと、心配されている方もおられるかもしれない。しかし私は、まったく心配はないと訴えておきたい。
 この愛する香港の地で、自由にして平和、文化、そして国際的発展に薫るこの香港の大地で、妙法に照らされ、守られながら、堂々と尊い一生を送っていただきたい。
 日本と香港は、多少の形態の変化はあっても、深く、長く、友好を結ぶべきである。「九七年」を迎えた後にあっても、私どもは今日までの何倍も皆さん方と友好を重ね、固い絆を結んでいく熱き思いをもっていることをここで強く申し上げておきたい。
8  全人類の生命の宝塔開く妙法 
 私が、香港の地に、広布の種子を皆さんとともに、植えはじめたときのことである。多くの批判者が、さまざまに言っていた。「日蓮正宗は排他的である。独善的である。そのような宗教が、香港や東南アジアに広まるわけはない。絶対に、正法は広まらない」云々と。
 しかし、妙法は普遍性と道理に貫かれた大法である。万物を照らしゆく太陽の仏法である。日蓮大聖人の大慈大悲の仏法は、民族、風俗、言語、国境を超越して、かならず全人類の一人ひとりの生命の宝塔を開き、幸福に導き、成仏をなさしめていく大法である。
 ゆえに、妙法の絶大なる力用によって、全世界へと弘まらないわけはないとの、強い信心と納得のいく指導と誠実あふるる対話をもって、そのすべての非難を乗り越え、奇跡的な実証を示した皆さま方には、日蓮大聖人の称賛あられることを確信されたい。
 “妙法はかならず弘まりゆく”との大聖人の御予言どおりに、皆さまは、このように偉大な香港広布の基盤を築かれた。
 これは、皆さま方の信心が強盛のゆえである。大聖人の仏子として、法のため、国土のため、社会のため、友人のため、自身のために、勇敢に、情熱をもって御聖訓のままに教え、導いてきた、使命感あふれる実践の結実であることを、さらに確信されて、楽土香港の完成にご活躍を願いたいのである。
9  “完成”は、人間にとって重要な要件であり、価値である。家にしても完成しないと意味がない。たとえ九九パーセントでき上がっていても、完成しないと使いものにならない。学校においても途中で勉強をやめてしまえば、卒業したことにならない。機械にしろ、衣服にしろ、食物にしろ、万事、“完成”があって、はじめて価値が生じていくことは、天然の道理である。
 と同じように、人間にあっても、いくら努力しても中途半端で終われば、人生の
 完成とならない。人間の完成は、物心両面にわたるもので、生命の奥底の「九識心
 王心如の都」での完成が、最極の完成となる。
 そこにたどり着くための仏道修行の完遂、広宣流布への不借の実践の完成、みずからの使命の満足の完結――それらをやりとげることじたいが、人間としての最極の人格の完成となっていくことを忘れてはならない。
 その完成への本源の法が「南無妙法蓮華経の法」である。「煩悩即菩提」、また煩悩・業・苦の三道を法身・般若・解脱と転じゆく「三毒即三徳」という法理にもとづいて、それなりの自己完成となる。ゆえに、すべてにわたってのわが人生の終極まで妙法を唱えきっていくことが、一身一念の生命の完結となっていくことを忘れてはならない。そこにこそ、正法の真髄があり、人生の精髄があることを忘れてはならない。
10  いくら名声があっても満足ではない。いくら財産があっても満足ではない。長寿だけでも満足ではない。
 人間というものの心の変化はあまりにも微妙である。安定がないものである。真の安穏もつかみきれないものである。
 現実には、親子の関係、経済問題、複雑な人間関係、各人の宿命の問題等々、さまざまな悩み、苦しみがつきものである。したがって、このとらえがたき一身一念の満足を生涯もちつづけることは、ひじょうにむずかしいといわざるをえない。
 仏法に説く「所願満足」でありたいとは万人の願いである。その願いである「所願満足」の人生を歩みつづけていけるための正法、また「所願満足」を成就できうる信心が、日蓮正宗の仏法であり、信心なのである。その根本姿勢は、三大秘法の大御本尊への唱題であり、大聖人の御教示なされている広宣流布の行動のうえに立った人生であり、生活であると思う。
 どうか、自分自身の悔いなき“完成”へのためにも、また、心の奥底から願望しゆく「所願満足」の人生を飾りゆくためにも、深く信心をいたし、日々進歩と向上への努力をお願いしたい。
11  いよいよこれからは、香港広布の第二期の建設である。また、第二期の自分自身の建設であるとの、新たな思いで、精進をしていっていただきたい。
 愛する、そして尊敬する香港の同志の皆さま方のご多幸とご長寿を、心から念願し、私のスピーチとしたい。

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