Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第一回SGIオランダ総会 本有の生老病死

1983.6.26 「広布と人生を語る」第5巻

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2  その不幸と宿命の鉄鎖を切り、いっさいを蘇生させていく原動力が、三世永遠にして無限大の宇宙の根本法である日蓮大聖人の仏法にあると、私は訴えたい。
 それぞれの次元の人々が、それぞれの社会にあって、人のため、人類のために尽くそうとしているけれども、それらの人々の原動力となりゆく妙法を教え、弘めていくことは、最高に価値ある人生である。これこそ、仏の使いとしての、もっとも尊い人生であると自覚されたい。
 いかにこの大法があっても、力を尽くして、教え、弘めゆく人がいなければ、その妙法の価値は多くの人々にはわからないがゆえに、法を弘めゆく人がもっとも尊き存在なのである。
3  また、人間の脳の働きは何分の一しか使用されていないと、一般にはいわれているが、生命じたいの能力においてもまたそうである。本来、生命は一念三千、十界互具の当体であり、そこに秘められた福運と生命力と英知は、いかに無限性に満ちた泉であるかしれない。われわれは、それらを無限に涌現してゆく信心があるからこそ、日々の生活を充実させ、明るい幸福へと前進させゆくことができるのである。
 さらに、この人間の頭脳は、一面、驚異的な科学の発達をもたらしてきたが、そ
 の半面、その科学の発展が即人類の幸福になっていないという矛盾をうんでしまった。そして、核兵器の開発にあらわれているごとく、人間の内なる悪魔の働きによって人類抹殺の方向に向かうかもしれないというのが現状である。つまり、すばらしさとともに、恐ろしさをもまざまざとみせつけているのが、生命の一念の微妙なるすがたなのである。
4  人間は、外へ外へと望みを広げ、地上より空へ飛びたいと夢み、飛行機を発明し、これを現実化した。さらに宇宙の彼方まで、ロケットを打ち上げているが、これがすなわち人類の幸福につながっているかどうかは、たいへんな疑問となっている。
 これからは人類は、無限なる宇宙と同じ広大さと深遠さをもっている内なる生命の深奥に、目を向ける必要がある。
 仏法では、生命の奥底には「九識心王真如の都」といわれる広大にして無辺なる境涯の世界をあると説いている。これこそすべてのものをあたたかくつつみ、すべてのものを蘇生させ、すべてのものを調和させながら生かしゆく、輝かしくも崩れざる生命の宮殿である。
 この生命の宮殿の扉を開くのが信心であり、そこにのみ、この現実社会の荒波を悠々と乗り越え、勝利を飾りゆく人生となっていくことができる要諦があるのである。
 さらに、これこそ仏法の説く「自体顕照」の姿である。この絶対不変の法理にのっとっていくか否かが、究極の人生の価値を決していく基盤となるであろう。
5  大地に種を植えれば、いつしか芽が出てくる。風邪の菌も気がつかないうちに体内に入り、発熱する。精子と卵子の結合した受精卵は、いつしか人間へと育っていく。
 と同じく、私どもは、この生命の大地に仏種を植えた。日々の唱題、日日の勤行、日々の活動は、いわば水であり、太陽の光であるといってもよい。その仏種は飛ばされないかぎり、やがて社会の風雪に耐え、信心の年輪を重ねながら、幸福の芽を出し、人生の勝利の枝を伸ばし、永遠にわたる不動の栄光の大樹となりゆくことは道理である。
 大聖人の仏法は冥益である。ゆえに現実社会の生活は、信心したからといって即座に変わるものではないが、さまざまな条件と相まって、しぜんと年輪を増して変化していくのである。
6  社会も十界であり、わが生命もまた十界であるがゆえに、苦しみや悲しみ、悩み、すなわち生老病死という人生の実相は、必然のものである。
 ただそこに、妙法という厳たる種が植えられているかいないかが重大なカギである。これこそすべての源泉力となりゆく生命本有の当体である。ゆえに信心なき世間の悩みは、不幸の因を増すのみであり、妙法を受持しての本有の悩みは、煩悩即菩提と転じゆくことができる。
 このように妙法は、生涯にわたり、また永遠にわたる生命行路にあって、すべて宿命を打開し、人格の完成へ、成仏の大道へと変化せしめゆく力となるものである。生々にわたり、すべての人が所願満足の生命と、かならずや実感しゆくことはまちがいない。ここに信心の偉大さがあるのである。
 最後に、日本と古くから友好関係に結ばれてきたオランダの皆さんへ、「世界第一の栄光のオランダに」「世界一幸せの信心の模範のオランダに」と念願し、私のスピーチとしたい。

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