Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第一回SGIスペイン総会 妙とは蘇生の義

1983.6.14 「広布と人生を語る」第5巻

前後
1  日蓮大聖人の御書に説かれる「妙とは蘇生の義なり」とは、人間、社会、国家を蘇生させていく源泉力こそ南無妙法蓮華経である、との御教示と拝せる。
 山を登るとき、力がない人は苦しみ、途中で挫折してしまうものだ。自動車も馬力がない車は遠くまで走りきれない。飛行機もまた同じである。人生を生きるうえにおいても、力が大切である。そうでなければ、幸福を勝ち取ることができないからだ。仕事を成功させゆくにも力が必要である。勉学を進めていくにもそれなりの力が必要である。ともあれ、この尊き人生を最大限に価値あらしめるために、力が必要である。
 この力を無限に涌出する根源が南無妙法蓮華経であり、御本尊である。しかし、道理のうえからみて、エレベーターを動かすにも、電気を導く線がつながっていることが必要である。この電線にあたるのが信心である。ゆえに、つねに御本尊への信を失ってはならないのであり、信が強盛であれば、より大きい力を御本尊からいただくことができるのである。
2  病気の人が晴ればれとした健康体となっていく力、貧しき人が富める境涯へと転換してゆく力、老いて生きがいを失った人が、若々しく生きいきとして青春の心を思わせるように変わっていく力、行き詰まった灰色の人生を清新な躍動の人生へと打開しゆく力――その蘇生の本源が南無妙法蓮華経であり、即、信心なのである。
 この方途は、個人においても、家庭においても、会社においても、団体においても、さらに国家においても、すべて同じである。要するに人生は、今日よりは明日へと、生きいきとした人生を歩みゆかねばならない。今年よりは来年、来年よりは再来年へと、さらに楽しく、さらに福運に満ちみちた人生を築きゆかねばならない。今世より来世、来世よりは再来世へと、永遠にわたる妙法の力によって幸福境涯の自分自身をつくりあげていくための信仰なのである。
 “行き詰まり”が人間をして悪へと向かわしめゆく要因となることが多い。“行き詰まり”は、生きゆく力がなくなった姿であり、それが自殺へ、犯罪へ、自暴自棄へと追い込んでいくし、国家の行き詰まりは、戦争にも導いていくことがある。
 この“行き詰まり”との戦いが信心であるといっても過言ではない。いかなる“行き詰まり”をも打開しゆく人間の道、平和への道、文化創造への道を開き、さらに家庭にあっては幸福にして安穏の人生を開いていくことが妙法の信心なのである。

1
1