Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第一回SGIドイツ総会 地の果てまで広布に走る

1983.6.3 「広布と人生を語る」第5巻

前後
1  法華経寿量品に「衆生所遊楽」とあるごとく、人生の根本的な意義は、この地球上に楽しみにきたのである。一人ひとりが健康で、物心ともに幸せを満喫しながら長寿を楽しんでいくのが本来の人生である。そのために、宿命を転換し、運命を打開し、永遠なる幸福境涯を築きゆく源泉として、大聖人は大御本尊を御図顕くださったのである。
 日蓮大聖人は「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」と御教示されている。「身の財」も「蔵の財」も無常であり、しかも、かならず幸せに通じるとは限らない。「心の財」こそもっと大切であると仰せなのである。
 「心の財」といっても抽象的なものではない。御本尊への信心のことである。信心さえ失うことがなければ、かならず幸せを大きく開花していく根本軌道へと、入っていけるのである。ここに、生涯にわたる信心を持続することの重要性がある。
2  また、大聖人は「一切世間の治生産業は皆実相と相違背いはいせず」と仰せである。仏法と社会の法とはけっして別々のものではない。ゆえに信仰は、社会、生活から遊離したとろにあるのではない。したがって、どこまで現実の社会と生活のなかに、妙法の偉大さを実証しゆく自分自身の力をもてるかが、
 信心の要諦となる。ここに、大聖人の仏法の特質がある。
 どうか信心即生活の、勇気ある前進であっていただきたい。それが自分自身のためであり、人々のため、社会のためにと、通じていくのである。
 さらには、大聖人は「水すめば月うつる風ふけば木ゆるぐごとく・みなの御心は水のごとし信のよはきはにごるがごとし、信心の・いさぎよきはめるがごとし」と、信心の大事さを教えてくださっている。怨嫉や、ささいなことにより、たがいに非難をしあうような信心の濁りは、功徳の澄んだ月を映さない。人格を尊重し、たがいに尊敬しあい、守りあい、支えあっての潔い信心の歩みに、功徳はいやますのである。
 「わが地涌の友が幸せであるように」「世界が平和であるように」と祈りつつ、いかなる非難、労苦をも乗り越えて、私は日本のすみずみまで、また世界の地の果てまで、走りに走る決意である。

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