Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第一回北米総会 妙法こそ幸福と平和への直道

1983.5.29 「広布と人生を語る」第5巻

前後
1  人間はつねに、楽しく幸せに生きたいと願望してきた。しかし、現実は苦悩に満ちた歴史であったといってよい。この人間の重大課題は、根本的解決がなされないままに、今日まで至ったといっても過言ではない。
 もとより、この人間のもつ苦悩、不幸等の解決の方途として、人類は英知をかたむけて、文化を、科学を発達させ、そして政治、経済等で、それらを軽減せんと努力してきたことはまちがいない。さらに、とうぜんのこととして、多くの哲学、多くの思想、多くの宗教が生まれたのも、苦悩の解決のためであった。しかし、これらの、あらゆる方途によっても、その課題の本源的解決はなされていないというのが現実である。
2  急速な科学技術の発達による物質文明は、たしかにすべての次元で、豊かさと便利さを推進はしたものの、そして、それらの力によって、人類の苦痛はそうとう軽減したとはいえ、一方では、心身症、ノイローゼなど多くの精神的苦痛が増大しているのも事実である。さらには、核兵器を生み出し、また宇宙戦争をも危惧される状況までつくり上げるなど、新しい課題を生み出したといえる。
 こうした状況のなかにあって、人類が、“幸せの道”へ行くか、“破壊への道”へ進むかを決めるのは、他ならぬ人間自身であり、それゆえにこそ、すべての国の指導者一人ひとりが、人間革命の道を志向していく以外にないと、私は訴えたい。
 その人間革命を可能にする高等仏教こそ日蓮正宗であると断言するものである。
 日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」と仰せである。いかに悩み、苦しみ、悲しみにおおわれた現実の生活であったとしても、御本尊を持ち唱題していくところ、本源的な歓喜の生命が躍動していくことを確信されたい。そして、生命力が涌現し、人生の苦悩を克服し解決しゆく原動力になっていくのである。
3  たしかに信仰していても、組織社会にあっては、悩み、苦しみがあるものだ。しかし、妙法には「煩悩即菩提」と説かれている。
 「煩悩」とは、苦しみであり、悩みであり、人間のもつ宿命的なものといってよい。だが、妙法の信心の力で、そのまま「菩提」すなわち悟り、幸福境涯の財宝となり、いっさいが確固たる人格の完成と幸福拡大への源泉になっていくとの原理である。
 だれ人にも一度は訪れる「死」について述べてみたい。
 かつてトインビー博士と対談したとき、博士は――ヨーロッパ人にとって、人生は一冊の本にたとえられる。それに対し、東洋の仏教徒やヒンズー教徒にとって、一生は本の中の一ページである、と表現されていた。
 死にも苦しみの死あり、また安らかな死あり、そして事故死、自殺、他殺等、さまざまな姿がある。おそらく安らかな死をだれしも求めるであろうが、安らかな死を迎えるためには、生きいきとした所願満足の生がなければならない。後悔のある人生であってはならない。この悔いなき生、安らかな死のために、私どもは仏道修行をするのである。
 人間であるならば、この生死の問題を、けっして避けることはできないし、その解決のために力を尽くすべきである。
4  人生の幸福と世界の平和を成就する道は何か。それを明かした偉大な法こそ、妙法である。ここにのみ、国を問わず、貴賤を問わず、あらゆる人類を真の幸福と平和へ導く最極の道がある。私どもは、みずからこの道を、有意義な人生を生きつつ、社会に貢献しながら歩むとともに、人々にこの道を知らしめていこう。
 “進まざる退転”というのが大聖人の御精神である。前進には大なり小なり障害、困難がある。だが、これを避けては道から外れるし、恐れていては前進はできない。
 最後に、アラスカとは「偉大な大地」という意味であるとうかがった。どうか、この偉大なる大地で、永遠に崩れざる幸福と平和の道を拡大しながら、偉大なる仏法の証明者、偉大なる幸福の栄冠者となっていってほしい。NSAの友の栄光と、アラスカの皆さんのご多幸を心より念願している。

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