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足立区記念幹部会 支部長こそ広布の要の存在

1983.12.20 「広布と人生を語る」第5巻

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1  本日、足立に三宝山実修寺の新築が立派に成り、御法主日顕上人猊下の大導師のもと落慶入仏法要が盛大に奉修されたことを、心からお喜び申し上げる。その護法への真心は、かならずや皆さん方自身の大功徳となりゆくことを確信されたい。足立は、学会精神のみなぎる、ひとつの原点ともいうべき区であり、この地に、日本で初の広宣流布の縮図をつくりあげていただきたい。そのために、いっそうの信心の精進と努力を望みたい。
 本年の総仕上げの活動を大勝利で飾ることができた。これも秋谷会長の師子奮迅の指揮のもと、副会長、県長、さらに婦人部、男子部、女子部、学生部など、すべての人々の使命感に満ちた、団結の活動によるものである。広布の盤石なる基盤を一歩広く、堅固に築くことができたことに対し、心からの敬意と感謝の意を表したい。
2  自分ひとりで信心していくほうが自由でよいと思うかもしれない。責任もなく楽かもしれない。しかし、それでは、まことの信行学に徹した、大聖人の仏法の実践はできない。自分の信心を律し、たがいに切磋磨し、信心の進歩と向上をはかりゆくためには、組織の存在が必要なのである。
 私は、かつて男子部にあっても、一つ一つ階段を上っていくように、その役職を経験した。教学においても、助師から教授への各階段を上った。さらに支部組織でも班長、支部長代理として活躍してきた。
 学校にあっても、社会にあっても、一つ一つの段階を経験し、それぞれ段階での苦労を経てこそ、人格も磨かれ、人間としての力も深まり、信念も強固に鍛えられていくことが、ものごとの道理である。それらの土台をふんでの建設なくして、役職のみを求め、華やかさや楽を求めゆくことは、砂上の楼閣を願うようなものである。これまでに退転した者や反逆した者たちは、かならずといっていいほど、驕慢と慢心に原因があるものだ。
3  支部長、婦人部長というのは、重要な立場であり、いわば広布の組織の要中の要の存在である。役職的には上には本部長、県長、副会長等の立場があり、また、信心も教学も、学会の使命もまだわからない人たちを激励し、指揮をしていかねばならない立場が支部長である。
 この人間の世界は、感情の世界であり、意見のくい違いもあれば、怨嫉もある。
 また、さまざまなスランプもある。そうしたなかにあって支部の発展を、支部員の人たちの成長をと、日夜、心を尽くし、思い悩むことも多いにちがいない。どの役職においてもそれなりの苦労はあるが、やはりいちばん大変な立場が、支部長、婦人部長ではないかと思う。
 支部長、婦人部長は、組織の中核である。この中核が弱ければ、広布の組織の広がりはない。富士山も、すそ野の広がりがあるからこそ、泰然としているのである。広布の広がりをつくれるかどうかの大事な存在が、支部長婦人部長である。
4  ゆえに役職が上の幹部は、支部長、婦人部長が、どんなに行き詰まり、どんなにつらい立場にあっても、あたたかく、そして、きめ細かな激励をお願いしたい。その苦労をよく理解し、抱きかかえるような思いで、支部員との交流をつくってあげてほしい。また、なにがあっても、会員を支部長のほうへと向かわせ、支部長を守りゆく姿勢をけっして忘れてはならない。
 そして、会員のために活動している支部長、婦人部長への激励、応援を忘れ、幹部と会員が遊離した構造は絶対つくってはいけないということを、未来の組織の戒めとしておきたい。会員の信心の成長と強さによって、むしろ幹部のほうが激励される場合もあってよいし、理想的にして模範の支部長、婦人部長と育ってほしい。
5  かつて草創期の十二支部にあっては、支部長というのは、戸田第二代会長に直接、指導、訓練を受けた。戸田第二代会長の指導は厳しかったが、「信心の面ではほんとうに安心できるまでに育った。よく叱ったが、広布へとつながった立派な支部長になった」と、晩年によく語っていたことを思いだす。その十二支部の支部長が基礎となって、今日の一万一千余の支部の広がりができたのである。
 いま、この一万一千余の支部長ならびに婦人部長がさらにまた、後輩の支部長、婦人部長の誕生の、大いなる広がりをつくっていくことが大事である――その原理、原則、方程式をけっして忘れないでほしい。
 どうか、皆さま方のますますの健闘と成長をお願いしたい。

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