Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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北九州記念勤行会 「立正安国」への道を前進

1983.12.8 「広布と人生を語る」第5巻

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1  意気軒高な北九州の皆さま方と久方ぶりにお会いできて、私はうれしい。
 日蓮大聖人の御化導は「立正安国論」に始まり「立正安国論」に終わるといわれる。「立正安国」――これこそ、日蓮正宗の仏法の根幹である。
 「立正安国」の意義については、日寛上人の甚深の御指南があるが、いまここで簡潔に申し上げれば、「立正」とは「正法を立てる」、「安国」とは「国を安んずる」こと。つまり正法正義を立てて、平和な楽土国家を築きゆかんとの意である。
 「国」とは、一往は日本をいうが、大聖人の仏法は一閻浮提の仏法であり、広くは全世界と拝せられるのはとうぜんのことである。
 「立正安国」というと、第二次世界大戦中を思い起こす方もおられると思う。そこでは、時の軍部権力を中心に、国家主義として右傾的にとらえられ、戦争目的にも利用されていた。また、皮相的にさまざまに解釈されていたようだ。
 しかし、謗法の邪法邪義信仰をやめ、大御本尊を根本とした広宣流布をせよ、というのが、大聖人の御遺命であられたわけである。それが、楽土日本を建設するカキである。日蓮正宗創価学会はその使命の大道を、ひたすら歩んできた。
 かつて、法華経ならびに日蓮大聖人を信奉し、また研究をしてきた人々が多くいた。私が著書などで知った数人を思いつくままにあげれば、田中智学、姉崎嘲風、高山樗牛、宮沢賢治らがいる。彼らは、それぞれの分野で、それなりの業績を残してはいるが、三大秘法の大聖人の仏法を知らず、すべて誤ってとらえていたし、大聖人の御精神を皮相的にしか把握していなかったといわざるをえない。それは、「日蓮を用いぬるともあしうやまはば国亡ぶべし」に通じるものであり、相伝なき解釈はたいへんな過ちをおかすものである。
 その意味で「安国論愚記」における日寛上人の甚深の釈は、仏法に透徹された境地から、論理的にじつに明快に述べられており、私は正宗の正しさを入信してしみじみと実感した一人である。
2  立正安国への活動、すなわち、幸福と平和の世界を、われわれの責任と使命で建設していけることは、なんとすばらしいことではないか。しかも永続性のない経済や政治の次元ではない。生命そして正法の永久性の次元で、万人の幸福の世界を築きゆくこと、これほど誉れ高き、喜びに満ちた尊い作業はない。
 道は遠いように思えるが、日蓮正宗創価学会の広布の道程にあって、いま、その輝く山は見えてきたように思う。大聖人の御遺命たる「立正安国」の大聖業に加わった皆さま方は、まぎれもなく地涌の菩薩の眷属であるし、三世十方の仏・菩薩も讃嘆し、守護しゆくことはまちがいないと確信する。
 草露のような一生かもしれないが、生命は三世永遠である。その永遠なる生命を輝かせていくためにも、妙法に連なった和合僧のなかで、今生人界の思い出あるこの人生を、もう一歩深く、生きぬいていただきたい。そして、勇気と確信をもって、楽土・北九州の建設という、皆さまにとっての「立正安国」の道を励みゆかれんことを祈ってやまない。
3  体には十分気をつけられての日々の活動であっていただきたい。また時代は不景気でもある。夫婦共働きの人もおられるだろうが、それぞれの一家にあって、聡明な家庭設計をもち、見事なる功徳の実証を生活のうえにつくり上げていただきたい。
 いろいろ大変なこともあると思うが、けっして生活に、人生に負けてはならないと申し上げたい。
 病気で苦しんでいる方もおられるだろう。子供さんや家庭の問題で、悩み深き方もおられよう。
 しかし、御本尊には無量無辺の功徳と絶大なる力があられる。また、妙法は、宿命転換と所願満足への大法である。ゆえに何があっても、信心は一歩も退いてはいけない。ひたすら御本尊に南無し奉り、唱題を重ねていくことだ。
 御書に「地獄の苦みぱつときへ」と仰せのごとく、たゆみなき信心さえあれば、かならず宿業を消し、宿命を転換し、所願満足の人生にはいっていけることはまちがいないのである。それを確信し、つねに一歩前進の潔き信心であっていただきたい。
 ともあれ、純粋にして真剣な、清新にして躍動の信心を、忘れないでいただきたいのである。
4  戸田第二代会長の厳しき薫陶 
 九州はほんとうに立派になった。若き人材も多く輩出している。とくに、北九州の方々の意気軒高な奮闘は、めざましい歴史がある。
 九州の地は戸田先生と縁が深い。先生とともに戦ってこられた方が多くいらっしゃる。私にとっても、まことに懐かしい思い出の地である。
 今朝、北九州に向かうときに、九州福岡の初代支部長の柴田邦彦さんにお会いした。八十三歳のいまもなお、かくしゃくとされている元気なお姿を見て、ほんとうにうれしかった。先生は、この柴田さんご夫妻を、残念ながら奥さまは広布の途上で去されたが、よくかわいがっておられた。
 また、すばらしい若きリーダーであった川内弘君の去を思えば、ほんとうに残念でならない。
 先生が存命中のことである。強盛な信心の人が議員のなかにかならずいなければならないといっておられた。そうでないと名聞名利に侵されて所期の目的を忘れてしまう場合があるからだ。そのために、先生は、先輩の議員であった九州の柴田さん、東京の小泉隆さんらをもって、後輩の信心の面の確立を、厳しく律してこられたのである。
5  これからは、どんどん若き人材が登用されていくにちがいない。しかし、若い人たちは、経験浅きゆえか、立場を即実力と錯覚し、傲慢な心が芽ばえてくる場合がある。なかには、私たち会員をみずからの名声の手段としたりして、純粋な信心の世界を乱してしまう人が出るかもしれない。しかし、けっしてそうさせてはならない。
 こうした角度からみても、たとえ年配になったとしても長年の強盛な信心の持ち主である先輩たちを、大切にしていかなければならない。いかなる立場の人たりとも、こうした年配者の指導を謙虚に聞かねばならないであろう。
 また、北九州の今日の大発展を築き上げられたのは、すべて皆さま方のお力である。けっして一部の人の力ではない。
 長い広布の活動のなかにあって、これからも、傲慢な、求道の心なき慢心の者が出るかもしれない。しかし、それらに紛動されてもならないし、遠慮なく忠言してほしい。そして、みずからの成仏と幸せのために、純粋にして強盛なる信心の大道を朗らかに歩みつづけていただきたい。
6  私は十九歳で信仰の道に入った。当時、戸田先生の青年部に対する訓練はひじょうに厳しかった。私には、とくに厳しく薫育してくださった。
 日蓮大聖人の御遺命、御精神を実現しゆくため、広布への信心強き人材をつくりゆくためには、鍛え方が厳しいのはとうぜんのことであった。また、この戸田先生の厳しさがなければ、学会の今日の発展はなかったであろう。
 時代が移り変わり、現今では、当時からみれば多少、温床的ともいえる環境になっている観がある。とともに、さまざまな非難・中傷を受けてきたためか、なにか気がねをしながら、あの強き信心の薫陶がうすらいでいるかもしれない。だが、信心の根本姿勢の問題だけはけっしてそうであってはならないのである。
7  政治、経済、社会には変動がある。そこで、まずいっさいの根底の不動の楽土をつくるためには、宗教革命が必要である。宗教革命こそ、世界の新しき蘇生への文明的課題であるといってよい。私どもは、そのためには日蓮正宗の三大秘法の仏法を広宣流布するしかないと確信する。
 時代を変革しゆくいかなる革命も、死を覚悟して取り組んだときのみ、達成できる。ゆえに、草創期の薫陶にあっては、その心構えがもっもと大切だったのである。つまり「革命は死なり」だったわけである。
 戸田先生のこの炎のごとき指導は、私の胸に突き刺さっていまなお残っている。
 ゆえに、私は、その薫陶のうえで育った一人として、いかなる大難があっても「死」以上のものはない、と悠々としてきた。
 御書に照らして苦難、大難は避けられない。しかしありがたいことに、この難があればこそ、罪障の消滅もできる。信心も強くなり、深まる。人間としての偉大な向上もできる。すなわち人間革命の前進があるわけだ。
 もし、多くの難を乗り切って鍛えられた信心の土台がなければ、一度、邪悪の大風を受けた場合、全滅してしまうにちがいない。そのときには、末法永遠の平和楽土を築きゆく広布前進の土壌が崩れ去ってしまうだろう。ゆえに、難によって人材はつくられ、信心と広布の土台がさらに、強く、深く、築かれていくのだ。
8  「退する心なかれ」の決心で 
 私は、幸いにも戸田前会長から、毎朝職場で、また日曜日ごとにご自宅で、真剣な御書講義と多くの指導を受けることができた。
 私どもは生涯、御書を拝することを忘れてはならない。求道心からの指導を受けることを忘れてはならない。また後輩に、仏法の指導をしていくことも忘れてはならない。いくら時代が変化し広布が進展したとしても、そして、恵まれた環境になったとしても、信心が流されてはならない。
 戸田先生は、御書を拝読し教えるにあたって、それをいかに実践と行動に移していくかという急所を厳しく打たれた。
 講義を受け、また、御書を拝読して、ただわかったというだけでは理である。いかにそのとおりに信行に励んだかが大切である、という痛烈な指導が、鮮明に私の生命に残っている。
9  そのひとつは、「如説修行抄」の最後の段に入ったときの指導である。
 まず「日蓮並びに弟子檀等が」と仰せであり、ありがたいことに、私どもは大聖人の一類に入っているのである。
 そして「いかに強敵重なるとも」と――この決心なくして信心のリーダーとはいえない。
 「ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」と。とうぜん、正法には難がつきものである。とともに、いかなる権力によって脅し迫害されたとしても、ゆめゆめ退転するな、恐れるな、との厳しき響きを忘れることができない。
 また「縦ひ頸をば鋸にて引き切り・どうをばひしほこを以て・つつき・足にはほだしを打ってきりを以てもむとも」――これほどまでの残虐なことをされたとしても、けっして一歩も退かない信心でなければならない。そして「命のかよはんほどは南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱えて唱へ死にしぬ」ことが、信心の真髄なのである、と私は徹底して戸田先生より鋭く指導されてきた。
 この決心が私の信心の骨髄となったがゆえに、私はなにも恐れるものはない。これからもこの決心で、私は皆さま方とともに前進する決意である。
10  なぜ多くの日本の宗教がその活力を失ったか、という原因について語った人がいる。そのひとつは、江戸時代に例をひき、権力と教団との着の構造が原因であると言っていた。
 それは、教義のままに信徒が布教活動をする。すると、それに反発する他の宗教がかならず権力と結びつき、信徒を弾圧する。そこで信徒はとうぜん、寺に助けを求める。その寺は信徒に、最後まで経文どおりにがんばりなさいという。しかし、その裏では、あの信徒たちは寺のいうとおりにしていないから、つかまえてけっこうです、と讒言したというのである。
 このような図式がいくつもあって、しだいに布教の精神が失われていった。寺を信用しなくなり、使命感に満ちた純粋なる殉教の人はいなくなってしまったというのだ。これほど恐ろしいものはない。これほどずるがしこい図式もない。
 このような歴史の推移を見たとき、日蓮大聖人の仏法がそのまま七百年にわたり法灯連綿と受け継がれてきた、わが日蓮正宗のすばらしさを実感するのである。
 近くは、わが学会の創設者である牧口初代会長、また戸田第二代会長もともに殉教者であった。日蓮正宗にのみ殉教の精神が脈々と流れていることがわかるであろう。
 皆さま方は、この深き不惜の信心を忘れず、崩れざる盤石な自身を築いていただきたい。そして、この北九州の地で、楽土建設への総仕上げへの努力をお願いしたい。
 皆さまのご長寿とご多幸を心から祈り、私の話とさせていただく。

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