Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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マレーシアの来日メンバーとの記念勤行会… 大御本尊への深き一念を

1983.10.28 「広布と人生を語る」第5巻

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1  はるばる東南アジアから総本山大石寺へ参詣されたことに対し、最大の敬意を表したい。日蓮大聖人御在世当時、阿仏房は、佐渡の地より老齢の身でありながら、身延の沢まで大聖人をお慕いし、登山した。その求道の信心に対し、大聖人よりおほめの言葉をたまわっている。時代は変われど、いま皆さま万が一閻浮提総与の大御本尊のもとに登山された信心の誠を、御本仏日蓮大聖人、また御当代御法主日顕上人猊下も、かならずや御称讃くださることと確信する。
2  なにごとにおいても〝根本″がもっとも重要となる。人生の目的は幸せ、安穏にある。また平和は人類の願望である。しかし、美しい花を咲かせた草木も、根が弱いといつしか枯れてしまうように、人生の幸せ、安穏、さらに平和も、その根本が明確でなく、弱いものであると、一時的なものでしかなくなってしまう。
 法華経ならびに御書には「現世安穏・後生善処」と仰せである。
 われわれは、現世が幸せ、安穏であり、さらに永遠の生命から来世も善き所に生まれ、幸せでありたいと願うものだ。これが万人の悲願であろう。それを築いていくものは、各人の「一念」のあり方である。
 だが「一念」は動きやすい。何に不動の一念を定めるか、これが人生における根本といってよい。結論していえば、大宇宙の根本たる大御本尊に南無し奉るとき、幸せ、安穏へと一念が定まるのである。
 現実には多くの苦悩、不幸があるにちがいない。しかし、御本尊を拝する人における「現世安穏」は、いかに諸難、苦労があっても、御本尊に強き祈りの信心があることそれじたいが、じつは因果倶時で「安穏」なのである。そして、大御本尊に南無した強き信心の一念によって、かならずや冥益で、現実の生活、人生に、永遠に崩れない福徳、功徳が深まり、広がっていくのである。さらに、この「現世安穏」を現証として、かならず大御本尊に連なった一念は、「後生善処」となっていくのである。ここに、日蓮正宗の仏法の偉大さがあるのである。
 大御本尊に南無しない人生は、一時は幸せそうな姿をみせたとしても、それは表面的なもので、永続の幸せとはならない。大御本尊へ、嬰児が母を求めるような純粋な信心を貫いていく人こそ、人生の勝利を飾ることができるのである。
 すでに南北アメリカにも日蓮正宗の寺院が建立されており、またヨーロッパにも出張所が開設されている。いわんや東南アジアは仏法有縁の地である。マレーシアにいちばん最初に寺院を建立しょうとの決意で、ますますの活躍を望みたい。

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