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関西の代表者懇談会 清新を信心のリーダーたれ

1983.9.20 「広布と人生を語る」第5巻

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1  今夏に行われた甲子園での全国高校野球選手権にあたっては、東京の創価高校が初出場した。そのさいは、関西の地元の方々にたいへんにお世話になったようである。私からもあつくお礼申し上げたい。
 私も創立者として、選手たちが東京駅をたつときに、OBに「勝っても負けても、朗らかな帰京を待つ」との伝言を託した。
 若き選手たちは、負けたとはいえ、たいへんに明るく帰ってきた。高校時代は野球で活躍することもうれしいことであるが、学業の大事さは、彼ら選手もよく知っている。
 関西で昨年三月に行われた平和文化祭は、全国に大きな波動を呼んだ。それを機としてのめざましい前進は、見事な常勝の歴史をさらに刻んだ。いま再び、関西のリーダーには“つねに清新な信心、つねに清新な指導”をお願いしたいのである。
 広宣流布への活動も、年々その広がりをもってきた。それは、いちだんと多角的になり、広範なものとなってきている。
 そこで時代の要請として、私と会長、また会長と理事長がいっしょに動けない状態になったといってよい。つねに、この広がりの要所要所の指導にあたっては、私も、会長も、理事長も、また副会長も、県長も、それぞれが全責任をもって、その場、その場の指導と会合の任を果たしていかねばならないとの自覚をもっていきたいと思うのである。
 なぜ私が、功労者宅にうかがい、激励するかということには、一つの理由がある。それは、御書にも「周の文王は老たる者をやしなひていくさに勝ち……」と仰せのごとく、とくに年配者を大切にしていかねばならないと思うからである。
 いわんや広布のために、功労ある方々を大切にし、激励しゆくことは、信心の精神であると思うからである。訪問してうれしいことは、信心の「根本の功」あるゆえか、福徳に満ちた姿を拝見できることであり、そのご家族の方々も社会的にも立派に成長しているということである。そのたびに私は、安心もし、正法の偉大さを感じるしだいである。
 私あてに、連日、多くの手紙をいただく。そこには報告あり、相談あり、要望ありで、さまざまである。また礼状や案内状も数知れない。私としては、できうるかぎり、返事をし、連絡をと思っているが、あまりにも多忙のゆえに、また数が多いので、一つひとつ返事を差し上げられないことも、どうかくれぐれもご了解願いたい。
 現在、各地で支部総会が盛大に行われている。真心こもる招待状も多くいただき、ありがたく思っている。出席もできないが、各支部の発展と皆さまのご健康とご多幸を御本尊にご祈念させていただいている。
 ある学会研究の少壮の学者が、いくつかの支部総会に出席した感想を述べていた。
 ――庶民の知恵というか、運営の創意工夫、確信ある話し方、誠実さ、礼儀正しさに感嘆した。そこには、いわゆるマスコミをとおしての批判とはあまりにも違うありのままの学会の姿が見られた。支部長はじめ支部の幹部の方々の話し方は、信心の確信に満ちて説得力も驚くほどあり、これまた、大変なことであると感じとった。「御本尊の功力」「日蓮正宗の伝統」「なぜ信心が必要か」「信心と社会」「信心と生活」「広宣流布」「われらの平和運動」等々、みな、たいしたものである。「死線を乗り越えた体験」――とくにこの真実の体験は、涙あり、ユーモアと笑いありで、自信に満ちみちた一つひとつの発言に、これほどまでに信心の偉大さがあるかを目のあたりにして、私の心は大きく動いた、と語っていた。
 そして、戦後、仏法を基調とした人生の蘇生運動というか、平和、文化運動というか、たしかにひとつの伝統を日本の国につくり上げたことは紛れもない事実である。本来、宗教と社会とは遊離しているように思っていたが、これほどまでに潔癖な信仰をたもちながら社会人としぜんの姿で交流し、そして多くの新しい人たちを一つの宗教にめざめさせているという事実は、これまた絶妙なあり方と感じとった、とも述べていた。
 たとえば、嫁姑の問題の解決、これも地道であるが、この一つの解決だけでも重要なことであるとも言っていた。広宣流布という崇高な理想をもちながら地道な現実生活に根ざしているとは大変なことである、とも語っていた。
 支部の発展は即広宣流布への伸展である。ゆえに、支部こそ学会の基本組織であることを幹部は忘れてはならない。支部総会をとおし人材が養成され、多くの人たちが集い、日蓮正宗の仏法の理解の輪が広げられていく姿は派手ではないが、まことに重要なことであることをけっして忘れてはならない。支部長、支部婦人部長のご苦労を心から謝し、ご活躍を祈りたい。
 多くの幹部から支部証を書いてもらいたいとの要望があり、皆さまがすこしでも喜んでいただけるならばと思い、多少、書かせていただいている。ご存じのとおり、私もまだ書道は稚拙であり、汗顔のいたりであるが、これからも、皆さまのためになるのであれば、少しずつ書かせていただくつもりである。ただ、多忙のため、時間をさいて書いているので、遅くなるところもでてくるが、ご了承願いたい。
 先日の一般紙に「生命科学」、また「生と尊厳」との見出しがあった。これを見て、ある人が聖教新聞の見出しではないかと言っていた。(笑い)総理が諮問機関研究を依頼したという記事のようであるが、そのとき、即座にある婦人が、いわゆる生命の尊厳を考えいくのであるならば、内閣は戦争の絶対否定であり、軍拡反対であるのがとうぜんではないか(笑い)、と鋭く語っていた。
 広宣流布の途上においては、何人かの心弱く退転した人がいる。その人たちの多くは、自分に欠陥があったのにもかかわらず、自己を正当化し、美化しながら、正宗を非難し、学会を中傷する傾向が多々あるが、御書に照らして、すべてそれらはいちばんの根本たる信心を、もはや失ったものと知らねばならない。
 涅槃経に「若し智慧有つて信心有ること無き是の人は則ち能く邪見を増長す」と。
 来年は「健康の年」と本部幹部会で発表された。十分に健康に留意しながら、生涯青春の心意気を忘れずに、和田・西口副会長のコンビを中心に、これからの全国への波動のためにも、関西の健闘を祈ってやまない。

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