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日蓮大聖人・池田大作

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九州記念総会 長寿と健康の人生を

1983.7.27 「広布と人生を語る」第5巻

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1  九州広布三十周年を、心から祝福したい。顧みれば三十星霜の道は長く、険しき山と苦難の日々の連続であったかもしれない。だが九州の同志は、仏子として、如来の使いとして、地涌の眷属の自覚も強く、よくぞ広布の“火の国城”を築いてこられた。この偉業をば、かならずや三世十方の仏菩薩も賛嘆されるにちがいない。
 その功徳は子孫末代まで花を咲かせていくにちがいない。
 各県の広布の基礎もできあがり、ここに九州広布第一期の基盤は完成したといえる。これからは第二期、広布五十周年に向かって大いなる前進を期していただきたい。この出発にあたり、広布の友へ私の心からの願いでもある「長寿と健康の人生たれ」との言葉を贈りたい。限りなく長寿て、限りなく健康を維持しながら、すばらしい信心と人生の総仕上げの山へと進んでいただきたい。
 法華経如来寿量品第十六に「是好良薬」とある。さらに「南無妙法蓮華経は大良薬なり」と大聖人は御指南されている。また「われわれの生命は大製薬工場のようなものだ」と戸田第二代会長もいわれていた。ここで、仏法と生命論の観点から“長寿と健康”の方途について述べてみたい。
 南無妙法蓮華経は、生命を浄化していく根源の法であり、大良薬である。われわれの生命は永遠であり、過去遠々劫から刻んだ罪障は深い。それに対して、われわれの信心の年数は浅い。しかし大聖人の仏法は一生成仏の法である。御本尊に勤行・唱題していくとき、南無妙法蓮華経の大風、妙法の火によって、枯れ草が一本のマッチで限りなく燃えゆくように、生命に巣くう病魔も、罪障も、かならず消滅させていくことができるのである。
 また、われわれは体内で、体をつくる物質をはじめ病気を治す物質などをみずから製造している。そして、外界との関係のなかで肉体的、精神的な調和をはかりながら健康を保ち、生命を維持している。それらの物質の製造ができなくなったり、調和のバランスが崩されたときには、病気という現象をひき起こす。
 この妙なる調和体が、われわれの生命であり、その本来の働きを作動させ、躍動の生命としていく本源力が南無妙法蓮華経なのである。
 勤行・唱題によって御本尊の宝塔の中に「以信得入」していくことができ、妙法の大良薬によって生命は浄化され、生きいきとした健康体へ、長寿の人生となっていけるのである。結局は“健康と長寿の人生”は、勤行・唱題の持続にあるのである。
 どうか、リズム正しい信心即生活をしながら、とくに年配の方々は、活動にあっても賢明に休養への工夫をしながら、しんしんと全身に、唱題の大良薬が浸透していくような、日々の勤行・唱題をしていっていただきたい。そして、現在の社会では、夢物語かと思われるような、健康にして長寿のすばらしき人生を、信心によってかならず全うできるのだとの強い確信をもって、楽しくも悔いなき、信心を深めゆく日々をおくっていただきたい。
 日蓮大聖人は「五濁のさわり重く闘諍堅固にして瞋恚しんにの心猛く嫉妬の思い甚し」、「万法は己心に収まりて一塵もけず九山・八海も我が身に備わりて日月・衆星も己心にあり、然りといへども盲目の者の鏡に影を浮べるに見えず・嬰児の水火を怖れざるが如し」と、人間生命の深奥を鋭く洞察されている。
 現代社会の人心は五濁悪世そのものであり、時代はかずかずの難問に直面している。出口なきトンネル、海図なき航海にもたとえうる最悪の時代をむかえているといえよう。その闇を晴らし、人間の未来を開くべきが、本来、宗教の役割であったが、現状は、その教義に限界があり、民衆から遊離しているがゆえに、救いの力となりえていない。個人にあっても、国家、また世界にあっても、もはや明確なる目標、指標が失われ、生きがい、生きる価値を持ちえなくなっている。
 そのなかにあって日蓮正宗創価学会のみが、大聖人の仰せのままに広布の道を歩み、いまや世界の希望、平和への希望の存在になっているのである。したがってわれわれの使命は、ますます重要になっていることを訴えたい。
 勤行・唱題に励み、広布に進みゆくわれわれの人生は、なんとすばらしいことか。妙法を唱えゆくとき、われわれは「宇宙即我」の原理で、全宇宙をひろびろと見渡し、人生を悠々と遊戯していけるのである。ゆえに、そのようなひろびろとした宇宙大の一念があれば、いかなる身近な現実の問題も、打開できないわけがない。
 また、人生と社会に勝利できないわけがないのである。
 九州のいっそうの前進を念願し、本日のあいさつとしたい。

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