Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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日本、ブラジル合同記念研修勤行会 日々新たをる人生を

1983.7.26 「広布と人生を語る」第5巻

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1  中国の「礼記」には「日に日に新たに、又日に新たなり」との言葉がある。
 「日々、心新たに、充実した人生を生きたい」とは、あらゆる人々の願望である。
 そのために人々は、さまざまな方法を考え、実践している。ある人は、ジョギングで爽快な心身をと鍛えている。また、安眠やリズム正しい生活の実行で、健康と充実の日々をと願っている。または座禅などによって清新な有意義な人生を送りたいと思っている人もいる。
 しかし、現実はあまりにも厳しい。今日ほど、多くの難問をかかえ、先が見えない社会、複雑にしてゆとりのない人間関係で苦しんでいるときはないといってよい。また、それぞれの宿業もあり、多くの人が「日々新たに」と願いながら、希望も、充実もなく、惰性と安易な生き方とならざるをえないのが実情である。
 では、どうすればきょう一日を、充実した、すばらしい出発ができるか――この一点が、人生の重要なる日々の推進となり、人生の人生たる証となるのである。結論していえば、最高の“日々新たなる”人生への方途こそ、御本尊への勤行・唱題なのである。
 日蓮大聖人は「今日蓮等の類いの心は無上とは南無妙法蓮華経・無上の中の極無上なり」と仰せになっている。
 南無妙法蓮華経こそ「無上の中の極無上」であり、これ以上の大法、宝聚はない。ゆえに、極無上であられる御本尊に勤行・唱題し、南無しゆく人生もまた「無上道」の人生となっていくのである。御本尊に連なっていない他のあらゆる方法は、結局、「有上道」であり、分々の益はあったとしても、根本的に“日々新たな”清新な心境、充実した有意義な人生とはなりえないのである。
 何があっても勤行・唱題を日々、実践していくことだ。結局は、それが“日々新たな人生”の出発となり、勤行・唱題による生命の内奥からの輝き、躍動の生命力が、人生の苦難を開いていく力となるからである。
 ゆえに日々の多忙さや疲れにまけて、けっして勤行をおろそかにしてはいけない。どうしても五座三座ができない場合でも、方便品、自我偈と唱題、または唱題だけでも持続していくことが大事なのである。ともかくも御本尊への信心の“電源”だけは切ってはならない。
 また、大風が吹けば、根が弱く浅い木は倒れてしまうように、“信心の根”を深く張っていくことが大事である。信心の根が深ければ、人生の諸行無常の風に倒されることはない。所願満足の枝を広げ、宿命転換、成仏への果実を実らせていけるのである。
 信心の根を深く広げる養分こそ、日々の仏道修行であり、労苦であり、かずかずの信仰体験を積むことなのである。いっさいが自分の“功徳善根”となるととっていく潔い、強盛な信心であっていただきたい。
 人生にはスランプのときもある。病気で苦しむ場合もある。家庭や子供のことで悩むこともあれば、さまざまな人間関係で煩悶することもある。しかし大聖人の仏法は「変毒為薬」の大法である。「煩悩即菩提」の信心である。すべては信心で常楽我浄の人生へと転じ、開きゆくことができるのである。
 もっとも大事なことは、極無上の信心の心を貫いていけるかどうかである。それが、このみずからの人生にあって、また社会での戦いにあっても、勝利していける原動力となることを強く確信されたい。
 「かならず宿命転換してみせる。所願を成就してみせる」との決意で、まず第一に、生活と人生の一コマ一コマを御本尊への“日々新たなる”祈りをもって、見事な勝利の実証で飾っていただきたい。

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