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九州広布三十周年記念式典 「仏法は道理をり」を語る

1983.7.23 「広布と人生を語る」第5巻

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1  九州広布三十周年の記念の集いを祝福申し上げる。この特別夏季研修の会場となっている九州研修道場は、十数年前、この土地の所有者から、ぜひ学会の研修所にとの申し入れがあり、研修道場を建設することになったものである。当時、あまり開けていなかったこの地は、鹿児島と宮崎の有志による「霧島会」、そして九州の同志の真心によって、営々として基礎が築かれ、整備されてきた。そして研修道場内には、信心錬磨の道場はもとより、初代牧口会長の遺徳を偲んでの「九州牧口記念館」も建設され、牧口初代会長そして戸田第二代会長も、さぞお喜びのことであろう。
 また、研修道場内の九州広布記念館には広布庶民の氏名を刻んだ銘板があるが、これは、一人ひとりを大事にしていく創価学会の伝統のいき方なのである。
 九州牧口記念館の石碑には、牧口初代会長の箴言である「愚人ににくまれたるは第一の光栄なり」「認識せずして評価するなかれ」「悪人の敵となり得る勇者でなければ善人の友とはなり得ぬ」等が刻まれている。
 広布と信心のためにうける非難・中傷は栄光となるというのが、広布に生きる尊い人生のあり方である。直観や先入観ではない。明確なる認識にもとづいた人間的評価こそ大切なのである。また、われらは、悪人と戦っていく気概に満ちた人間勇者でなければならないし、大聖人の門下であり、仏子であるわれわれには、諸天の加護は絶対であることを確信したい。諸天の加護も信心の厚薄いかんによるがゆえに、いっさいの根本である信心だけは、どこまでも強く深くあってほしい。
 「仏法と申すは道理なり」と大聖人は仰せである。幸せになりたい、宿命転換をしたい、平和でありたい、と人間が願うのは道理である。それを可能にするのが仏法であり、また、それを達成していく信心でなくてはならない。
 子供の成長、一家の和楽、人生を力強く生きぬいていく力、希望に燃えゆく人生、死を安祥として迎える姿――それらのすべてのものを願い、またこれらの欲求をもつことは、すべての人間に本然的なものである。
 それら人間の本然に根ざした要請、願望をそのまま成就せしめ、達成していけるのが三大秘法の大御本尊への強い信心なのである。われわれはその仏法の道理の大道を歩んでいることを確信したい。
 それゆえに、道理に反した人の行動は、すべて不幸の原因をつくってしまうのであり、皆さん方は“幸福”に“一家繁栄”に、さらに“勝利の人生”のために、あくまでもこの道理の方軌へと導いてくださる日蓮大聖人の仏法を深く信じ行じてゆく日々であっていただきたい。
 私がSGI会長として海外訪問、なかんずく社会主義国、共産圏への平和交流をすることに対して「そういう国には仏法者は関係ない」との、偏った考えをもつ人もいることだろう。しかし、社会制度は人間がつくったものであり、変化していくものだ。それは長年の歴史が証明するとおりである。どんな制度のもとにあっても、苦しみ、悩み、悲しむ一念三千の当体である人間の本性に変わりはない。
 また、制度や主義が違うからといって、交流もせず、いつまでも敵視していては、世界の平和は達成できない。戦争をするのも、平和を築くのも、文化的に豊かな国にするのも、しょせんは人間である。
 その人間の原点が仏法である。ゆえに仏法者として、社会制度を超克して、平和のために、また仏縁を結ぶために行動していくのは、とうぜんの道理である。
 ともあれ、低次元の打算的な批判の言動などは歯牙にもかけず「仏法は道理である。われわれはこの道理の道をかぎりなく邁進するのみである」との決意で進んでいただきたい。さらに、われわれの幸せと願望を成就してくれるこの道理の法にもとづいて、いっそうの精進をしていただきたい。

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