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日蓮大聖人・池田大作

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「創価学会の日」記念勤行会 仏道修行は自己自身の鍛錬

1983.5.3 「広布と人生を語る」第4巻

前後
1  五月三日は、わが学会にとって”正月“ともいうべき日である。その淵源は昭和二十六年五月三日であった。この日、戦争の荒野に一人立たれ、広宣流布のために指揮をとられた戸田先生が、第二代会長に就任された。ここから実質的に、大折伏の行進が開始されたのである。いわば、永遠にわたる広宣流布へ進みゆく学会の原点の日、重要な伝統の日が、五月三日なのである。
 今日の学会の大発展は、御法主上人の御慈悲によることはもとより、戸田先生の一念の呼応した全国の同志の不惜の前進によって築かれたものである。その多大な労に心から敬意を表したい。御本尊を信じ学会とともに広布に邁進してきた功徳は、無量無辺であることを確信されたい。
2  「極楽百年の修行は穢土えどの一日の功徳に及ばず」と御聖訓に仰せにように、社会での名声、栄誉、財産などは、いわば「極楽百年」でのわが身の飾りのようなものだ。末法濁悪の世における、正法正義の法戦には労苦も多い。
 だが、そのなかでつんだ功徳は、尽未来際永遠にわたり、生命の財宝となって輝いていくのである。
 末法の時代相は「闘諍言訟」と御書と経文に説かれている。日本も世界も、独善、傲慢、エゴが渦巻き、善悪、正邪が見失われた、予言どおりの「闘諍言訟」、争いの時代となっている。その本質は、仏と魔との戦いであり、建設か破壊かの戦いなのである。魔に負ければ、自身も、家庭も崩壊する。人々も、国も、世界も、平和も破壊されてしまう。しかし、われらの妙法の法戦は、自己の、家庭の、社会の、世界の建設であり、幸せと平和の建設なのである。ゆえに、負けてはならない。
3  われらはかずかずの苦節の嵐にあいながらも、そのたびごとに変毒為薬し、勝利の大道を進んできた。学会は、昭和二十六年に実質的な再出発をしてより、本日で三十二年。”三十二歳“のひじょうに意義深い使命の、清新にして壮んなる年代に入った。
 思えば、大聖人の立宗宣言も聖寿三十二歳のときであられた。ゆえに、新たな広布への誓いの意味もこめ、再び潔い清新の信心に立って、二〇〇一年五月三日、そして立宗七百五十年の大佳節をめざして、ともどもに前進をお願いしたい。
 精神的、肉体的な鍛練をとおし、自己の完成をめざしたのが修行である。今日の学校での勉学も、体力増進のためのさまざまな努力も、同様である。御本尊を根本とした広宣流布へのわれらの行動は、すべて人格の完成、幸せ、永遠の生命の大福運をつみゆくための修行なのである。
 妙法の修行は、幸せと健康と人格形成への歩みである。仏道修行がいやになったり、歩みを止めることは、自身の敗北となる。「われらの修行はいっさいが、幸福と充実と宿命転換へと向かいゆく活動なのだ」との信心の一念を定めての日々の行動であっていただきたい。

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