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日蓮大聖人・池田大作

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「創価学会の日」記念勤行会 無量無辺の功徳開く信心を

1983.5.1 「広布と人生を語る」第4巻

前後
1  名声を博した著名人にも、不幸な生涯を終える人は多い。それらをみても、人生のはかなさ、諸行無常を痛感する昨今である。また、社会には、あまりにも多くの不幸な姿がある。そのなかにあって、皆さま方は、人々のため、社会のために慈悲行に励んでおられる仏の使いである。その崇高なる使命、仏法上の因縁というものは、社会的事象や組織的立場などで左右されるものではない。永遠にして不変なものである。それを深く自覚した仏法者としての生涯であっていただきたい。
 各地を訪れて思うことは、草創の功労者の多くが、労苦の連続作業の日々をすごしてこられながら、ご長寿で、いまなお活躍されていることだ。その姿に、寿量品に説かれた「更賜寿命」の妙法の不思議な力用を改めて思うとともに、御本尊の御使いとしての尊い使命の方々であることをしみじみと実感した。どうか、妙法とともに生きゆく皆さん方は、どこまでも長寿の人生であっていただきたい。
2  御書に「天下万民・諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨つちくれを砕かず、代は羲農の世となりて……」と仰せである。
 「妙法独り繁昌せん時」と。ここに「立正安国」の真髄がある。大聖人を御本仏とあおぎ、総本山を根本として、仏法を弘め、広宣流布の大河をつくっていくことが、わが創価学会の使命である。悪世末法の時代を思うとき「妙法独り繁昌」の時代を、断じて築いていかなければならない。それが大聖人の御遺命だからである。
 各人にあっても、商売が、一家が、そして自分自身が繁盛し、栄光の実証を示していただきたい。事業をやっておられる人、サラリーマン、また家庭の主婦等々、
 さまざまであろう。だが、それぞれの立場で、栄光の人生を築き、人間として光っ
 た存在となっていく、それが「妙法独り繁昌」の現実的な証明となるのである。
 学会の広布の歴史にも多くの苦節があった。言論問題のときもそうであった。そのとき私が御本尊に祈ったことは「無量無辺の広布の道を開いてください」ということであった。ここ数年も、大難の嵐であった。私はひたすら祈った。「創価学会に威光勢力を与えたまえ」と。これらの祈りは、すべてかなえてくださったと確信している。
 御本尊は絶対であられる。真剣なる祈りは、御本尊の力によって、時とともにかならず願いどおりの向上、推進、そして願望達成がなされていくものだ。大事なのは信心である。いっさいは信心の厚薄によって決まるのである。どうか”これが信心の偉大さだ“というものをみずからも確信し、また職場、地域、社会で輝かせてゆく一生であってほしい。
3  再び「五月三日」を迎える。五月は晴ればれとしたさわやかな季節であり、三日は意義深き「創価学会の日」である。それは、大福運と歓喜の創価学会の象徴の日である。
 学会は、代々の御法主上人の御慈悲と戸田先生のおかげで、未曾有の折伏を成し遂げた。正本堂、大客殿をはじめ多くの寺院を御供養申し上げた。各地に広布の牙城を建設し、同志を励まし立派な信者にと育ててもきた。広布の大河を世界にまで広げた。その功徳ははかりしれないと確信する。
 われわれは大功徳をつんでいる。それをどこまで開くかは、各人の信心である。
 胸中の信心を閉じ、策や組織利用のいやしき心に動かされているかぎり、功徳の扉は開かない。御本尊を信じ、学会とともに広布へ進みゆく、喜びの信心、感謝の信心に、功徳の扉は開くのである。
 功徳の宝は、すでに厳然と存在しているのである。これからは、その宝庫を開きゆく信心、祈り、行動、境涯であっていただきたい。開かれた一人ひとりの功徳、境涯は、社会へとつらなり、社会の福運をも大きく開いていくことを確信されたい。
 世界への広布の行動の功徳も、一ブロックで数人の同志を激励し、折伏をしていく功徳もその功徳に違いはない。
 「一色一香中道に非ざること無し」で、すべて十界互具、一念三千の当体である。大宇宙もまた一念三千の当体である。ゆえに、南無妙法蓮華経を根本とした行動の功徳は、いずれの地にあっても等しいのである。

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