Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第一回創価草創の集い 若き日の将たる自覚忘るを

1983.4.30 「広布と人生を語る」第4巻

前後
1  皆さん方は、戸田先生を人生の師として、広宣の誓いを果たさんと、この世に生を享けてこられた方々である。そして、戸田先生のもと、御本仏日蓮大聖人の御遺命の成就をめざす創価学会の若き幹部として、みずからの使命のままに、広布の法戦に命をけてこられた、将の将たる方々である。日蓮正宗創価学会は、今日では世界的に大発展を遂げている。皆さん方は、その基礎を築いてくださった功労者である。それぞれの活躍の場のちがいもあり、ある人は柱に、またある人は窓に、ある人は土台石のような存在であったかもしれない。しかし、その功労は、創価学会の歴史とともに、燦然と輝いていくにちがいない。御本尊もかならずや御照覧のことと信ずる。さらに、それぞれの生命に刻まれた因果の歴史は、根本の功となって、永遠に生命を飾りゆくことを確信されたい。
 大聖人は「心こそ大切なれ」と仰せである。功労をさらに輝かせていくのも、また壊し、消していくのも、結局は信心の一念である。「心こそ大切なれ」との戒めを自分との戦いでけっして忘れてはならないし、失ってはならない。
2  総本山が日蓮正宗の根本同情であり、御歴代の御法主上人が仏法の師であられることはとうぜんである。そのことを根本とし、われわれは、戸田先生のもとに集い、青春の生きがいを炎のごとく燃やし戦ったのである。仏法のことも、信心のことも、社会のことも、さまざまな人生のことも、すべてを教わった。それがあったがゆえに、今日のわれわれがあるといっても過言ではない。
 その恩だけは信仰者として、人間として、いかなる時代にあっても忘れてはいけない。どうか、戸田先生の薫陶を受け、広布の青春を生きたことを生涯の最高の誇りとして生きぬいていただきたい。
3  「ともかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり」(御書五五二ぺージ)との御聖訓のとおり、強いて説き聞かしていく。」||これが大聖人の仏法の大精神である。無認識の、またエゴによる世間の風評、中傷、非難など恐れる必要はない。
 大聖人の御遺命のままに、何があっても広宣流布に進みきってゆく、それが「強いて説く」行動となるのである。その家庭なのかで、謗ずるものをも、毒鼓の縁で、信心させていくことができるのである。これが妙法の法理なのである。
 また「毒薬変じて薬となる妙法蓮華経の五字は悪変じて善となる」と仰せである。
 広布の途上に障魔の嵐は必定である。もったいなくも大聖人は、国中の悪口罵詈、かずかずの大難のなかで御本仏の御境界を顕現なされた。大聖人の門下であるわれわれにも、中傷、非難の嵐は必然である。しかし、しかなる苦節をも耐え忍び、強盛なる信心さえ貫けば、妙法の力用によって、広布の道程の彼方には、最高の善者として栄光に輝きゆくことは絶対にまちがいないと確信されたい。
4  私が三十数年におよぶ信心のなかで、深く感銘をおぼえてきた御聖訓の一つは「死は一定なり」との御文であった。
 死は、だれ人にとっても一定である。ゆえに大事なことは、何に生涯を賭けるかである。家族のために、会社のために、国のために、とさまざまな考えはあるだろう。しかし、至高の充実の悔いなき人生の道は永遠にして宇宙大のこの妙法の世界にしかない。
 大聖人は「をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ」と仰せである。
 この御文を拝し、大聖人の大難の御生涯、また正宗の歴史を思ったとき、私は、広布の人生に迫害と苦難はとうぜんと直覚した。だが、無始無終らして永遠なる生命の世界の尊い歩みは、この広宣流布の道にしかないと青春時代を定めたのである。そして、絶対の信頼をよせてくださった戸田先生のもとで戦った。これは私だけではなく、当時の若き指導者・部隊長の皆さんも同じであった。
5  当時は経済的にも苦しく、食事もまたままならない状況もあった。そのなかで信心を貫きとおした芯の強さは、何ものにもかえがたい財産である。峻厳なる苦闘のなかに、深き信心も築かれていくのである。
 青春時代に、本格的な訓練を受けた人は、それなりのものを築きあげている。そうでない人は、芯ができていない。どうしても弱い。”手づくり“による人材育成が必要なのである。
 青春を広布に捧げて戦ってこられた皆さんは、その尊い土台のうえに、さらに信心をみがき、円熟した人間性をもって、再びの共戦を念願してやまない。

1
1