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日蓮大聖人・池田大作

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京都記念幹部会 妙とは蘇生の義

1983.3.14 「広布と人生を語る」第4巻

前後
1  「絶対」ということばをよく使うが、いったい「絶対」というものがあるだろうか。たとえば伏見城も、草木も、太陽も、月も、地球も、きらめく銀河系も、永遠に崩れないということはないだろう。人もまた同じである。愛しあう夫婦の愛も、また「絶対」ではない。「愛別離苦」がまっている。すべて「諸行無常」であり、「成住壊空」の実相を示している。ゆえに永遠に崩れざるものはない。
 ただ、ありとあらゆるものの本源の力である「南無妙法蓮華経」の一法のみが無始無終であり、三世永遠に変わらざる絶対の大法なのである。この大法を、現実に大御本尊として御図顕なされたのが大聖人であられる。この絶対なる法則のうえに、広宣流布の道を歩んでいるのが私どもなのである。
 また、かりに御本尊も、一見すればたしかに物体であり、なくなる場合もあるようにみえるが、代々の御法主上人が、かならず御本尊の御図顕をなさってくださる。絶対の法が残されるのである。
 いっさいの私どもの行動は、この「絶対」なるものへの信仰であり、だれ人もおかすことのできないまちがいなき生命の行路なのである。すなわち、南無妙法蓮華経にのっとった生命の旅路ほど、生々世々正しく楽しい旅路はないのである。その大確信をもっての日々であっていただきたい。
2  また人の心はあまりにも移ろいやすいものだ。一日に億万の念慮が刻々と起こっている。大聖人が御在世当時、多くの門下の方々に事あるごとにお手紙で御指導されたことも、謗法の念慮にとらわれないよう、確かなる大法の道を歩ませゆかんとされての御姿であったと拝せる。そして私どもも、御本尊を根本としながら、たがいに励ましあい、守りあいながら、確かなる信心の道を誤りなくあゆんでいくための組織につくことが必要となり、勤行・唱題の持続が重要となってくるわけである。
 現代社会はあまりにも悪しき環境であり、悪しき縁に粉動されやすい日々である。そのためにも、妙法への正しき信心の励ましあいの前進が重大な用件となってくる。ゆえに、つねに組織活動が必要であり、また信心指導が必要なのである。
 人生は行き詰まりの戦いともいえる。生死の苦しみとの対決でもある。また、現実の生活のなかに生ずる苦悩との戦いかもしれない。そこに、敗北ではなくして、希望の人生へとつねに方向づける蘇生の力が必要となってくる。ここに人生の課題があるといってよい。「妙とは蘇生の義」と仰せのごとく、悩める人、苦しみゆく人、行き詰まった人々に最大の力と最大の希望を与えゆく源泉力こそ、日蓮正宗の大法であることを深く深く確信してほしい。
3  新聞紙上をにぎわせているごとく、社会には多くの事故がある。今朝も衝突事故があった。当事者にしてみれば、夢にも考えなかった一瞬の事故であろう。大なり小なり、このような事故はどこで起こるかしれない。そこで大事なのは用心することであるが、この用心にも限界があるだろう。日々勤行し、御本尊に祈りきっていくことは、意識するにせよ、無意識にせよ、絶対の用心の根本となっているのである。
4  エジプトのクフ王のピラミッドは、王の生命を永遠ならしめようとの熱意にもえた選ばれた人々の真剣なる団結によって築かれた。この「情熱のピラミッド」は、数多くのピラミッドを凌駕し、いまもって微動だにしない姿を見せている。京都の広宣流布の道程もまた同じである。この千年の都を、皆さんの真剣なる情熱によって、万年にわたる妙法の都としていただきたいことを願ってやまない。

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