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日蓮大聖人・池田大作

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愛知県記念幹部会 立派を信仰で立派を人格を

1983.3.6 「広布と人生を語る」第4巻

前後
1  まず各種の人材グループについてふれておきたい。戸田第二代会長時代における「水滸会」「華陽会」、また、その伝統をついで「鳳雛会」「新世紀会」などの数多くの人材育成グループを結成してきたが、これらは、すべて時代の条件を考慮しながら、広宣流布の流れを拡大していくための方途として行ったものであった。
 また、草創の十二支部当時のメンバーを中心に「文京会」「蒲田会」などを結成したのも、戸田第二代会長とともに草創の困難な時代を、法戦に走り、今日の学会の基礎を築いてきた方々の功労を顕彰し、後世に残しておきたいとの思いからである。ともすると、そうした草創の功労者は、組織の発展、変化にともなって忘れられた存在になりがちであるが、絶対そうであってはならない。
 学会の人材グループは、すべてメンバーがおたがいに守りあい、仲良く切磋琢磨して信心の成長をはかっていくためのものである。本日結成されたそれぞれの地域会にあっても、子孫末代に語りつがれるような内容の充実をお願いしたい。
2  今日の学会の大発展は、三十年前にはだれも想像できなかったものである。この大発展の姿こそ、御仏智にかなった学会の実践であったことの確かなる実証であるといえよう。この世紀の偉業に参加し推進してきた功徳は偉大なものであることを確信していただきたい。
 信心は確信であり、確信は力であり、希望である。確信なき人は、魔に粉動され、非難に負け、時勢に妥協し、信心の深みから離れてしまうものだ。「浅きを去って深きに就く」丈夫の心を失い、世法に迎合しゆく信心には、大聖人の仏法の脈動はなく、学会精神ではない。
 その学会精神を再び確認しあい、勇気と確信みなぎる前進をお願いしたい。
 生命は永遠にわたるのであり、生死を繰り返しつつ流転していく”一人の永遠の旅“である。であるがゆえに、過去世からの罪業によってもたらされた不幸、苦悩を、今世における信心によって福運、幸福の人生へと転じていかなければならない。その不幸から幸福への転回点こそ現在の信心である。どんな辛いこと、苦しいことがあってもそれに耐え、題目をあげぬいていくところに、常楽我浄の人生が開け、一生成仏の道がある。
3  幹部は、広布の責任感のうえから、苦しみや悩みも多いかもしれないが、幹部としての強き信心の実践によって、それらを功徳と転じ、みずからの境涯を深めていくことができるのである。
 御書に「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」とあるように、インド応誕の釈尊も御本仏日蓮大聖人も、民衆救済のための御振る舞いであられ、大難の御生涯であられた。
 われらの折伏・弘教の実践も、妙法を根本として「生命」と「人間」を本源的に蘇生させ、救済していく仏子としての使命の実践である。エゴとねたみが渦まき、他人の不幸のうえにみずからの幸せを築いていこうとする”心の不毛“の時代にあって、これほど尊い人生の労作業はないことを確信してほしい。
4  大聖人の仏法は、因果倶持の法である。南無妙法蓮華経と唱題しゆくその瞬間に、因果倶持で、すでに人生勝利の果をはらんでいるのである。
 ゆえに、日蓮正宗の御本尊に唱題しゆくその実践は、いわば妙法の”放射線“を生命へ、人生へ、社会へと放ち、自身の福運をつみかさねつつ、魔の働きを根底から切っているのである。
 学会を、そして妙法の同志を非難、中傷する人は、かりに表面的には勝ったような姿をみせていたとしても、因果倶持で、その瞬間に、福運を消し、三悪道の道を歩みはじめているのである。したがって、御本尊の御力で冥益、冥罰として、その違いは時とともに明確になる。
 ゆえに、信心さえあれば、いっさいに勝つことができるのである。そのことを確信し、どこまでも御本尊へと向かいゆく信心の姿勢を忘れてはならない。
5  「生命」を対象とした尊い作業は、地涌の眷属でなければできない実践である。そこではその担い手である一人ひとりの人格が重要になる。度量の狭い人、悪意の人、非礼の人、非常識の人は、社会でも結局、信頼を失い、偉業は成し遂げられないものだ。ゆえに信心即社会、信心即生活のうえからも、各人の人格、威厳ある人間性の輝き、人柄の良さ、礼儀正さ、良識が大切になる。
 そして、学会総体としても多角的、重層的な高次元の段階にはいった現在、学会員一人ひとりに、そのような人間性の輝きが増してくれば、学会じたいも質的発展を遂げることができ、仏法理解の輪も大きく広がっていくのである。
 世間や政治の次元では妥協はあっても、謗法厳戒が日蓮正宗の教義であり、仏法の次元で妥協があってはならない。いかなることがあっても、純粋にして強盛な信心を貫く人に、三世十方の仏・菩の加護がある。仏法は勝負であり、謗法に勝ってこそ正法の正義は証明されるのである。愛知の同志の今後の健闘に期待したい。

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