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葛飾区記念幹部会 共々に”永遠の青年”の心で

1983.1.29 「広布と人生を語る」第4巻

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1  きょうは、久方ぶりにお元気な葛飾の同志の皆さまにお目にかかることができ、心からお喜び申し上げる。
 葛飾にも、多くの地涌の友が活躍しておられるが、地球の反対側にあたるブラジルの地にも、数万のメンバーが御本尊を受持し広宣流布に活躍しておられることを忘れないでいただきたい。
 ご存じのとおり、現在、御法主日顕上人猊下は、ブラジルの地に御親修あそばされている。一乗寺の移転新築落慶入仏法要をはじめブラジルでの諸行事もつつがなく終えられたとの知らせをお受けした。
 初めて御法主上人をお迎えしたロベルト・サイトウ理事長をはじめブラジルの地涌の友の喜びのようすも、たびたび伝えられ、ほんとうに喜びにたえない。御親修の御旅もつつがなく御無事に終えられ、二月二日には御法主上人のお元気なお姿をお待ち申し上げたいと思っている。
2  メンバーの数の大小はあるが、世界百十五か国にわたって、地涌の友が勇んでその国のために貢献していることは、ご存じのとおりである。
 東南アジアの各国でも、妙法の友が、その国の繁栄を願って活躍しておられる。
 その方々の労苦を私どもは忘れてはならない。ともあれ、いまや妙法流布の大河の流れは、だれびとたりともることはできない段階にはいっている。
 とくに、東南アジアは、二十二年前の昭和三十六年一月、お懐かしい日達上人を それが現在では、陳尊樹理事長ご夫妻のご努力によって、その発展ぶり、安定ぶりには隔世の感をおぼえるのである。私どもは、さまざまな労苦を重ねながら、末法万年尽未来際までの妙法広布に活躍しておられる同志の方々への、讚嘆を忘れてはならないし、また見守っていきたいと思う。
3  御書に「賢きを人と云いはかなきを畜といふ」という御文がある。
 私どもは“賢き人”“聡明な人”として、この一生を生きぬいていきたい。けっして、はかなき人生となってはならない。この聡明さ、賢明さは、要領とはまったく違う。信仰者として正しき生活、正しき価値判断をもちながら人生を生きぬいていくということである。
 たとえば、会合まえにゆっくる食事をすることも賢い場合がある。また、会合も八時半の終了であるが、それ以前にいっさいの指導、連絡事項等が終われば、会合を早めに終わらせることも聡明な場合がある。風邪をひき、熱がある場合には、けっして無理をせず早く休んだほうがよい場合もあろう。
 信心の世界だからといって、常識はずれの窮屈ないき方であってはならない。みなが伸びのびと活動していけるよう、効果的な組織の運営、会合の運営、そして生活のあり方を十分に考えていくべきであろう。ただ「信心、信心」、ただ「広宣流布、広宣流布」といって、ものごとを硬直化して考えてはならない。
 すべての人生のいき方に、すべての生活のあり方に、ゆとりが必要である。つねに余裕をもって、友人関係にしろ、家庭内の和楽にしろ、また職場にあっても賢明に考えていくことが大切である。
4  幹部になると、多くの人が指導を受けにくる。また、ただ愚痴を訴えてくる場合もあるだろう。まことにたいへんであると思うが、一つひとつ、賢明な対処をお願いしたい。
 ときには多忙の折や夜中に、電話がある場合がある。そうしたときも、感情的になって「こんな夜遅く困るではないか。非常識ではないか」と叱るのではなく、「よくわかった。私も唱題して応援しますから、きょうはよく休みなさい」といった具合に、賢明に価値判断をしながら、適切な対応をお願いしたい。
5  エベレスト山を制覇した登山家が話していた。
 「頂上へ登ることは、まだしもできるものだ。しかし、考えておかねばならぬことは、無事に最後まで下りられるまでの、すべての計算と準備をしておかねばならぬということだ。そこに意味があるのだ」と。
 われわれの広宣流布への登山も、また同じことがいえると思う。
 一つの目的だけに目をうばよれて、長い人生への視野、多数の人との調和、連帯を忘れてしまっては、最終的な目的を達成することはできない。ともあれ、職場でも、生活でも、組織内でも、すべてにわたって聡明な価値判断を、その立場でお願いしたいのである。
6  御書には「不老不死」と仰せである。「無始無終」とも仰せである。よって、私ども広宣流布に精進しゆくリーダーとして、心は生涯にわたって”永遠の青年“で生きぬきたいものである。信心の一念には、老いも若きもない。
 生身である以上は、とうぜん疲れることもある。病気になることもある。血圧が高い、腰が痛い、五十肩だ、との体の不調があるのもとうぜんである。しかし、そのために心までも暗く、重くなってはならない。それを開きゆくひろびろとした信心の世界で、すべてを転換していくことを願いたいのである。
7  社会においても、松下幸之助氏、土光敏夫氏などは、八十代の高齢である。しかし、いまだ現役として、国のため、社会のために、おおいに活躍されている。ましてや、日蓮大聖人の永遠の仏法を信奉する私どもは、強盛な信心によって、つねにみずみずしく、法のため、人のため、社会のために、若々しい生命力をもって、どこまでも”永遠の青年“のごとく、との気概で前進していきたいものである。
 それには、与えられた仕事に全力をあげることである。つねに、現役としての心をもって活躍しぬいていくことである。
 とくに葛飾の青年部に願望したい、それは「開目抄」を徹底的に拝読し、研鑽しぬいていただきたいということだ。ご存じのとおり「開目抄」は、人本尊開顕の書である。法本尊開顕の書である「観心本尊抄」とともに、当宗の最重要の御書である。「開目抄」を拝読していくならば、まさしく大聖人こそ末法万年の御本尊であることを深く確信していくことができるのである。
8  大聖人の御生涯は、御法難の連続であられた。それは、末法の民衆を救済されんとしての折伏・弘教にともなって起きた大難であった。三障四魔、三類の強敵の起こる由来も、この御書を拝して強く了解できるものである。「開目抄」は、主師親三徳具備の御本仏の難即悟達を明確にお示しくださった御書であるからである。
 それとともに、この日蓮大聖人の御法門を信じ行じゆく信徒のわれわれにも、とうぜん難があることがわかるにちがいない。
 われわれは、大聖人の門下として、「開目抄」を拝しながら、少しでも大聖人の
 大確信の御姿に接していかねばならないのである。
 折伏を行ずれば、難はつきものである。これを御教示くださったのが「開目抄」であり、なにも不思議はないのである。絶対に恐れてはならない。難のなかに信心をふかめ、難のなかに崩れざる広宣流布の道を開いていくのが、大聖人の仏法の一つの方程式であると私はみたい。ここに、学会の伝統精神があることを、青年諸君は知ってもらいたい。骨髄に刻んでもらいたい。
9  葛飾は、人柄のよい、若々しい井上区本部長が指揮をとっている。この区本部長を中心に、盤石な葛飾の広宣流布をお願いしたい。さらに、よき広宣流布の後継者が陸続と輩出されることを待っている。
 私も、日蓮正宗を外護申し上げながら、永遠に盤石なる学会の建設のために働いている。護法と広布、全同志を守ることこそ、この世の使命であると信ずるからである。これからもたびたび葛飾に足を運び、信心の激励をしたいと思っている。皆さまのご多幸、ご長寿、ご健闘を心から祈り、私の話とさせていただきたい。

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