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江戸川区記念幹部会 ”信心の王者”らしき尊き生涯を

1983.1.28 「広布と人生を語る」第4巻

前後
1  江戸川創価学会は、堂々たる横綱の貫祿をもった区である。人材の流れもまた、
 満々とした江戸川のような流れができあがっている。皆さまのお元気な姿を拝見できて私はひじょうにうれしい。
 江戸川のルーツは、かつての小岩支部である。その初代のリーダーは有名な和泉先生であり、ついで富田作十さん、そして石田次男さんであった。
 私も今からちょうど三十年前の昭和二十八年の正月に、この方面の男子部の第一部隊長の任命を受けた。したがって、私にとっても、この地はかずかずの広宣流布への思いでの歴史を刻んだ地である。
 当時、第一部隊の所属として戦った友は、数多くいる。たとえば、中西治雄(現総務)、曾根原敏夫(同)、赤須雪秀(同)、甚野緑(参与)、四国へ行った中村慶和(同)、また片岡喜太郎(同)君たちがいた。
 昨年、久方ぶりに「第一部会」として、当時のメンバー百六十三人が集い、多数の後輩と懇談することができた。それぞれが広布の第一線で、また政界で、社会で大活躍をしている。その錚々たる姿を拝見して、たいへんうれしかった。いま、江戸川は、若き酒井辰雄君が区本部長となり、佐野節子さんが婦人部の区本部長として、立派に活躍しておられる。
 今宵の空には、満月が煌々と輝いている。皆さまの功徳もまた、満月のごとくであっていただきたいと、心で祈った。
2  わが学会が、これだけの嵐を受けながら堂々と発展しゆく理由のひとつは、それぞれの地域に盤石に根をはった多くの年配の方々がおられたことである。その方々は、はなばなしい表舞台の存在ではない。むしろ地味な陰の存在として、地域社会で信頼の的となっている方々である。
 すなわち五十代、六十代の、人間的に円熟し、家庭的にも地域的にもだれからも安心される重要な存在の方々が、多数おられたからである。若きリーダーにもそれなりの使命と任務があるが、無言の力となっているこれら年配のご夫婦方の存在を、学会はけっして忘れてはならない。
 その方々は、いまは指導部の立場におられ、後輩か次々と幹部になっても、淡々とその人たちを補佐してくださっている。これらの大功労の方々を幹部は大切にしていかなければならない。若い幹部に少々行き過ぎがあっても、その方々がみな調和をとってくれたり、つつんでくださってきたから、今日の微動だにしない学会があることに、私は感謝したい。
 その方々は、個人会館を提供してくださったり、また拠点として自宅を提供してくださっている。近隣の方々からも「人柄もよい、あの豊かな笑顔を忘れることはできない」といわれるほど、人間的にも円熟されている。まさに学会の根本的安定の力となっているこれら指導的立場にある方々を、いつの時代になってもけっして忘れてはならないと申し上げておきたい。人間としては、役職上の”えらさ“よりも、それらの方々のほうがはるかにえらいことを見逃してはならない。それが仏法である。
3  次に会場を提供してくださる方に感謝したい。たしかに世帯数からみて区に一つか二つの会館ではあまりにも不便である。そのことを心配されて自費で広宣流布のために、学会員のために提供してくださっている。その方々に最大の感謝を申し上げたい。
 会場を使用させていただくさいは、礼儀正しく、感謝の心を忘れず、提供者の方々が喜んでくださるよう、こまやかな配慮をしながらの使用であっていただきたい。
 そうした会場は、提供してくださっている方の家庭の一部である。ゆえに家族のこと、近隣のこと等々、その家のご苦労も考えていかなければならない。要するに真心の応対でなくてはならない。
 使わせてもらってあたりまえとの気持ちは、けっしてもってはならない。提供の方々に感謝しながら、大切にしながらの会場使用でなければならないと思う。
4  次に、聖教新聞を配達してくださる「無冠の友」にも、その労を感謝していきたい。いくら広宣流布への新聞ができても、配達してくださる人がいなければ、読むことはできない。
 わが家にも、野沢さんという大B担が配達してくださる。私も妻も、いつもこの方が風邪をひかぬよう、事故がないよう祈っている。また、時間はいつも時計のように正確である。私は、仏道修行はこういうところにあると思えてならない。
 この「無冠の友」のなかには、主婦の方々が多い。また、学生もいる、社長もいる、青年もいる、大学の先生もおられる。毎日、寒い冬の朝も、広宣流布のためにと使命感に燃えて走ってくださる「無冠の友」に心から感謝し、その無事故とご多幸を祈りたいものである。
 二、三年前のことであるが、この話を聞いて、私は胸が熱くなった。
 それは、福井の豪雪のときである。軒先までとどくほど雪が積もって歩けない。
 また、雪の上を歩くと、電線があって危ない。他の一般紙は、歩けないし危険なので配達されなかったようであるが、健気にも「無冠の友」は、半日以上もかかって一軒また一軒と回りぬき、ぜんぶ配達してくださったというのだ。
 ゆえに、このような使命感に燃えて勇敢に活躍する陰の人々を、幹部であるわれわれはたたえ守っていく精神を絶対に忘れてはならない。
5  信心は一生涯である。世間でも「棺を蓋いて事定まる」といわれるように、その人の信心が本物であったか否かは、生涯をみて決まるのである。
 いまは燃え立つような信心であっても、信心は一生涯にわたって、全うしゆくものでなくてはならない。
 日蓮大聖人の御在世においても、数多くの人が退転し去った。第二祖日興上人の時代も、またそうであった。第三祖日目上人の時代にも同じような姿があった。先師日達上人の時代にも、また、御当代御法主日顕上人猊下の現在にも、残念ながらその姿があった。また、大聖人の仏法を行じゆく学会のなかにも、同じ歩みがあった。
 退転ほど、仏法上、恐ろしいものはない。また、不幸なものはない。退転した場合、はじめはわがままができ、順調にいくようにみえるが、かならず長い人生の最終にあっては、それはそれは厳しき総決算がなされてゆくのである。それがまた、
 永遠の生命のうえからの仏の慈悲である。
 人生の途中の姿がいかによいようにみえても、それは夢なのである。人生の決定的な幸、不幸の意義は、最終章にあるし、永遠からの尺度でみていかなければならない。
6  仏法には「当分跨節」という原理がある。「当分」は幸せそうにみえても、一歩深く「跨節」の立場からは、そうでない場合がずいぶん多いものだ。生命の真の幸、不幸を知るにも、この「当分」「跨節」の見方が必要となるのである。
 ともあれ私どもは、いかなる難ありとも「信心の王者」らしく「広布の王者」らしく、すべてを悠々と乗り越えていく一生でなければならない。いかに経済的に苦しくても、また、病に倒れる場合があっても、この王者の気概だけはけっして忘れてはならない。広宣流布への道程は長い。その活動も多岐にわたる。大事なことは、同志間の理解である。
 疲れる場合もある。病む場合もある。多忙な場合もある。そういうときには、けっして無理をさせぬよう、「きょうの会合は私がしますから、安心して休んでほしい」との励ましあいが、大事となってくる。少々、会合に出なくなるとすぐに「あの人は退転してしまったのではないか」「“邪信の壇徒”にでもいくのではないか」(大笑い)等々、その人を信頼しようともせず、また理解もせず、かえって追いつめるようなことがあってはけっしてならない。
 江戸川の皆さま方の大福運を心から祈り、理想的な区の建設を念願して私の話とさせていただく。

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