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港区、千代田区合同記念幹部会 毅然たる信心ですばらしき人生を

1983.1.27 「広布と人生を語る」第4巻

前後
1  本日は、つれづれに感じたままを、お話させていただきたい。さる二十六日の第八回「SGIの日」記念勤行会に出席したさいのことである。
 開会前、少々時間があり、胸章をつけてくれた国際部の方と懇談した。
 その女性の父親は大使も経験された、名門の家のようであった。彼女自身も、海外の名門校を卒業し、上智大学の大学院も出ていた。入信して五年になるともいっていた。
 彼女に私は「両親は信心していらっしゃるのですか」と聞いた。返事は少々寂しげな表情で「しておりません」とのことであった。「それでは信心して功徳はありましたか」と聞いた。すかさず「小さいけれども、うけております」との返事が、はずんだ声で返ってきた。
2  私は、どのような人とも一瞬の出会いを大切にしようと、つねに心にかけてきたつもりである。大勢であるため、またいつ会えるかわからない。この瞬間の出会いで、その人の人生がどのように変化していくかわからない。それを思うとき、短時間であっても、その人を激励し、その本質をとらえて指導していくように心がけている。「一期一会」を身をもって痛感する昨今であるからだ。
 私は語りかけた。私の両親も長い間信心しなかった。いま、両親が未入信者であっても、けっして重荷と考えたり、あせる必要はまったくない。
 もとより、一家全員が信心に励んでいくことは理想である。しかしそのよき環境に甘え、なれあいとなれば、未入信の両親をもつ同志の苦しみが理解できず、愛情のこもった励ましができなくなってしまう場合もある。
 たとえ両親が信心していなくても、両親を信心させたいという愛情と責任が、いよいよ自身の信心の励みとなって、成長の糧となる場合もあるのだ。そのような青年を私は数多く知っている。
 ゆえに私は、長い目で、まず両親に心配をかけぬよう、伸びのびと自分の信心と仕事を完成していくことが大事であるという話をした。
 「功徳は少しうけた」という返事には、私は即座に「その少しが大切なのである」と語った。
 すなわち、幸福は小さなところに感ずる。身近なところにある。遠いところにあるのでもなく、大きなもののなかにあるものでもない。
 たとえば、風邪が治れば大きな幸せを感じる。また、子供の成績が上がれば、親は心から喜び、それを功徳と感じる。腹痛が治れば、ほんとうに幸せを感ずる。痩せたい人が少しやせれば、うれしく幸せに思い、太りたい人が太れば、喜びを感ずる。熱があって風呂に入れなかった人が熱が下がり風呂に入れば、ほんとうに幸せだと感ずる。
 このように身近に起こるさまざまな苦悩を、御本尊に唱題しながら、一つひとつ乗り越えて、そこに満足をおぼえていくところに、人間革命がある。また、福徳を永遠につんでいける信心の証がある。これこそ、広宣流布への第一歩となっていることを自覚されたい。
3  いかなる著名人も、またいかなる無名の庶民も、みな生命は十界三千の当体であり、すべての人が悩みもある。また幸せも感じることができる。ゆえに、それぞれの社会的立場や生活の違いはあるが、それは外面の形態的な違いであって、そのことで幸、不幸の違いが決まるわけではない。
 生命は、いわば主観でとらえていく世界であり、そこで感じていく幸、不幸も結局、主観なのだ。ゆえに、その人がどう感じているかの、生命の境涯が問題なのだ。
 その主観の当体としての自身が、信心の心をもって御本尊に願い、祈りきっていくなかで、現実生活でのすべての苦しみ、すなわち煩悩そして罰の状態を、菩提へ、利益へととらへ、変えていける幸の大道が、私どもの信仰生活なのである。
 一万人に近い来賓の方々が、雨のなか、第二回世界平和文化祭を鑑賞してくださった。また、世界平和文化祭の記録映画も完成し、これまた全国で数多くの方が鑑賞されている。さらに記録集『平和のルネサンス』の本も発行され、陰の苦労などのエピソードが多大な感動を呼んでいる。
4  そうした方たちのなかから、私のもとにも、いまなお、称賛と激励のお手紙や声が寄せられている。
 ある知人は「地上最高の文化祭だと思う」といっていた。ある学者は「世界でこれほどの文化祭を開催できる民間団体はないだろう。一国でやったとしても、これほどの魂のこもったものはできないだろう」と書き、また、ある芸術家は「すばらしい芸術性と創造性をもっている。演出した人々は文化勲章ものだ」と語った。「学会の青年に未来の日本を頼む以外にない。わが社でも学会人がすばらしい活躍をしている」との讃辞もあった。
 さらに、ある財界人は「勤行と教学と折伏がなければ、日本中の青年がみな創価学会に入ってしまうだろう」(大笑い)といっていた。
 また、記録集『平和のルネサンス』の本についても、私の妻は、かずかずの陰の労苦のエピソードを涙を浮かべながら読んでいた。さらに、私の友人からも、その青年たちの苦労に、今の時代では考えられない姿に感動した、との手紙もいただいた。
 ともあれ、異口同音に、乱れきったこの世で、あの凛々しい若人たちの姿に青年の理想像を見る思いがして私の心は救われる。とも語っていた。
5  この数年間の狂気の学会批判に、多くの著名人が、その前途を心配していたようだ。しかし、その予想をくつがえして、堂々と大発展をしている姿を目のあたりにして、「その信心と団結のすばらしさを、いやというほど感じとった」と。また「学会は大盤石である、堂々たるものだ」ともいっていた。
 学会は、大難のなかで前進してきた伝統がある。これほどの大難を悠々と乗り越え、大発展してきた理由はどこにあるのか。それは、御法主上人の大慈悲のたまものであることはもとよりも皆さま方の毅然たる信心が、すべての道を開いてくださったのである。
 要するに、事があった場合に、毅然たる信心でなければならない。
 御本尊と自身の心との関係の強さが信心である。さまざまな低次元の策謀や非難があっても、それはそれである。どこまでも信心は毅然として、御本尊に向かいゆく炎のごときものでなければならない。そして、御本尊とのあいだには、なにものも入れない厳然たる姿勢でなけばならない。
 牧口初代会長も牢獄の仲で毅然たる信心を貫きとおされた。
 戸田第二代会長も牢獄で、二年間にわたり、毅然たる信心を貫かれた。であるならば、第三代の私もまた、そうありたいと決心している。揺れ動くのは世間であり、人々の心にすぎない。
 ともあれ、御本尊と自分との深きかかわりが、根本的な信心の姿勢なのである。
 ここからいっさいを見ぬいていけばよいのである。この一点が動揺してしまえば、すべてが狂って見えてしまうのである。
6  話は変わるが、私も長く会長職にあったし、少々体も疲れてきたので、昭和五十四年四月に、北条さんに会長職をゆずった。北条さんも年配であり、早くゆずってさしあげたかった。
 そのころ私は、懇意にしていた著名な財界人と語ったことがある。私は「後継者が育ったし、体も強くないし、バトンタッチすることにしました」といった。すると氏は、たいへん驚いたようすで残念がっておられた。しかし、そのとき「あなたのやっておられる運動は、利害や物の世界とはまったく違い、精神世界、人間世界での運動なので、世界の人にはなかなか理解できないだろう。偉大な仕事を成し遂げておられるのだが、批判が多いのもやむをえないだろう。後世になってみなければ、その偉大さはわからないだろうと思う。
 との趣旨の話をされた。
 そして、最後に「あなたがこれだけの仕事をなされ、あなた自身が満足しきることが、勝利ではないでしょうか」との言葉で結ばれていたことを覚えている。
7  私が昭和三十五年五月、第三代会長に就任したときは、学会の建物は、ごくわずかしかなかった。東京には学会本部、そして大阪と九州、北海道に中心会館があり、他に三、四のまことに小さな地方会館があるだけという状況であった。いまは、この立派な麻布文化会館のように、各地方にも広宣流布の城として、数多くの会館があり、機能している。
 ときに懐かしい思い出は、西神田の旧学会本部である。本部に新来者を連れていっても、ほとんどが信仰しなかった。というのは、本部とは名ばかりで戸田先生の事務所の一室であり、それも裏小路を通って勝手口から入り、節約のためか電灯がついてなくて、薄暗い階段を上がって小さな事務所の座敷に行くのである。「こんな小さい粗末な部屋が本部というのでは、いくらいい信心だといわれても、ちょっと信用できない」という調子で、入信しなかった。(大笑い) 
 いまは、総本山をはじめとして寺院も、また広布のための会館も、十分に整備されてきた。要するに、基礎の整備は完璧になされたといってよい。この広布の基盤のうえに立って、これからもますますの発展を祈り願ってやまない。
8  ありがたいことに広宣流布への人材も続々と育ってきつつある。とくに青年たちの成長がいちじるしく、うれしい。
 醜い黒い野心の人がいられない、清浄な名法の世界となってきている。かし、これからも、どのような陥れや悪の蠢動があるかわからない。
 ゆえに、内外を厳しく鋭く見ていく目だけは、けっして失ってはならない。そして、広布の団体である学会を、人類のために永遠ならしめていっていただきたいと申し上げておきたい。
 本日は、御本尊に、皆さまのご多幸と、ご一家の安穏を深くご祈念申し上げた。
 どうか、福運にみちた、健康にして長寿の人生であっていただきたい。
 広布に走りゆく皆さまは、経文に照らしてみても、誉れある地涌の菩の属である。その誇りを忘れず、楽しくもすばらしき人生を生きてゆかれんことを心から念願し、私の話とさせていだたく。

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