Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二東京幹部会 「生老病死」の人生を楽しく

1983.1.22 「広布と人生を語る」第4巻

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1  日蓮大聖人の仏法は円教である。ゆえに、その御本尊を信じ行じゆく者にとって、すべてがむだなく生かされていくのである。勤行も、折伏も、また指導もいっさいの日々の行動も、すべて自分自身の永遠にわたる功徳に変わっていくのである。
 それを確信できるかどうかが、信心の重要な一点でもあるのだ。
 ともあれ、信心の世界は、自分が苦労して行動したぶんだけ、自分自身の財宝と変わる。また懸命に働いたぶんだけ、諸天善神が動いて守護してくれ、人生の安全地帯の拡大ができる。これが厳しき因果律の大聖人の仏法なのである。
2  いくら電灯があっても、スイッチを入れなければつかない。明るい毎日をおくりゆくために、このスイッチをつねに入れておくことが大事だ。妙法の電源につなぐスイッチが信心である。
 「信心の血脈無くんば法華経を持つとも無益なり」との厳しき御聖訓がある。 
 ゆえに、いくら御本尊を受持しても、信心がなければ無益であるという道理がここでわかる。御本尊があり、御書があっても、また励ましの同志がいても、信心がなければ、功徳の明かりはともらない。
 妙法の明かりを明々とともしての人生は、誤りなき人生行路となる。だが、明かりなき人生は闇夜の旅のごとく危ういものだ。
 日々の活動についていえば、行体即信心である。行動が信心を深め、深められた信心が行動にエネルギーをさらに与えていく。この相互作用のなかに、われらの信心は進みゆくのである。
 ここに、信心即生活をいやまして深く持続せしめゆく学会活動の必要性と信心指導のカギがあることを、よくよく銘記されたい。
3  人生にとって「生老病死」の四苦は宿命的なものである。この四苦をいかに克服
 していくかが、最大の問題である。ここに仏法の第一歩があったことは、周知のとおりである。
 「生」−− 悩み多き人生である。しかし、悩みに負けてはいけない。この悩みを悠々と乗り越えながらどこまでも生きぬくことだ。われわれの信心は、この尊き人生を最高に有意義に生きぬくための信心なのだ。
 「老」−− 老いもまた避けられない。この会場にも、気品ある年配者もいらっしゃるが、美しく老いていかねばならない。晩年の人生が、不幸と老醜に満ちた姿であることほど悲しいことはあるまい。
 まわりの人々から慕われ、心さわやかな”美しき老い”でありたいものだ。老いてますます楽しさと悔いなき生涯であるための信心なのだ。
 「病」−− 人生はつねに病魔との戦いである。人生のなかばで、病に苦しみ倒れては、不幸である。病を克服し、健康となる。長寿でありたいという戦いが人生である。その根本の力が妙法であり、信心なのである。
 「死」−− 臨終のさいは、まことに安らかに、眠るがごとく静かに来世へと旅立っていけることが理想であり、そのための信心である。
 これらの実現は、三世永遠の生命を説かれた大聖人の仏法しかありえないのである。ゆえに、人間として逃れることのできない生老病死の四苦を解決しゆくため、仏法受持の必然性がある。
4  人生にあって重要なものは何か。それは 1)幸せに生きぬくこと 2)社会に貢献しゆくこと 3)法のために働いていくこと、である。
 なかでも”生きぬく”ということにおいて、大切となるのは、より深く信心を奮い起こし強めていくことである。
 御書に「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」と仰せのとおりである。まことに厳しき御教示であるが、この御文どおりの実践のなかに、しぜんのうちに,幸せの軌道が自身の生命に形づくられていくのである。
 ここに、学会の信心鍛練と人生鍛練の意義が存在するのである。
5  だからといって、われわれ信心する者の日常生活は、つねに常識的であり、平凡でよいのである。日々、平凡の生活のなかにこそ、真実の幸せがある。奇異な冒険的な行動のなかには、永続的な幸せはありえない。たとえば、太陽は、日々、静かに東天より昇り、この地上の万物に多大な恩恵を与えている。その確かなる運行をけっして乱すことはない。
 われわれの日常生活もまた、このように常識をふまえながら、日々確実な生活を繰り返していくなかに、真の幸せの道が築かれていくのである。
 ゆえに「火の信心」ではなく、水の流れゆくがごとき信心即生活が大切なのである。
6  われわれの信仰実践の基本は、一日一日の勤行・唱題から始まる。そして、人々にこの大法を知らしめゆく広宣流布への活動へとひろがっていく。しかし、このように、私どもの行動は、まことに常識豊かなものにもかかわらず、世間の人から誤解されるのはなぜか。
 根本的には、御書に示されているごとく、この妙法の信仰は、生命の根本的変革をもたらすものであるだけに、「元品の法性」に対する「元品の無明」による反発が起こってくるからである。
 ゆえに、この誤解や反発は、正法を行ずる作用から必然的に起こるものであり、
 少しも驚くにはあたらないし、恐れてもならない。むしろ、それは多くの人が正法の信仰にめざめていく仏縁となるのである。
7  近代にいたるまで、欧米では日曜日に教会に行かない人は軽蔑されたという歴史をもっている。
 また、わが国は仏教国であり、先祖崇拝、仏閣への参詣は、かつては生活習慣として深く根をおろしていた。
 そうした時代にあっては、宗教行為はけっして奇異なものではなかった。むしろ、しぜんの姿であった。
 だが時代が変わり、宗教の力が低下していくにつれ、”科学教”や””経済教”が宗教にとってかわってしまった。この傾向は欧米よりも日本にいちじるしく、「イワシの頭も信心から」といったような宗教視の考えも加勢して、宗教的行為は日常生活のなかからしだいに姿を消してしまったのである。
8  しかし、人間が、厳しい社会のなかで生きゆくために一家の無事安穏を、仏に祈ることは自然であり、まして人々の幸せと世界の平和を祈ることは、もっとも尊い姿である。
 道理に裏づけられた仏法を、そのみずからの体験のうえから「あなたも、正しい信仰をしませんか」とすすめる行為は、信仰者として、また人人の幸せを願う社会人としてとうぜんの行為である。
 それをもって奇異、非常識な行動であるというのであれば、利己主義をすすめるものであり、正しき人生の基準もなくなる。非難する人こそ非常識となり、奇異といわれてもやむをえないであろう。
9  ものごとの価値観とか”常識”というものは、人間の心が生みだすものであり、民衆の絶えざる前進のなかで変化していくものだ。過去に正当とされたものが、現在ではその立場を逆にしているものも多い。
 末法万年への広布の道程にあって、いまは、日蓮正宗創価学会の姿がしだいに社会の常識の流れとなっていく過程の時代、とわれわれはみたい。
 その証拠に、戦前、戦後と現在とでは、学会への見方、理解は大きく変わってきている。それは、仏法の卓越性はとうぜんとして、学会員一人ひとりの生活態度、社会への貢献の蓄積がその大きな原動力となっている。
 それを敷衍して考えれば、二十年後、三十年後は、いまでは考えられないような変化をとげるにちがいない。その輝く未来を見通しながらの、悠悠たる確信の前進であっていただきたい。
10  ある知り合いの医師がこういっていた。最近テレビで、著名な政治家が心霊術師のもとに行っていることを放映していて、「こまできたら政治も、日本も終わりだな」との評論家の言葉もあった、と。
 いかなる有名人たりとも、複雑、微妙な心の動揺と空白感はどうしようもない。
 自分の確固たる信念の法をもたない人間が利口げに君臨している社会は、まことに嘆かわしいと思うのは、私一人ではあるまい。
11  大聖人は「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」と仰せである。「愚人」とは、究極すれば、三大秘法の御本尊、大聖人の仏法を知らない人のことである。
 この仏法を知らない「愚人」が、仏法の実践者を利口げに批判してきたとしても、なにも紛動される必要もないし、動揺することじたいが愚かなことがわかるであろう。
 大聖人があらゆる御書のなかで「縁に紛動されるな」「三障四魔に負けてはいけない」と仰せになるゆえんはここにある。
12  ともあれ何千年前も、現在も、人間の実相、本質というものは、変わっているようで変わらないものだ。ともに「十界三千の当体」であるからである。
 とうぜん、建物や服装や交通機関などの外的環境は変わっている。しかし、秀吉時代、家康時代の人間模様も現代の人間模様も、その生命の働きの傾向性というものは変わらないものであると、先日ある著名な作家も述べていた。私もそう思うと語った。
 それゆえにこそ、いかなる時代になろうが、どうしても生命の問題の解決と幸福と平和のために、仏法と信仰が必要とならざるをえないのである。
13  第二東京の広布の未来は、ひじょうに開けてきた。これも皆さま方の信心と尽力のたまものと感謝申し上げる。
 戦後、戸田先生が広布の指揮をとられ、東京に十二支部が誕生した。次は関西であると、私は幾度となく先生にお話しし、その任務を与えていただいた。仕事もあり、毎週土曜日から日曜日にかけて走ったものである。
 それが今日では、押しも押されぬ大関西になったことは、誇りであり、自分の歴史と思っている。
 関西とあいまって、戸田先生の指揮で各地の地方折伏にも力をそそぎ、多くの先輩の方々が全国を駆け、学会の基礎を築いてこられた。その方々の誇りの歴史もまた、それぞれの胸中に残るにちがいない。
 いま、第二東京の広布に走る皆さま方も、また同じ歴史をつくっていただきたい。
14  私は数年前より東京二十三区の次は、第二東京に大拠点をつくり、ここを広げていくことが未来の重要な課題になると、ひそかに思っていた。立川文化会館を第二東京本部とした理由もここにある。土地は広く、美しい自然も残っている。人口も年々、急増している。発展の諸条件はすべてととのっている。
 この未来性に富んだ地に、広布の楽土を建設しなければならない。悪の跳梁を許してはならない。この思いで私は構想を練り、静かに力をそそいできたつもりである。
 皆さま方もほんとうに力をつけられた。それぞれの地域で信頼の根を張ってこられた。希望の天地に、広布の水かさは着実に増しつつあり、うれしいかぎりである。
 第二東京の新生の旅立ちとかぎりない発展を心から念願し、あいさつとしたい。

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