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日蓮大聖人・池田大作

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中野区記念幹部会 信仰で実像の幸せ確立

1983.1.20 「広布と人生を語る」第4巻

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2  一般的にも、人生は何か目標なり、目的をもった場合、生き生きしていくものだ。目的に生きる人には、つねに充実感がある。「家をもちたい」「健康でありたい」「子供を立派に」等々、みなそれなりの目的であるといってよい。しかし、もっと高い、社会に貢献していこうという目的をもった場合は、さらに深い人生の生きがいと充実感がわいてくるものである。 
 人生の目的をもたない人は、根無し草のように弱い。ただ生きていればよいとする人生は、ひじょうにわびしい。また、初めは目的をもち、生きいきとしていた人が、途中で挫折し、自暴自棄になり、無気力となっていくことも、信仰の世界でも社会でも多い。
 われわれには、末法万年にわたる一閻浮提広宣流布という目的があり、目標がある。ゆえに、これ以上の高い目標をもった人生はない。しかし「広宣流布、広宣流布」とただ口先のみで論じたり、また観念論に走ったときには、空転になってしまうことを忘れてはならない。
 「広宣流布」といっても身近にある。「幸福」といっても身近にある。ともに、なにか遠くにあるように錯覚してはならない。すべての道理は「千里の道も一歩から」であり、結局は、すべての作業は身近にあることを確認していかねばならないのである。
3  勤行をすることも広宣流布への修行である。折伏も指導も、また教学の研鑽も、また組織活動の一つひとつも、みな広宣流布への道である。大小さまざまな会合も、打ち合わせもみな同じである。
 さらに、御書に「一切世間の治生産業は皆実相と相い違背いはいせず」との御文があるごとく、妙法の信心は、社会、生活に通ずるのである。ここが、日蓮大聖人の大仏法のすばらしさである。
 ゆえに、仕事に努力することも、生活を豊かにすることも、商売を繁盛させることも、また職場で輝く存在となることも、すべて広宣流布への大きな作用となっていることを確信されたい。
4  日本人は、とかく目的は明快にもつが、その方法論においての緻密さ、具体性、地道さに欠けているといわれる。目的さえ決まれば、ガムシャラに、ただ一直線に進んでいけばそれでよいとの傾向性があるようだ。
 その点、学会は、戸田第二代会長の指導と、皆さま方の地についた信心、折伏、さらに日々の指導によって、確実なる基盤が現実に築き上げられたわけである。この現実に根ざした信心指導の努力を忘れて、ただ会合等で指導や講義だけをしていけばそれでよしとする風潮があれば、それはたいへんなあやまちである。信心と生活が現実の大地に根づいていない人は、やがてかならず崩れ去っていくものだ。
 要するに、信心に勝った人は、生活に勝った人である。生活に勝つための根本源泉が信心なのである。
5  またわが国の前途が、平和主義の方向にいくのか、軍国主義の方向にいくのか、わからなくなってきている。私どもの目標は、三十年後、五十年後、百年後、千年後を見通した、堅実な平和社会への道、幸福への道をつくることなのである。
 先日、著名な宗教社会学者であるアメリカのR・N・ベラー教授と懇談した。
 教授の話を概括していえば、
 1)国そして人々を活気づけていく力は、市民宗教しかない。
 2)近代社会と宗教は相反するもので、科学が発達していけば、宗教は衰弱してい
  くと考えられていた。だがそうではない。近代化と宗教は共存する。両者が必
  要である、というものであった。
6  実際、経済的に豊かになり、科学が発達しても、精神的不安はなくならない。それは人間が存在するかぎり宿命的なものだ。
 ガンではないか、血圧が高い、交通事故等々、現実的不安はますますつのってい
 る。すなわち、科学技術文明の発達にともない、人間の現実は、ますます”不安”の時代へと向かっているのが実情である。
 ある意味で現代社会は乱世の時代といってよい。そこでは、善悪の基準がなくなつてしまった。
 このような時代には、一人ひとりが実像の自分を見つめ、ゆるがぬ力をつちかっていくことだ。テレビ文化、マスコミ文化によるる華やかそうな虚像にまどわされてはならない。虚像はたちまち消えるものであり、あとに残るのはむなしさのみである。実像はつねに安泰であり、充実感があり、手ごたえがある。寿量品に「我此土安穏」と説かれているが、この実像の幸せへの境地を確立していくのが信心なのである。
7  御本尊に祈り、勤行をするとき、九識心王真如の都のさわやかな風につつまれ、美しき月を胸中に見る思いがする。そのすがすすがしい生命の充実感は、なにものにも比べることができないことは、皆さまの実感されているところであろう。
 現代は「お金があれば幸せ」という人が多い。たしかに現代は、一面からみればそれが真理かもしれないが、この金銭のために醜い争いを演じ、生命さえ失う人も多い。
 結局、金銭に価値があるのではなく、それをどう生かし、どう使っていくかであり,そのためには、その人の境涯が大切であることが見失われつつある時代といってよい。その意味で、その人のもつ境涯にこそ、実像の幸、不幸の当体があることをよくよく知らねばならない。
8  その実像の確立のための信仰を、われわれはしているのだ。もとより、われわれの生活は仏法に説く「九界の世界」にある。この九界の社会にはさまざまな苦悩があることはとうぜんのことなのである。しかし、われわれの煩悩・業・苦の三道を、強き信心によって法身・般若・解脱の三徳と転じていけるのが妙法なのである。
 ゆえに御本尊に日々唱題し、妙法の大法につらなっていく人生は、知らずしらずのうちに境涯が広がり、実像の幸せが確立されていくのである。そこで信心していくうえで戒めなければならいことは、気位、見栄、慢心である。真の信心は、ひたぶる御本尊に祈り、勤行・唱題し精進していくべきである。自分の気位とか見栄とか慢心がでて、御本尊を軽んじたり、同志を軽したりしていくような一念であっては、功徳はわかないからである。
 心して御本尊にはみずからの願いを赤裸々な心で祈りきり、願いきることだ。ただし、人間であるから、いわゆる世間的、社会的な見栄とか気位を、私は否定するものではない。人の一念は、ひじょうに微妙なものである。その微妙な一念を、こと御本尊に関しては、確固たるものとして信仰を貫き通していくことが、すべてを打開していく力となることを申し上げたいのである。
9  中野創価学会の淵源は、かつての中野支部にある。初代の支部長は、いまは亡き神尾武夫さんだった。神尾さんはインテリで学者であった。牧口先生時代に入信し、あの大弾圧で牢獄に入っている。
 当時は酷い時代であったし、同志も少なく、やむをえない面もあったと思うが、「心の動揺があった」とご本人がよく後悔し話していた。
 戦後、戸田先生のもとに馳せ参じて、広宣流布のために戦うと誓って支部長になった。
 のちに大病をわずらっている。静岡の療養所で長く静養したことがあった。戸田先生とごいっしょに、私たちは見舞いに行った。
 そのさい、戸田先生は、まことに厳しく叱咤されていた。そのときは私は直観した。「これで生きのびるな。戸田先生が死魔を打ち破られたのだな」と思った。やがて、そのとおりに元気になられた。
 あとで神尾さんは「何かあったときに退する心があれば、今世でその罪を全部消していく以外にありませんね」としみじみと語っていたことが忘れられない。
 私の会長時代には、理事にもなられた。そのとき、決意発表をしてもらった。大病で肋骨をほとんど取っている。「これから心新たに粉骨砕身してがんばりたいけれども、骨がなくなってしまった」(大笑い)と。そんなユーモアのある人であった。
10  難があったときに、それを避けたり、退転をしたほうが楽かもしれない。しかし、そうはいかないのが妙法の峻厳なる法則であり、これがまた、大慈悲ではないかと考える。
 晩年の神尾さんはまことに健康であり、長寿であった。創価大学の教授として功績を残され、ほんとうに所願満足の人生であられた。
 神尾さんは学者でありながら情熱家であった。中心者がそうであったから、中野支部は熱血漢が多かった。多くの人材も育っている。青木、森田、名古屋の北村副会長がそうだし、創大の篠原誠さんがそうだ。
 また、亡くなった東大出身の飛田敏彦さん(当時総務)も優秀だった。いまは子供さんたちも立派に成長している。さらに渡部一郎さん(衆議院議長)、藤原行正さん(都議会議員)らも、中野支部から育っている。
 この”人材の宝庫”としての、中野の伝統の流れは、立派に受け継いでいただきたい。ともあれ、中野はインテリの人が多かった。学会は、これらの知性派と庶民派が絶妙に融合し、助けあい、励まし合いながら、今日の大発展を築き上げてきたのである。
11  中野兄弟会館の完成が間近であるし、重要な広布の位置を占めてきた中野の伝統の歴史をさらに確固たるものにしていただきたい。
 どうか山崎中野長を中心に、互いに助けあい、補いあって、素晴らしい中野を築いていただきたい。そして、すばらしい人生のために、すばらしい信仰即生活のために、団結の精進であっていただきたい。

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