Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

新潟代表者研修 増上慢との戦いが信心

1982.7.28 「広布と人生を語る」第3巻

前後
1  本日は、新潟ならびに石川、富山の代表メンバーも集っての研修である。なお、ビルマからも香港、オーストラリアからも代表者が参加されている。とくに、新潟には、このたび新文化会館が完成する運びとなり、心からお祝い申し上げる。本日は、この席をお借りして、研修会の意義等について、感じるままに、少々お話しさせていただきたい。
 学会伝統の講習会、研修会の目的は、広布推進のための人材の育成にある。総本山での講習会は、初代会長牧口先生以来の永年の伝統となっており、今年も秋谷会長を中心に、信心錬磨の行事が繰り広げられている。また創価大学での夏季研修会は、森田理事長が中心となっておこなわれている。各地の研修道場でも、それぞれ副会長ならびに県庁らが中心となって、盛んに研修がおこなわれている。
 一時の助縁によって、一生の信心がすばらしく伸びる場合もある。一時の悪縁によって、せっかくの永年の福運を消し、信心を破壊していく人もいる。よき縁となるゆえに、講習会ならびに研修会のもつ意義は、まことに大きいし、私も力を入れてきたつもりである。
2  研修会の原点は、戸田第二代会長時代に始まる。先生は、未来の人材育成のために、青年たちをこよなく愛し、鍛練し、薫陶してくださった。場所は、川口湖や氷川等でおこなわれた。当時、学会は会館もほとんどなかった。いわんや研修道場は皆無であった。先生は、青年たちに浩然の気を養わせながら、広宣流布への設計頭を明かされた。信心がいかに大切であるかを語られた。また、人生を教え、厳しき社会の実相を教えてくださった。しかし、旅館やバンガローを使っての研修では、勤行・唱題ができない。そこで、先生は「将来、思うぞんぶんに信心と人生の鍛練をする道場が必要である」とつぶやいておられた。その遺志をうけて、研修道場をつくり、私は今日の研修会方式を築いたのである。
 戦後間もないころでも心ある会社では、将来を見とおしてか、いちはやく人材育成のための研修をおこないはじめていた。いまだそのための会場もなく、多くが地方のホテルなどを使っていたようである。人材育成こそ、すべてにわたっての根本だからである。
 広宣流布も、妙法受持の人材で決まる。広宣流布の進展とともに、広布の拠点たる会館も、皆さまのお力によってできた。さらに、数は少ないが、各地に研修道場もつくられている。ここでぞんぶんに題目をあげ、体を鍛え、少人数で地域広布へのあらゆる構想を語りあうなど、人間錬磨のうえでご存じのとおり成果をおさめている。
3  ここで、勤行における中心者の姿勢について、語っておきたい。
 いうまでもなく勤行は、大御本尊への、信心の根本的な、荘厳なる儀式である。
 三大秘法の南無妙法蓮華経の大宝塔に帰命し、「以信得入」しゆく厳粛な儀式である。また、広宣流布を誓い、わが身の罪障消滅と一生成仏を祈念する荘重なる儀式でもある。
 また、わが生命の仏界を湧現し、現当二世の祈りで、九界の現実社会へ向かいゆく旅立ちの儀式でもある。さらに、南無妙法蓮華経の大良薬を生命総体に服し、浸透させていくものである。ゆえに、生命を浄化し、いっさいの病魔を退治し、六根清浄の生命としていくのである。
 この荘厳にして、仏道修行の基本でもある勤行の儀式にあって、中心者は、真剣にして厳粛な一念に立っての姿勢でなくてはならない。胸をはり、背筋をしっかりと伸ばし、凛々しい端座の姿勢をもっていただきたい。また、すがすがしく、朗々たる音声で、後座の人々を導いていく力をもっていただきたい。
 リズムは、躍動感に満ちたものでありたい。声が小さかったり、リズムを合わせていけないような中心者の勤行の姿勢では心配である。皆が、終えた後に、まことにさわやかな感じをおぼえるようでなくてはならない。心が重くなったり調和が乱されるような儀式であっては、皆がかわいそうである。すべて中心者の姿勢で決まることを、自覚願いたい。
 もとより勤行の儀式は、日蓮正宗の法義にのっとり、五座三座が基本である。しかし、会館、研修道場、また拠点においては、そのときの状況や全体観からみて、方便品・自我偈・唱題という場合もあろう。あるいは、方便品・寿量品の長行・自我偈・唱題のときもあるだろう。また、あるときは、時間の都合上、近所の迷惑も考え、題目三唱の場合もあってよいと思う。
 また、会合にのぞんでも中心者は、いたずらに、参加者を疲れさせたり、苦痛をおぼえさせるようなことがあってはならない。
 どうか中心者は、すべての状況を的確に把握して、全体観のうえから判断して決めていただきたいものである。
4  先日、ある著名人が「ともかく学会の発展と持続はすばらしい。他の教団ではまったく考えられない事実である。そして、学会の人たちには、信心の“熱心さ”がある。人に対する“誠実さ”がある。難を乗りきっていく“根性”がある。まことにすばらしいことだ」と語っていた。
 また「仏法のことはわからないが、これらがあるかぎり、学会はまだまだ発展するだろう。この三条件は、一般社会でも同じである。これを失ったときから、低落していくのが現実である」ともつけくわえていた。
 その方の近隣にも、二、三人の学会員がいるようだ。そして「あんなに学会を毛いしていた友人が信心してしまった。私はほんとうに驚いた」とも述べていた。
 きょう集った皆さん方のなかにも、はじめはずいぶん反対し方もいるのではないだろうか。(笑い)
 妙法には絶対の力がある。私どもにこの確信ある信心があるがぎり、いかに中傷し、非難している人たちがいたとても、かならずいつかは信心せざるをえなくなっていくのが、妙法の原理である。この繰り返しと持続が広宣流布につながっていくのである。おおいに信心に確信をもって進んでいただきたい。
5  社会はますます複雑になっていくであろう。その動向に対処するため、学会も多様性を要請される場合がある。しかし、ただ、次の点だけは不動の路線であることを忘れてはならない。それは、 
 一、三大秘法の大御本尊がいっさいの根本であると拝していくことだ。
 二、御法主上人の御もとに日蓮正宗の伝統法義を確実に体していくことだ。
 三、それを基調として、学会は、広宣流布の展開をしていくのである。すなわち「信」と「行」と「学」を深め、広げていくのである。
 すの大原則を離れて、大聖人の仏法はありえないし、いかに内外ともに複雑性をもつ時代になろうとも、この軌道のうえを進んでいけばまちがいないのである。ここにその大原則を確かにふまえた学会活動の重要性が、明確となるのである。さらに、学会の組織がいかに正法正信に直結した行動のための組織であるかが、これまた明確であることを知っていただきたい。
6  その「信行」を強めるための学会活動を軽視し、おろそかにしていく人は、大なる過ちを犯しているのである。
 世間の見栄にとらわれ、自身の虚栄にとらわれ、心に増上漫をおこして、その恩を忘れて、仏子である同志を軽侮するような人は、まこと大聖人の門下ではなく、正宗の信徒でもないと申し上げておきたい。
 社会は諸行無常である。信心の世界は、永遠にして常住なる、まことの人生の生き方への指標と満足をあたえてくれるものだ。
 この信心の世界に生きぬく人こそ、諸天の加護をこうむり、御本尊よりおほめいただける、栄光に輝く凱歌の人なのである。実像の幸せはここにある。信心以外で築いた虚像の幸せは、いつかは崩れさることは論をまたない。
7  次に、仏法で説く増上漫について少々述べたい。
 一言にしていうならば、自己自身の増上漫との戦いが信心である。
 佐渡御書に「日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん……」との仰せがある。
 私は、この御文を拝するたびに、御本仏の御尊容を拝しながら、なんという慢心の僧俗がいたのかと、憤りを感ぜざるをえないのである。大聖人より仏法を教わりながら、「大聖人よりも我賢く偉し」と思うこの増上漫を、許せない気持ちでいっぱいになるのである。
 時は移り変わり、血脈付法の御法主上人に対してたてまつり邪心をいだく僧俗、また、広布に不惜身命で戦う在家の私どもに対する僧長の姿−−なんとあさはかであり、なんと信心なく、なんと忘恩の、哀れな人間であろうか。
8  「慢」とは、自分を実際以上に高く見せようとすることをいうのである。仏法には、七種の慢が説かれている。
 1「慢」とは簡単にいえば、劣れる他人に対して、自分がすぐれていると思い、いばることである。
 2「過慢」とは、他人と自分が等しいのに、自分のほうがまさっているといばることである。また、他人のほうがすべてにわたって立派であるのに、自分も同じように立派であると思いこんでいる心である。
 3「慢過慢」とは、信心においても、社会的にも、はるかに他人がまさっているのに、それよりも自分のほうがまさっているとみせようとする錯覚の心である。
 4「我慢」の人こそ、まったく困る人であり、皆さま方の周囲にもよく見られると思う。すなわち、自分勝手な意見に執着することであり、まわりのことも考えずに、自分がいちばん正しいといいはる心である。
 5「増上漫」−−これはよく使う言葉である。大仏法をいまだまったく会得していないのに、会得したかのように思いこみ、偉そうに振る舞うことである。この姿は、まさに近年、皆さま方がいやというほど見てきた連中そのままである。
 6「卑慢」とは、他人が自分よりはるかに立派であるのに、その人を信頼し尊敬することができず、自分は少ししかその人よりも劣っていないと思う心である。
 7「邪慢」とは、自分には徳がなく、人から尊敬も信頼もよせられないにもかかわらず、いかにも徳があるかのようにいばり、見栄をはり、立派な姿を見せようとする心である。
9  この七慢が、仏法に説く「慢」のひとつの立て分けである。このことからもわかるように、総じて「慢」とは、自己をさらに成長させていこうとの求道心、信心がないことである。
 「慢」のある人は、信心がのびなくなってしまう。信心ある人は、つねに感謝があり、求道の心をもち、よき善導の人がわかるものだ。「慢」の人にはそれがなくなり、批判と中傷と、見栄と虚栄に終始し、やがて清らかな和合僧の世界にはいられなくなっていくのである。
 「感謝」をするか、「忘恩」となるか、それを決めるのが信心なのである。
 また、「慢」のある人は真面目な世界にあっていつもふざけがある。自分の言葉に責任をもたない。このような人は、永年の経験上、信用できないものだ。そしてかならず真剣に学ぶ人々から顰蹙をかっている。
 なお、法華経方便品には、増上漫の衆五千人が、釈尊の説法を開く必要はないと、座を立ち去ったと記されている。この姿に照らすならば、大聖人に敵対した増上漫の徒、また、今日、御法主上人に師敵対し、学会を破壊せんとする増上漫の徒の策動もまた、むべなるかなとうなずけるのである。
10  ご存じのとおり、増上漫の代表的なものとして提婆達多があげられる。
 提婆達多は斛飯王の子で、釈尊の従兄弟であった。釈尊が教団の中心的存在として皆から尊敬を集めているが面白くなくて、ねたむにいたった。もともと野心の強い彼は、慢を起こして自分が教団の中心者になろうとあらゆる手段を講じて、釈尊をおとしいれようとしたのである。
 釈尊の時代にも、こうした黒い野望から生まれた悪の構図があった。また、大聖人の時代にも、平左衛文、良観等の増上漫の心に支配された障魔の働きがあった。
11  提婆達多をはじめとする「慢」の心は、何が条件になるかといえば、第一に目先の利害、第二に名誉、第三に支配欲、大きくはこの三つに集約されているといってよい。
 釈尊にかなわないことを知った提婆達多は、時の権力者・阿闇世王に取り入った。
 そのような提婆達多の陰険な心を見ぬいていた釈尊が、大衆の面前で提婆達多を叱責せざるをえなかった理由が、私にはわかるような気がする。それは、かりに個人的に叱責したとすれば、悪意の彼は、かならず大衆に対し「自分は釈尊から記別を受けた」とか、「釈尊より讃嘆された」などと、正反対のつくりごとを喧伝するにちがいないからである。大衆の面前での叱責は、提婆達多の悪の心を証明するためであったと思う。
 それを根にもった彼は、ことごとく釈尊に敵対し、釈尊に大石を投げたりなどの迫害をおこなった。
 かつて戸田先生は「この提婆達多の本質は、“男のねたみ”である」と看破されていた。慢が高じてねたみになって、自分が釈尊の代わりになろうと野心を起こす。そして、教団を分裂させようと企てたが、その野心も、仏の慈悲を越えることができなかったのである。
12  このような心の動きというものは、信心の世界のみならず、人間社会には大なり小なりあるにちがいない。そうした「慢」の心強き人は、かならずや、周囲の人々から信頼を失い、やがてその社会にもいられなくなり、ついには破滅の道に入っていくことも事実のようである。
 どうか皆さん方は、信心だけは謙虚に、どこまでも大御本尊に感謝したてまつり、少しでも法を求めていこうとする、潔い、清らかな前進をしていっていただきたい。それこそ、大福運をつみ、人間として大勝利の人生を飾りゆく一心の姿勢であると思うからである。

1
1